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見守る保育(保育アーカイブ)

じゃれ遊びについて

2019/12/15

保護者のみなさんは、じゃれ遊び、やった事ありますか? この楽しさはやったことがないとわからないのもだと思います。この遊びの感触を説明するのは難しいんですが、ここがポイントじゃないか、と感じることは、じゃれているときは「気持ちがいい」んです。

一言で「楽しい」と言っても、その中には色々なものがあって、浅い楽しさや深い楽しさがあったり、長く続く楽しさや一発芸のようにすぐに終わってしまう楽しさもあります。声をあげて笑い転げるような可笑しい楽しさもあれば、黙々と観察したり絵を描いたりしている黙々とした楽しさもあります。

いろんな楽しみ方があるなかで、じゃれ遊びの楽しさはちょっと格別なものがあります。決して品位が高いようなイメージはなくて、どちらかというと、「そんなもの!」と軽蔑されかねない、低俗なものと思われがちです。幼い子どもがやることであって、そんなことばかりやっていたら、もうちょっと気の利いたことをやってくださいと言われるんじゃないかと、ちょっと恐る恐るやらないとけないような、なんだかそんな扱いを受けがちな遊びかもしれません。

こんな風に書いてくると、読んでいる方は、きっとじゃれ遊びは、そうじゃなくてこんなにすごい遊びなんだと、話はきっとそういう展開になるじゃないかと期待される方がいらっしゃるかもしれません。申し訳ありませんが、じゃれ遊びはじゃれ遊びでしかありません。

ただ、「気持ちいい」という感覚が残る遊びというのは、脳の深いとろこにある欲求が求めているものです。彼ら彼女らの「食いつきぶり」と言ったらありません。これでもか、これでもかと求めてきます。何か飢えていたものがこれだったのか!と思えるほどに、執拗に求めてきます。ですから園長の朝の運動タイムは最近は私がわざと子どもたちの中に入って遊んでいます。見守るどころじゃありません。こんなに求めてくるのは、明らかに愛着(アタッチメント)の欲求なのですが、それをこんなにも多くの子どもたちが求めているという事実をちゃんと踏まえておく必要があります。

この根深い大切な欲求が満たされていないという事実は、結構重要です。心の安定にとっては、最も大切なもだからです。子ども同士がじゃれ合う遊びをたくさんやることで、心は落ち着き、自信も育っていくでしょう。

私が心がけていることは2つあります。一つは子どもが子どもと体を寄せ合い触れ合うことは、脳の育ちにとてもいいことがわかっているので、できるだけ多くの子どもたちが、この遊びをやってほしいと思っていること。二つ目は、単純な遊びながら、見立て遊びのスパイス(例えば沈没船ごっこやおばけごっこ)を入れると、とても盛り上がり、誰もが「じゃれ遊び」の入り方、作り方を知ることができるようになってほしいと思っていること、です。

私が即興で見立て遊びで「うそっこの世界」を設定すると、子どもたちは「ぽ〜ん」と身も心も投げ入れてきます。その間髪を入れない貪欲さは、本当に求めている遊びなんだろういと感じます。

ちなみに私が船役の沈没船ごっことは、「この船は高い波がくると沈没します。しっかりとおつかまりください」とアナウンスするだけで、ゲラゲラと笑い転げます。子どもたちは高い波がくることを求め、実際に船がひっくりかえり、そしてそれを元に戻す。その過程で、子どもたちが色々な役割を演じてくれます。船から落ちないようにしがみつきあうことが、この遊びの隠れたキー体験になっています。(私が船役なので、写真がありません)

生活の中の声、言葉、椎茸の天ぷら

2019/12/05

◆「にこにこさん、通っていいよ」。

サンタからの手紙が届いているか、確かめに来た3歳のNKくんと4歳のYSさんの2人。NKくんが「今日はよん?いつつ?」とか「ごにちと書いて5日っていうんだよ」とか話していると、ちょうど散歩に出かける2歳クラスのにこにこ組の子たちが降りてきました。そこで私が「あ、にこにこさんが降りてくるから、ここにいると靴がとれないかな」と、にこにこの先生にいうと「大丈夫です。靴は、こっちなので」と先生からの返事。2人はその会話を、聞いていたのでしょう。二人らしいなあと、笑ってしまったのですが、座っている場所は変えずに、足を上げて、冒頭のようにいったのです。

◆英語でおかえり!は何ていうの?

散歩から帰って来たらんらんのUKくんが、坪井先生に聞いています。「英語で、ただいまあって、何ていうの」「アイム・ホーム、じゃない」「じゃあ、おかえり!は?」。いい会話だなあ、としばらくその会話を聞いていました。すると、らんらんのNJくんが、「アイム・ハロー」というから、私が「それじゃあ、僕は今日は、になっちゃうんじゃない」。それを聞いていた、TRくんも、英語らしい発音で何かそれらしい口調を真似していました。英語を喋りながら遊んだり、食事をしたりできる方を探してみようかな?

◆「言葉かけ」という言葉への違和感

11月8日にある大学へ講義へ行きました。その感想と質問が届き、先日返事を返したのですが、その中に数人の学生さんから「子どもの言葉かけで気につけていることはありますか?」とか「どのようなこえかけと接し方をしていけばいいのか?不用意な声かけをして、よくない影響を与えてしまうのではないか?」、あるいは「子どもの気持ちに共感するには、どのような声かけをするべきでしょうか?」といった具合に、何度も「言葉かけ」とか「声かけ」という言葉が使われていました。私からは「言葉かけ」という言葉に違和感を感じてほしい、という返事を次のように書きました。

<(略)・・・まず「言葉かけ」という言葉に、違和感を持って欲しいですね。Eさんは普段の生活で家族や友達に「言葉かけ」なんてしますか? 園生活も生活です。この言葉の由来は、学校での指導のための教育心理学と対応して生まれた教育技術の言葉です。子どもたちと自然な会話をすればいいだけです。

ですから、子どもに教育的な語りかけをしないといけないという先入観をまず捨ててください。その根拠を知りたい方は、『心理学と教育実践の間で』(東京大学出版会)などを読んでみてください。

語りかけることよりも大事なことは、子どもが何をしたがっているのか知ろうとすることです。それがあって、先生が何かに気づいて、「あ、そうか!」があったら、その上であなたの中に何か自然に湧き出てくるものです。それが援助内容なのです。そのつながりが大切なんです。それが「保育のプロセス」になることを押さえておきましょう。・・>

◆なにも言わないという働きかけ

今日、私の中に起きた、「あ、そうか!」は、12時前にお散歩から帰ってきた「わいわい」「らんらん」さんの姿を見たときに閃きました。閃いたことを、先生に伝えました。「この子たちに先生たちは何も言わないで、自分で何をすればいいか考えられるようにしよう」。先生たちが玄関でつい色々言っていた言葉を全く封印して、どうなる見てみました。すると、面白いことに(と言って子どもたちに失礼ですが)、自分で外履を脱いで上履きを靴箱から出して入れ替え、上履きを履いて、水筒を下ろして帽子とコートをかけて全員3階まで登ることができました。

(こう書くと、なんだか当たり前すぎることですね。そんなことも自分でまだできなかったのか?と思われるかもしれませんが。でもそれすら、なかなかできなかったのが現実なのです)

途中で、帽子の紐が絡まって「やって」と助けを求める子が一人いましたが、それ以外全員が自分で考えながら3階まで登って行きました。この子達は、全員できるんです。自分で考えて次はどうするのかも知っているし、大人の「声かけ」はいらないのです。その代わり、先生たちと打ち合わせて意識して声にしたのは、「だいぶ大きくなった椎茸を収穫しなきゃ」とか「お昼ご飯はすき焼き風煮物だって、お腹減ったなあ」とか、「調理の先生が椎茸を天ぷらにしてくれるそうだよ」とか、そんな会話を子どもたちに聞こえるように話しました。

椎茸の収穫の話が聞こえた子は「僕もきのこやる」と言ってきました。自分なりに次の行動に移し始める子ども達です。その中で、困ったことやあれば「やって」「できない、手伝って」などを言えるようになっていけばいいのです。大人は黙って手を出してやってあげてしまいますが、自分でできるようになっていくように助ける。これが大切なことだと思います。

椎茸の天ぷらは、大好評でした。

 

 

 

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