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2020年 6月

これまでに分かったことから次の一手を

2020/06/30

2020年も半年が経ちました。今日は八王子市の「せいがの森こども園」へ行って七夕用の笹の木を自動車で運んだのですが、その運転中に、この半年のことをいろいろ考えました。実際のところ、この半年でいろいろなものが変わり、いろいろなことが分かりました。COVID-19によるサイトカインストームの仕組みもわかってきましたし、日本に限っては感染率も死亡率も治療薬やワクチンのある季節性インフルエンザよりも遥かに低いことがデータから分かります。それにもかかわらずマスコミはちっとも報道しませんでした。新型インフルエンザと違って指定感染症にしたために厚労省の結核感染症課と感染研に権限が集中してしまって、他省の資源が使えなかったことや政府全体の機動性が確保できなかったこともわかってきました。また、なぜ日本が感染者が少ないのかというファクターXはウイルスのゲノムの違いによることもわかってきました。さらに7月以降の課題は「予防」としては変異したウイルスを海外から持ち込ませない水際対策の徹底と早急なワクチン開発であり、「診断」としては全自動CPR検査機の大量導入が不可欠であり、「治療」としては治療薬の開発と医療体制(重症患者の治療と軽症者の隔離)の再構築です。ただ、それに加えて、これらよりも先に7月にやらないといけないのは、政府も東京都も「経済は止めない」が大前提になってきているので、要所適時にモニタリングをして予兆を掴む体制を作り上げることです。学校や保育園や老人施設は、サンプル調査をして、子どもの不顕性感染率を明らかにして欲しいものです。そうしないと、いたずらに不安が続き、家庭でも園でも安心して子育てができません。ぜひやっていただきたいものです。

 

子どもが自分で感じて、考えて、決めることを大切に

2020/06/29

 

園だより7月号 巻頭言より

◆保育で大事にしていること

新しく入園した方もいるので、当園の保育方針の話を少ししましょう。園が大事にしている保育は、大人が子どもに言葉で言ってさせる保育の真反対です。自分でやろうとしてやれるようになる自立を目指します。やれない時は人に頼んだり、どうしたらやりたいことができるかを聞いてくるような子どもになって欲しいと思っています。

◆元園長「自律できる子を育てたかった」

昔、大阪の公立の元保育園長から次のような話を聞いたことがあります。「トイレにいく時間だよ、手を洗いなさい、静かにしなさいと、言って育てた子どもたちが小学校や学童に行ったらお漏らしをしたり、手洗いを忘れたり、人の話を聞けない子になってしまいました。自分で行きたくなったらトイレに行く、気持ち悪いから手を洗う(手を洗うとさっぱりして気持ちいいからやる)、うるさいと大切なことが聞こえないから静かに聞く、そうした自律(反対は他律)を育ててあげないと、困るのは本人なのです」という話です。全くその通りです。目に見える行動面ばかりではなく、子どもの精神面にも同じことが言えます。子どもが自分の考えを持ち、それを人に伝え、決定する力を育むことは、子どもの人権を守ることと等しいと私は考えています。

◆自分で感じて考える体験を

大人が望む行動ばかりを口やかましく言って聞かせることを繰り返していたら、子どもは自分でやるという体験ができなくなってしまいます。自分が自分で心に決めること。やりたいことを自力でやってみて、その結果を正面から見つめ、責任感を感じること。自分が原因で物事が変わる経験をすること。こうしたことには、うまくいかないことや失敗がつきものです。しかし自分で決めてやったことは、人のせいにできないので、自分を知る経験になっていくのです。「だから言ったでしょ」という思考は禁物です。実際に自分で経験して考えることが大事なのですから。この経験が希薄な子どもたちが多くなっているように感じます。可愛さゆえの大人の過干渉です。子どもに感じて、考え、迷い、揺れ動く幅を大きくとってあげてください。そのレンジが大きければ大きいほど、大きな成長を見せてくれます。

◆自分のことは自分で決める

この自由度が少ないと、子どもは自分で決めたいことを求めて、いうことを聞かない、返事をしない、大人が困ることをする、という反応パターンに嵌っていきます。また、それを否定されるともっとやります。これでは悪循環です。子どもが「自分でこうしてみた、そしたらこうなった、だから次はこうしてみたい」という好循環を作り出すには、大人は子どもが自分の力で自ら歩き始めるように、子どもを信じてじっと待つ、という子育ての構えを持つ必要があります。

◆子どもができることを信じましょう

子どもが自分で考えて、自分で行動に移していく過程をこそ、一緒に育てましょう。言って聞かせてできるようになるのは「他律」です。そうではなく、自分のことは自分で判断して適切な行動が選択できる、自律した姿を目指しましょう。そのための第一歩は子どもを丸ごと信じることから始まります。良いこと悪いことの決まりは伝えながらも、自分で決めて判断して行動に移せるように支えていきましょう。

見る力と学びの関係

2020/06/28

写真は歯科検診(6月25日)

子どもが何を考えて、どうしたいと思っているのか、それを言葉で人に表現できるようになる前と後で、本人の気持ちの整理の仕方はどう変わるのだろう。言葉にしなくても、表情や仕草や行動で伝わっていたのに、それだけでは伝わらない内容を心に抱えていることが、子どもにはあります。もちろん、大人もありますが。その思いが自分だけの世界で「〜というわけでした、マル」と完結しているならともかく、まあ、人間である限り、そんなことはあまりなく、誰かにわかってもらいたいという気持ちがあるものです。

これは人間だけが強く持つものなのですが、世界と自分を表すための道具としての記号、つまり表象を持つことができるようになった人間は、言葉もその表象の1つですが、その表象の世界の中に入り込んで、学び始めるということが起きます。没頭して遊んでいる時がそうです。また、昨日の日記で紹介したMちゃんが、モビールを触ってみたことで、それまでの「それ」とは全く異なる対象として「見る」ようになった時、モビールをじっとみているだけでも、それまでの「見る」とは意味が全く違う学びが生じていることになります。もし、また触りたいな、という思いが強ければ、それを見るたびに自分との感情的な対話も生じて、いつになるかわからないけど待つ、という能動的な「待つ力」を育む機会になっていくでしょう。見ることが学びにもなるのです。

その条件は、繰り返しますが、自分の世界の中に位置づくことです。その対象がMちゃんにとってのモビールのように、あるいは、ちっちのブログにあるようにAちゃんやYくんが「見た」くるくるチャイムのように、私もやってみたい、僕もやってみたいという興味の対象となっているような場合です。反対に節分に鬼が来たり、フェイスシールドをつけた歯医者さんが来て怖い体験をしたり、嫌な体験をしても、その対象は、避けたいものとして、その子の世界の中に位置づくわけで、これも「見る」こと、観察すること(思い出すことも含めて)が学びになっていくのです。どうやったら避けられるか、考える、みたいに。反対に、少し大きくなると怖いもの見たさ、というのもありますが。

そこに言葉が獲得されていくと、その自己の内面世界を「言葉」で再表現できるようになるわけですから、世界と他者と自分の3つの関係が「串刺しになって」(汐見俊幸)いく学びが、ダイナミックに展開されていくのです。面白ですね。子どもがそばにいることの面白さ、子育ての醍醐味は、その様相を大人が直に知ることができることにあります。子育ての楽しさを知るには、子どもの世界に私たちが入り込むことに限りますね。

1歳5か月の子の学び

2020/06/27

(写真は木場公園 6月26日)

 

土曜日の保育で子どもの様子を見ていたら、歩けるようになったMちゃんが自分で移動でき、移動していった先の物や人との出合いを楽しんでいました。時々、私に寄ってきて指を差すので、それに向かって一緒にいきます。たまたま、だったのですが、天井から下がっているゾウさんや、松ぼっくりモビールを指差すので、「あれ見て、ほら面白いよ」と私に教えてくれているかのように感じたので、抱っこしてあげて、それにだんだん近づいていくと、手を伸ばして触りたいような仕草をしたので、体を近づけては離し、近づけては離し、と触れそうで触れない、触れそうで触れない、と遊んでいたら「キャ」っと笑い出しました。遊んでもらっているということが十分に分かっているようです。そして、ついに触りました。とっても嬉しそうです。(本当は、触って遊ぶものではないのですが)

赤ちゃんなりに見ているものについて、こうしたい、という考えがあって、それを私に指差して教えてくれます。私のほうは、当てずっぽうで、こうしたいという意味かな?と想像して対応します。「Mちゃん、そうなの、触ってみたいの、そうか、よ〜し、できるかな、・・・(チョンと触る)あ、揺れたね、面白いね、Mちゃん、触ったら揺れたね、よかったねえ、ねえ。・・ん? もう一回、またやりたいの、よ〜し、ほら、・・(またチョンと触る。そして握ろうとする)。あ、掴んだね、ざらざらしているね」

こんなことを数分繰り返しているうちに、Mちゃんと私の間にモビールという第三項が位置づきました。当分は「あれ」という言葉でしかありませんが、Mちゃんの中に関わりの中でえたイメージが興味の対象として輪郭を持ったことでしょう。こうして言葉を獲得しているのですが、最初から興味があったわけではなく、私という関わりの中で、もう一度自分のものになっていった世界との出合いが成立しています。

このように子どもからみたときの対象を「見る」ということが、それまでは、ただ漠然とあった周囲のいろいろなものの中から、自分の世界の中の対象となったとき、見ることで発見された世界との関わり方が始まったと言えるでしょう。大人もこうして、今までもみていたはずの世界が変わって見えてくることがたくさんあります。子どもたちもそうして毎日、小さな気づきを積み重ねているのですね。

モンシロチョウを追って・・

2020/06/26

木場公園に出かけてみると、子どもたちがまず立ち止まったのは、目的地として想定したた芝生広場ではなく、そこへ着くまえの、駐車場と道路の間にある大きな樹木並木の根元でした。駐車場のアスファルトから黒土の地面へ足を踏み入れると、7人のらんらんさんは、どの子も枝や葉っぱを拾い始めたり、ワラジムシやダンゴムシを見つけたり、何の実だかよくわからない丸いものやら、根っこに土が絡まったモジャモジャした塊などに「何かあった」「みて、これすごいよ」と子どもたちが群がります。この姿に、子どもたちの「いま」をみる気がしました。バスの中で「今日何したい?」という小林先生の質問に「ダンゴムシ探し!」「蝶々をとりたい」と答える子どもたちだったのですが「ナルホド、もう、ここでそれが始まるんだ!」と妙に感心しました。

芝生広場に着くと、子どもたちをずっと惹きつけ続けたのは、やっぱり「蝶」でした。モンシロチョウの仲間のチョウが、ひらひらと芝生の中を蜜を探してとんでいるのを見つけると、走り出す子どもたち。それがずいぶんと遠くまで、飽くなき追跡が始まるのです。T君やK君が追いかけ始める後を私がついていくと、緑の帽子を網ががわりにして、葉の上の止まった蝶に帽子をかぶせて生け捕りにしようとします。が、そう簡単に捕まらないのが蝶の舞です。その蝶との鬼ごっこはかれこれ40分以上は続いたでしょうか。どうしても自分でとるんだという執念に近い情熱を感じます。この気持ち、わかりますか? 私も少年時代に確かにあったな、という感覚を思い出しながら、虫を捕ることにひたすら没頭した子どもたちのこの時間は、他では代替できない時間であることは間違いありません。

虫に興味のない方のために、日本で代表的な虫好き3人男(養老孟司・池田清彦・奥本大三郎)の鼎談を『虫捕る子だけが生き残る』(小学館101新書)からご紹介しておきましょう。

池田 「自分でいろいろ工夫して、我慢して、やっとの思いで捕れたときの喜びって、何物にも代えがたいですよね」

奥本 「標本を買っても嬉しいんだけどね」

池田 「欲しいものが手に入ったという意味では嬉しいですけど、自分で捕ったらやっぱり喜びもひとしおで」

奥本 「それは比べものにならないね」

養老 「そいういう喜びを、今の子どもたちにも味わってもらいたいということです」

この本の「まえがき」で池田氏は「虫捕りには、創造性、忍耐力、反骨精神などを養う、すべての要素が詰まっている。もし、あなたが、あなたのお子さんの人生を楽しく、有意義なものにしたいと願っているのなら、是非「昆虫採集」と「昆虫収集」を薦めたらよいと思う。(あなたではもう遅い)。金持ちになるかどうはか保証の限りではないが、幸せになることだけは約束しようではないか」と述べています。

虫が捕れた子も、捕れなかった子も、それぞれに喜びや悔しさを味わった1日でした。

新規入園園児の育児休業延長は9月末まで

2020/06/26

 

6月25日(木)夕方、千代田区より以下の案内が届きましたのでお知らせします。内容は3点あります。5月22日付通知で、6月以降の保育について、登園自粛の協力依頼がありましたが、このお知らせは、7月以降の見通しについてです。

20200626育児休業の延長は9月末まで

(1)4月5月に入園された方で、休園等の影響で育児休業期間を延長された方は、復職時期の延長期間が9月末までになりました。

(2)求職活動で入園された方は、3か月の求職活動期間がありますが、休園等でその活動ができなかったので、その期間を6月、7月、8月の3か月とします。ただし、社会情勢によっては期間が延びることもあります。

(3)引き続き登園自粛をされる場合も9月末までになります。

 

 

あれから1か月経って・・

2020/06/25

◆歯科検診がありました

今日は歯科検診がありました。その結果をお渡ししまたので、治療が必要な歯や要観察の歯があります。大事な歯です、しっかり守ってあげてください。

◆バス遠足のお知らせ

幼児クラスで始まった「バス遠足」の保育方針について、今の子どもたちの様子を踏まえた「ねらい 」を担任がお知らせしました。ホームページの「お知らせ」をご覧ください。

◆7月1日から絵本の貸し出しを始めます

園からのニュースをご覧ください

◆水遊びの準備

昨日24日(水)に屋上に目隠しのための葦簀(よしず)を張り、来月7月からの水遊びの準備を整えています。大型のパラソルも設置しました。梅雨といっても晴れると30度を超える真夏日になるし、雨が降れば九州北部のように豪雨や河川氾濫の危険性があるしと、自然の動向には全く気が許せません。

◆あれから1か月

緊急事態宣言が解除されて今日25日(木)で1か月が経ちましたが、予想されたとはいえ、東京の新型コロナ感染者は多分、このままでいくと100人まではあっという間に増えていくでしょうから、その時になって、また慌てる姿が目に浮かびます。多くの人が思っているのが「50人ぐらいで納めているんじゃないか」という濃厚接触者の判断の仕方です。

◆一人ひとりの自覚に委ねられて

このように、一人ひとりの「自覚で防ぐ」しかないという道を歩み始めた日本ですが、本当に3月はそれができなかったけど、学習効果で6月ならできる、できてほしい、そんな見通し(願い)なのでしょう。はやり祈らずにはいられません。新型コロナの威力が弱くなっていることを、です。つまり感染者の数は増えていっても、症状がないか軽症で終わるという人ばかり、という結果であって欲しいものです。せめて重症化率を出してもらいたいものです。

◆とにかく感染源を持ち込まないために

大事なのは、はやり感染源を家庭内や保育園内に「持ち込まない」ということです。大人は、しつこいぐらいに外の社会で3密を避ける行動を断固として続け、手洗いと消毒を続けましょう。

 

今年度で2回目になるバス遠足

2020/06/24

今年度で2回目になるすいすい組のバス遠足は、私は今回も留守番でしたが、その間、3階の運動スペースでずっとメリーゴーランド遊びをやってました。わいわいグループ9人が40分、らんらん組8人が40分ずつ、緑の丸い円盤状の遊具に2人から4人が乗って、その揺れる感覚を愉しみました。

この「感覚を愉しむ」というのは、実は結構、深い話なんです。ちょっと感じてほしいのですが「愉しむ」と「楽しむ」の違いをリアルに感じることができますか? 「愉しむ」には「味わう」という言い方がしっくりとくる愉快な感覚があります。例えば、わかりやすいかどうかはわかりませんが、ワインを愉しむ、葉巻の香りを愉しむ、コーヒーを愉しむという言い方がありますよね。これと同じ意味合いで、子どもたちは、全身の感覚を全開にして身体の眩暈(めまい)を愉しんでいたのです。

遊びを探求した哲学者ほ何人もいますが、眩暈を遊びの重要な要素だと指摘した人に、ロジェ・カイヨワがいます。彼は遊びの要素には、模倣と偶然と競争と眩暈があると分析しました。保育学のなかで、ホイジンガと並んで必ず学ぶ理論です。この眩暈を味わうと、結果として「酔い」ます。しかし、人間はこれを望む強い欲求を持っています。その証拠は、遊園地やディズニーランドのアトラクションです。これらは、まさしく「眩暈」を味わうための仕掛けです。今日の遊びの名前が「メリーゴーランド」や「コーヒーカップ」という名前になったのも、そうした消息を嗅ぎ分けていたからなのでしょう。

子どもが、なんどもやりたがることには、発達の意味があるのです。何かを身につけているプロセスなんだろうと思えます。眩暈の体験で子どもには何が育つのでしょうか。もしかすると、この問いかけが、間違っているのかもしれません。つまり、眩暈を感じことが何かのための手段ではなく、ヒトが初期設定されている欲求を満たしているのかもしれますせん。その説明に説得力をもたらすエビデンスは、おそらく進化論でしょう。模倣と偶然と競争と眩暈を必要とした700万年にわたる人類進化の過程があったからでしょうから。

今日のニュース

2020/06/23

新しいことってなんだろう。これまでにないことを「〜になったのはこれが初めて」というフレーズを何度も書いてきた新聞記者だった私は、保育の中で「〜をしたのは初めて」と言えることは何だろうと考えてしまいます。コロナ対策でリモート保育を行ったのは初めだったし、ズームを使ったマムズサロンを開いたのも初めてでした。でも新しいことに意味があるのではなく、その目的を達成させるためにとった手段が初めてだからといって、それ自体に価値があるとは思えません。大事なのは目的が達成できたか、という方です。それなら、こんな目的が達成できたのは初めてです、と紹介できるようになりたいのですが、そういう意味の「初めて」なら毎日、どの子にも起きていると思います。今日23日に私が接し、会話をかわし、気持ちを通じ合わせた子どもたちは、初めての体験や言葉と出合っていることがわかります。

朝Yちゃんは、上履きを履き終えるまで「ちょっと待って」と、おかあさんが先に上へ行かないようにと自分で頼んでいました。Kちゃんは「にこにこ組」の丸テーブルおもちゃを広げてお母さんに「いってらっしゃい」と微笑んでいました。Jくんは折り紙で折った飛行機の翼をセロテープで止めるかどうか迷っていました。Hくんは私と乗り物の図鑑を広げながら新幹線のことを教えてくれました。Uくんは昼食のスイカの皮をミミズにあげたいけど袋がほしいと頼みにきました。屋上で収穫したナスやピーマンやきゅうりを握った子どもたちは1階の事務室まで見せにきてくれました。その野菜は浅漬けにしておやつの時に食べました。Sさんは野菜には長さや匂いや色や形が違うだけではなく「ふくらみ」も違うということを発見してくれました。

これらの体験は大人にとっては何も新しくないでしょうが、この子たち一人ひとりにとっては「ニュース」なのです。だから「みてみて」と「ちょっときて」と、大騒ぎになったり、知らせたくて仕方がなかったりするのでしょう。SさんとJくんにとっても、言葉を通訳してくれる符さんがいてくれて、明らかに笑顔がいっぱいでした。こんなに楽しそうに園生活を過ごしてくれるのですから、自分の気持ちや思いが言葉で通じていくということの大切さを改めて実感しました。そういえば、これが私の今日一番のニュースです。

ストレスが現れる時期です

2020/06/22

6月は祝日がないので毎年少し長く感じますが、特に今年の6月は長〜く感じます。とても大きな変化があった節目の月だからですが、梅雨に入って気候の変化もあり、また溜まっていたストレスが、吹き出してきやすい時期なのかもしれません。こんな時は精神的なケアが大事だと、自らに言い聞かせながら、できるだけ気持ちを落ち着かせていくようにしましょう。私も含めて頑張ってきた私たち大人は、イライラしてしまいがちな時期に入っていると思いましょう。

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