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2019年 12月

彼岸から教えてもらう生き方

2019/12/31

スタジオジブリがアニメ映画にしたことで、それを見て大好きなった昔話があります。それが「ねずみのすもう」です。来年の干支が「子」なので、多くの方が年賀状で色々な、可愛いねずみのイラストに触れたことでしょう。ねずみのすもうに出てくるねずみは、貧乏な家のねずみで、おじいさんとおばあさんに愛されるからでしょうか、ねずみという存在が愛おしく感じられます。

日本のむかし話で、ねずみはあまり悪者になりません。農耕文化が始まっていた弥生時代には、米などの食料を貯蔵していた高床式の倉庫の柱に、ねずみ返しが設置されていました。そういう意味では害獣だったのかもしれませんが、昔話では、それほど悪いイメージはなく、子沢山からか、どちらかというと幸多き世界として描かれています。

ねずみのすもうのねずみも、食べ物が少ないので痩せていて、すもう大会でちっとも勝てません。それを見かねたおじいさんとおばあさんは、かわいそうに思って、正月用にとっておいたもち米で餅を作って食べさせるのです。豊かな長者の家のねずみもそれを羨ましがります。正直なおじいさんとおばあさんは、二人のねずみにまた餅をついて食べさせます。長者のねずみは小判を運んできます。そしておじさんとおばあさんは豊かに暮らすのです。

思いやり、助け合い、その愛情の対象がねずみにも届く話に、日本文化の優しさを感じます。この話には、意地の悪いじいさんは登場しないので、懲らしめられることもなく、ほのぼのした気分で終わるから私は好きです。これを宮崎駿がアニメにすると、ねずみの仕草の愛らしさが増します。絵本もいいのですが、動く映像の動かし方にも、対象への愛情の深さの差を感じることができ、良質なアニメの芸術性を体験できます。

ねずみが干支の最初になるのは、ご存知だと思いますが、日本の昔話になっています。あの「十二干支の起こり」です。神様の所へ動物たちが先を急ぐ話です。ねずみはこっそりと牛の背中に乗って、門が開いた途端に飛び降りて、1番に門に飛び込むのでした。そんなずる賢さを持ち合わせながらも、決して敵には回さななかった人間との暮らしの中での距離感。日本の家屋の屋根裏にねずみがいても、あまり気にしなかったのが日本人だったのではないでしょうか。

さて、除夜の鐘が聞こえてきました。百八つの煩悩の数え方は色々な説がありますが、それらのどの説にも出てくる共通する6つの煩悩があります。私の仏教の師、故中村元先生によると、それは「六根本煩悩」です。その内、とくに次の3つが大事だと思って、生活信条(ライフクレド)にしています。私は煩悩の三大悪だと勝手に定義しています。

私たちの人生を狂わす原因が自分の精神性にあるとすれば、この「貪瞋癡の三毒」でしょう。私は高校の倫理社会の先生から教わりました。ドンジンチ。大事です。昔話の倫理とも一致するのは、日本に仏教が渡来した時から、日本の風土とモラルにフィットしたのだと思います。

まずは貪(トン・貪欲)、つまり人やものごとに対する執着、貪ること。好きなことを追求するのはいいのですが、それに溺れてはいけないのです。欲張りじいさんのような人になってはいけません。

2つ目が瞋(ジン・瞋恚、怒り)、つまりすぐにイライラしたり批判せずにはいられない怒ったりする心です。最近の日本人の大人にとくに目につくようになりました。共感する力が弱い人が増えています。昔の大人は些細なことにもっと大らかでした。外国の絵本は罰し方がどぎついのですが、日本の昔話はちょっとちがいますね。

3番目は癡(チ・無明)で、これは諸行無常などの真実をわきまえない根本的無知ともいうべきものです。実は貪も瞋も無明から生まれます。お釈迦様が苦が生まれる理由(縁起)を手繰り寄せていったとき、生(老病死)への執着にたどり着くのですが、それも無明であることに通じます。悟りはそれらの煩悩が断たれた時ですが、もしそうなったら私たちは彼岸にいます。

昔話には、彼岸がよく出てきます。「ねずみ浄土」も「浦島太郎」も「鶴の恩返し」も、私たちのすぐ近くに動物が誘って連れて行ってくれます。これらの物語を絵本で読んであげている時、いつも頭の中になっている言葉が「ドンジンチ」です。昔の人は、「昔々、あるところに」と始まる素話によって、除夜の鐘を鳴らすことと同じことをやってきたのかもしれません。初詣と同じ気持ちで昔話を親子で楽しみましょう。

そろそろ大晦日もあと1時間となりました。嵐の歌う「カイト」を聞いたところで、今年最後のあいさつをさせていただきます。

本年は本当にお世話になりました。来年も良い年にしましょう。

(私も子年生まれ。来年はねずみにも幸多き年でありますように!)

今年一年本当にありがとうございました。

2019/12/31

入園してから早9ヶ月が経ち、新しい年を迎えようとしています。とてもたくましく成長していく子どもたちに、感動する毎日でした。
子どもたちは、一人ひとり素晴らしい持ち味を持っていて、その持ち味がなんともかわいらしくて、いつも笑顔と元気をたくさんいただいています。温かくて優しい子どもたちと過ごすことができた2019年は、担任にとって宝物の年となりました。
そして、保護者の皆さま、子どもたちはもちろんのこと、クラスや保育園全体のことをも温かく見守ってくださり、本当にありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。
2020年も、保護者の皆さまと一緒に、子どもたちの成長を温かく見守っていけたらと思います。どうぞよろしくお願い致します。

むかし話に学ぶシンプルな価値観

2019/12/30

テレビやマスコミがなかった頃、それぞれの村には「ただの毎日」が続いていただけでした。昔の日本人にとって、日々の時間は、太陽の動きを拠り所として、生活を営み、ただ今日が何日だろうとあまりにきしていません。その時代の生活は「安全」で「食べ物」があれば、幸せだったのです。現代のように、テレビやSNSによる情報社会では、世界中の出来事をあっという間に共有してしまいます。先ほど今年の日本レコード大賞が、フーリンの「パプリカ」に決まりました。それを観ていて、園の子どもたちも大好きな歌だということに併せて、これだけ同じ人間が同じ歌を短期間に共有してしまうことに、改めて現代の情報社会は「すごいことかも」と思ったのでした。

せわしなく過ぎていく現代社会の時間。私のように物心ついたときにテレビがない時代を知っている者は、テレビやラジオが常に何かの情報を流している場所は苦手です。静かに瞑想しながら、自分の思いと向かい合う時間が好きです。常にイヤホンで何かを聞いている若者たちの生活スタイルを見ると、全く別の人たちのように思えてきます。情報が多すぎると、なんでも受け身の頭になってしまい、自分で考えることができなくなってしまうのではないかと心配になります。多過ぎる情報を処理しなければならない時、生きていく上で「本当に大事なこと」だけに専念できたら幸せだろうなあと思う時があります。その大事なことを思い出させてくれるのが「むかし話」です。

「むかし話」には、ある種の物語のパターンがあリます。正直者が幸せになり、欲深い者は幸せになれません。その典型が「ねずみ浄土」でしょう。おじいさんが山でおむすびを落として転がって落ちた穴には、ねずみが住んでいて、おむすびのお礼におじいさんを歓待して、歌を歌ったり、餅をついてご馳走を振舞ったりします。帰りにはねずみの宝の打ち出の小槌まで贈ります。それを知った欲深い隣のじいさんも穴に入っていきますが、にゃーお、と猫の鳴き声で驚かしたりするので、ねずみはいなくなり、真っ暗な中を土を掘って外に出ようとして、欲深い爺さんはモグラになってしまうのです。

これと似た話はたくさんあって、どれも幸せは「身の安全」と「富」。それに「結婚」して幸せに暮らしましたとさ、といった話が共通しています。昔の人たちが大切にしていた生活の中の幸せです。そうしたことを思い出しながら、年の瀬の情報に触れていると、色々なことが多すぎて疲れてしまいます。

もっとシンプルに、自分で感じ、自分で考え、自分で想像する時間を持つこと。資本主義社会である限り、消費行動を誘引する情報に満ち溢れています。それに受動的に巻き込まれるままにするのではなく、どこかで「線引きする力」がどうしても必要です。そのためも、自分一人になって、染み付いてしまっている、無意識に働いている行動や考え方に気づくことも大事です。自分にどんな傾向があるのかを自己認識することにもつながります。精神性を開発する時間を意識的に作り出しましょう。それが除夜の鐘の意義に通じるはずだからです。

年の瀬と「美」の極め方

2019/12/29

生活の中に「美」があるとすると、年の瀬はそれに拘りたいという意識が鮮明になる気がします。それはこうするもんだんだよ、という日本の「伝統的作法」を目撃することが増えます。日本ならではのカウントダウン、といってもいいのでしょうが、その時の刻み方の中に、なが〜い時間をかけて濾過したり、純化したりした技が覗きます。

それは例えば、食事がわかりやすいかもしれません。年の瀬になると、ふだんとは違って、色々な調理の仕方を再認識することが多くないでしょうか。帰省すると子どもの頃食べた味と再会できたり、味覚が幼少の記憶を蘇らせたり、思わずその味がエピソードを思い起こさせたりしますよね。美味しいものを食べたくなるとき、味のルーツを求めたがる自分がいます。

そんなことから、久しぶりに会った親戚と「せっかくだから」と今日は神田の老舗店で「なべ」を食べたのですが、そこには海の幸、山の幸がそれぞれ「どうぞ召し上がれ。どう、美味しいでしょ」と迫ってきました。長い間、多くの人がこの味を美味しいと賞賛してきたことを思うと、ちょっと大げさかもしれませんが、味を通じて、その世代を超えた江戸文化のコミュニティに参画している、といっていいのでしょう。伝統の味を体験するというのは、きっとそいういう時間軸を感じながら味わうことなのでしょう。帰省されているみなさんも、故郷の味に、懐かしさの時間を感じていらっしゃるのではないでしょうか。

もう一つ、美味しさには「産地」「仕入れ」のこだわりもあります。日本の食文化を「持続可能な社会」にするためにも、そのこだわりの価値を共有することが大事だと思います。特に海外の人にも説明できることが間違いなく必要な時代になります。どうやったらこんな味になるのか、そこは老舗ならではの秘伝の技が隠されているわけですが、その要素の主役は、やはり「ネタ」でしょう。それを美味しいと感じるように、作りあげてきた伝統の作法は、無条件に受け入れ賞味したいと思えます。

日本食は餅をついたり、魚を焼いたり、根菜を煮たり、茶碗ごと蒸したりしますが、そうした調理方法と食具を編み出して、味を極めようとする営みは、人間だけが持つ好奇心のなせる技です。大人が「美味しい」と食べるとき、その側に子どもがいること。子どもは、風景としてそれをよく覚えているものです。それが食卓を家族で囲むことの大切な意味の一つです。

2019年のごあいさつ

2019/12/28

今日で年内さいごの保育園もおしまいです。
2019年は、千代田せいが保育園の皆にとって、すべてが「はじめて」の年でしたね。

「今年はほんとうにあっという間だったね〜」なんて話が飛び交っていましたが、それと同時に、みんなの姿を思い返すと、様々なドラマや成長があった1年だったなぁと思います。

担任にとっては、かわいい子どもたちと出会うことができ、毎日一緒に過ごせることが幸せな1年でした。
日々 保育園での生活をあたたかく見守り、支えてくださるお家の方々に感謝しております。いつも本当にありがとうございます。
これからも、お家の方々と一緒に、子どもたちの成長を支え合い、喜び合っていけたら嬉しいです。

 

また年明けに、元気な姿を見られることを楽しみにしています!

 

↑ take1 から take50 くらいまで撮りました😳選りすぐりの5枚です ♪ ♪

 

今年最後の保育

2019/12/28

今年最後の保育が先ほど終わりました。これで千代田せいが保育園の今年の保育が終了です。子どもがいなくなった保育園は、そこから始まる仕事があります。今日に限らず記録をとったり、おもちゃを消毒したり、加湿器を洗ったり、明日の準備をしたり、掃除をしたり、火の元を確認して戸締りをして終わりです。でも今年最後の今日は、水槽の水換えやら、クラスの仕上げの掃除やら、整理整頓やら、正月の飾りをしたりといった仕事がありました。

掃除は、お楽しみ会が終わったあたりから、先生たちがエアコンの清掃や道具の片付けなどをしてくれていますが、今日は最後に事務長と2人で運動ゾーンのマットを全部あげて綺麗にしました。また玄関周りやベランダの落ち葉を拾い上げて、元の状態に戻しました。さて、綺麗さっぱり、これで新しい年を心置きなく迎えられます。

 

2019年ありがとうございました

2019/12/28

はやいことに、今年もあと数日で終わりですね..

今年一年、本当にありがとうございました。

4月に入園し、早9ヶ月..

お友だちとの関わりが深まり、出来ることがうんと増えたぐんぐんさん!

日々、子どもたちの成長を感じ、保護者のみなさまと一緒に共有しながら見守っていけた時間がとっても楽しかったです。

2020年もみんなのとってもかわいい笑顔がたくさん見れますように😊✨

2020年もよろしくお願い致します。

よいお年をお迎え下さい♪

しょうごくんおめでとう!

2019/12/28

12月29日はしょうごくんのお誕生日なので、一足先に園でもケーキの紙芝居でお祝いしました!

3歳になるよ~!とポーズを見せてくれるしょうごくん!なんともかわいらしいです😊

ケーキをぱくり😊

皆もぱくりと食べました😊

しょうごくんお誕生日おめでとうございます😊

納会と挨拶回り

2019/12/27

(新しいパンフレット)

 

世間一般は今日が仕事納め。役所が今日だから、それにならう会社も多いのかもしれません。保育園は働く家族のためにあるので、仕事から帰って来る方々をお待ちしてから私たちの仕事も終えることができるのですが、もちろん明日も仕事がある方もいらっしゃいますし、実は年末年始こそ、忙しくなる仕事が結構あります。当園は年末年始の保育はありませんが、それを切実に必要とされている方もいます。

今日は、色々な方と年末の挨拶をしましたが、当園の警備会社の担当の方は、「年末年始が本番ですよ」と言います。イベントの警備がこれから始まるのだそうです。またマスコミ関係の方とお話しすると、はやり年末年始の休みはないに等しいほどの忙しさ。仕事の分野や当番にもよりますが、なかなか休めないそうです。

神田ふれあい橋を渡っていると、会社の納会でしょう、食料をたくさん抱えたスーツ姿の一群と出会いました。私の前勤めていた会社では、社長が各局を回って来ていましたが、大抵午後3時か4時には仕事は終えて、会食が始まります。それが終わると外へ出て宴会、というのが多かったパターンでしたが、最近の会社のことはわかりません。色々と変わっていることでしょう。

何より、子どものいる家庭にとっては、会社の都合が優先されると家庭が回りませんから、子育てに優しい会社の習慣に変えてもらいたいものです。酒の席を利用した懇親という昭和の発想では、平成生まれ感性にマッチしないこともありそうです。何をどのように共有するか。組織のワンチームの作り方とも関係しそうな仕事の納め方です。

こうして毎日日記を書いていると、オフラインの世界では「良いお年を」と挨拶させてもらいましたが、ネットの世界では大晦日まで年末が続きます。

年の振り返りとご挨拶

2019/12/27

四月から始まった新しい保育園生活も年の瀬を迎える時となりましたが、新年も実りある豊かな毎日を子どもたちと過ごしていきたいと願っています。

 

乳幼児期の子どもは木でいう「根」の部分で例えられますが、仮に「木」であったとした時に、毎日人工的な栄養物やハウス栽培で管理するような体験や決まった関りの環境下ではなく、自然の光、風、鳥や虫、月や四季、文化や人といった様々なものの中にいながら時には雨や嵐のような体験も子どもたちにはさせていってあげたいです。  そんな生活を保障するためには、愛情に満ちあふれ、彼等の成長を心から信じている信頼のある大地を私達保育園や保育者、家庭や他の保護者、社会全体で土を耕してあげたいですね。

絶対に折れることがない、その子それぞれの木の実は成人の時に見られます。長い道のりですが先ではなく、今を心から祝福したいと思っております。

本年もありがとうございました。新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。

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