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見守る保育(保育アーカイブ)

第55回保育環境セミナー

2021/05/29

私たちの保育園は年間を通じて、職員の専門性を高めるための研修を実施しています。専門性の向上は、プロの保育者として欠かせない営みなのですが、大事にしていることは研修で学んだことが実践に生かされるということです。日々の生活は生活、研修は研修と繋がっていないなら、それは意味がありません。学んだことが日々の保育に生かされた初めて研修の意味があります。

そこで私たちはいくつかの工夫をしていることがあります。それはまず、誰から、あるいはどんな団体から、何を学ぶか、どんな組織からどんな内容を学ぶかというコンテンツに関わる精選の話がまず一つ。それから、学び手が学びたいという動機や意欲、何を学びたいのかという学び手の置かれている状況や文脈に即した学び方や学ぶタイミングという話があります。この二つがマッチしないと、本当にいきた豊かな研修にはならないものなのです。

この二つの学びの条件をクリアするために、私の上司の社会福祉法人省我会の理事長、藤森平司は、目指す保育理念が一致するものが集まって研修内容を作り上げることが必要であると考え、17年前に全国組織の保育環境研究所ギビングツリー(略称G T、会の名前は福祉的貢献を意味する「与える木」という題名の絵本の「ビギングツリー」から)を立ち上げました。毎年3種類の研修を計6回開催してきました。

3種類というのは、主に保育士が学ぶ入門的な位置付けになっている「保育環境セミナー」年3回、主任クラスが学ぶ「保育リーダー研修」年1回、看護師や調理員が学ぶ「職域別セミナー」年1回、そして園長や理事長が学ぶ「G Tサミット」年1会です。北海道から沖縄まで、全国に約250園の法人会員がいますが、どの園も子ども主体の保育を目指している保育園、幼稚園、こども園ばかりで、国が目指している保育を具現化している保育になっています。

今年度の最初の保育環境セミナーが5月29日(土)に開かれました。主会場は新宿・高田馬場にある「新宿せいが子ども園」で、そこでは15名が参加し、そのほかはリモートで全国から約100園が参加しました。コロナ禍の研修はリモートが増えましたが、GT主催者代表の藤森は「抽象的な話が増えて、具体的な研修が減っている。コロナ禍であっても具体的にわかりやすい研修にしたい」と、理論的な背景と具体的な実践例をセットで語りました。

今回のテーマは「空間」です。子どもが主体的に生活するためには、子どもが自発的に関わる環境が良くなければならないのですが、幼稚園教育要領や保育所保育指針では、その環境はを「人、物、自然や事象などの場」と定義しており、保育者が意図してデザインできる環境としては「人、物、空間」ということになります。今回は、まず「空間」について学び直したわけです。次回6月は、その実践事例をG T会員園の実践事例から深めます。

ケアリングが見守る保育

2021/05/21

先生たちが「子どもの関わり方」を大事に見守っている様子に、私はとても安心します。子どもが対象をケアしていることを、大人がケアしているという関係が「見守る」ことの本質だからです。ここでいうケアとは、子どもが熱中して対象と「やりとり」が生じるような環境を用意してあげることも含まれます。その様子の報告がブログで続いています。

例えば、にこにこ(2歳児クラス)の子が、ぐんぐん(1歳児クラス)のおともだちの靴をはかせてあげている姿と、それを温かく見守っている先生の眼差し。そのかかわりに注目してブログに取り上げたいほど、先生がその育ちや「やりとり」に「善さ」を見出し、またその「やりとり」の中に自然な「思い遣り」の姿を描いています。

ここでいう「自然さ」というのは、協力することの自然さです。報酬系とは無縁な脳の働きが生じています。これは強い。褒められたり、励まされてやっていることではありません。承認欲求からの行動ではないのです。「大人の出る幕はありません」という言葉が、見守れていることを意味します。

そうなんです。私は研修会で見守る保育の説明を求められた時、大人が見守るのが大事なのではなく、見守れるように子どもが育つことが大事なんです、という話から入ります。そうなるためには3つの条件が必要ですよ、と。一つが子どもの主体性を尊重すること。二つ目が意欲的にかかわることができる選択できる環境を用意すること。そして三つ目が、子ども同士のやりとりが生じるような場を用意すること。この3つです。

これが「環境を通した保育」という意味なんですが、多くの保育園との違いは、大人が、いちいち褒めたり、子どもがことさら「みてみて」と承認欲求を求めてきません。子どもに自信が育ち、大人にかまってもらう必要性が減っているのです。子どもは困った時は先生が助けてくれるという「信頼」を持っています。先生の方も、子ども同士の世界に過度に介入しません。

わいらんすいの子どもたちが「生き物」に、こんなにも心奪われている様子が、数枚の写真に表れています。カブトムシの幼虫が土(腐葉土)に、モソモソと潜りこんでいく様子を、じっと見つめている表情。ここにはカブトムシへの愛すら感じますよね。

さらに私が感動し、微笑ましく思ったのは、ずらりと並んで虫に見入っている「佐久間橋児童遊園の背中」の写真です。これはすごく面白い。写真コンクールに応募したくなるような一枚です。副タイトルは「都会の自然、子どもたちが見つめているもの」です。こんなところに、子どもたちが熱中するものがある、という子どもの目線を大切にしてあげたい。この背中の先に何があるんだろうと、関心を持ってあげる大人でありたい。そこが大人が持ちたい子どもへの眼差しであり、心配りとしてのケアリング(思い遣り)になります。

 

何かになりきって遊ぶ

2021/05/20

子どもが本気で遊んでいるとき、ある種の共通した特徴を感じます。その方向へ深まっていくものです。それは「何かになりきってみる」という傾向です。その「なりきり」が徹底されていく中に、子どもは面白さを強く感じるようです。しかも、相手とのやり取りが必要で、働きかけると、その反応が戻ってくるという、相互性が豊かな方が盛り上がります。

しかも、子どもの編み出す表象の豊かさはものすごい物があります。子どもと本当に真剣に遊んだことがある方なら、かかわり方次第で、楽しさや豊かさがどんどん湧き出てくることをご存知だと思います。子どもの心が解放された時の精神の躍動感は、圧倒的ですよね。

「園長ライオン」「フラミンゴごっこ」「鳥のブランコ」などの幼児との遊びは、動物になってみる、という「ごっこ遊び」なのですが、こんなにも楽しそうに、嬉しそうにしている姿を目の当たりにすると、この欲求の強さは一体なんだんだろうと考えてしまいます。乳児も同じです。盛んにごっこ遊びを楽しんでいます。

保育学の構造に分け入っていくと、その根底には哲学があります。昔、村井実さんの自宅で「善さ」について話を伺ったとき、ソクラテスやプラトンにはじまって西田哲学まで、何がよいことなのかを徹底的に分析してたどり着いたものですという話を聞きました。私はシュタイナー思想に染まっている、神秘主義一辺倒の若かりし時代だったので、観念主義哲学をいくらこねくり回しても存在学にはならないのに、と不遜にも「ふーん」と聞いていました。

しかし、実際に保育という仕事をする立場になると、村井さんが提唱した「善さの構造」の意味深さがよくわかるようになってきました。その村井哲学の継承者である佐伯胖さんが紹介する認知科学に基づく保育観がまた、子どもの見方を刷新してくれます。そうやって見えてくる子どもの姿や保育の形は、新しい保育のビジョンを生み出してくれます。そこに保育学の深いところにある価値創造としての保育の営みに「触れる」面白さを感じています。

実行機能と自分らしさ

2021/05/17

学びは面白い。面白いというのは「そうか!」と気づくような時で、混沌としている世界から何かの意味や構造を見出してくるような発見があるときです。この「おもしろさ」は、生きる喜びにもつながっていきます。

土曜日と日曜日に日本保育学会(倉橋惣三が創設)があったのですが、いろんな発見がありました。研究の醍醐味は、物事を首尾一貫して説明できたり、矛盾しているように思えたものが矛盾なく解消したり、お互いに影響しあっていくことが心地よかったりして、それが美しいと思えるような発見です。この4つは「善さ」(村井実)の定義そもものですが、それの視点で保育を振り返ると、いろんなことが見えてきます。驚きや感動にもつながります。

そんな「時」の流れの中で、自分の時を生きようとしているが「子ども」です。子どもは自分が自分であるために、必死で生きています。そんな「時」(セネカ)がたくさん生起するような人生だったら、忙しさを理由に時間を奪われずに(エンデ「モモ」)子どもたちの時を守ってあげられそうです。

子どものために、よかれと思って大人が作ったルールに適応できるかどうかが大切なのではありません。その差はあまり発達に関係ありません。何にでも適応できれはいいというものではなく、教育の歴史を振り返れば、何かに上手に適応できても自分自身を生きられず、もっと大きなものを失ったという事例はたくさんあります。

一見、バラバラに見えるような子どもの生活であっても、一見、子どもの言いなりになってしまうように見える場面であっても、そこには深い保育者の意図があります。本人が「何をしたいと思っているか」を本当に親身になって理解してあげようとすることを放棄してしまってば、それはもはや保育ではありません。ちゃんと子どもに聞く(倉橋惣三)ことをしないで、子どもがそうなっている行為だけを捉えていい、悪いを決めつけてしまってはいけません。

日頃そんなことを考えている時の日本保育学会で、脳科学に詳しい発達心理学者の森口祐介(京都大学)が、初日の基調講演で次のような枠組みを提示していたのです。

子ども自身が自分で目標を見つけて成し遂げいけるような脳の仕組みを「実行機能」と呼んでいます。「わたしを律するわたし」です。それを育むための保育が検討されました。面白かったのは、乳幼児に身につけて欲しいものが3つあって、その一つが、今言った自分を自分で律するための「実行機能」。2つ目が他者を理解する機能、そして3つ目が社会の中で「思いやり」を発揮できることです。

この3つは「自分らしく、意欲的に、思いやりのある子ども」の3つと関係するな、と感じたのです。その自分らしく自分であることを援助しようとすることが、まさしく実行機能を育てている事になると理解できました。他人との関わりの中でさらにそれが発揮されていくように、乳幼児のころからの積み重ねを大切にしたいものです。

 

 

環境の再構成について

2021/05/14

入園、進級してからGWも終わり1か月以上が経ち、今は子どもたちの生活がある程度、落ち着いてきた時期になります。そこで見えてくる子どもの姿は、1人ずつ異なっているのですが、それでも「その子らしさ」が際立ってくるのがこの時期の特徴かもしれません。これまでもそうでしたし、これからも、きっとそのような時期であるでしょう。

これだけの時間がかかるのは、先生や友達同士の関係が大きく変化し、その変化の結果に再適応するまでには、どうしてもある程度の時間がかかるからです。この時、自分と他者の間にうまくバランスをとっていくためのスキルの発達の程度によって、個人差が生じます。特に2歳児クラスから3歳児クラスへの進級が最も変化が大きいのですが、4月当初が大きな変化であるように思いがちですが、そうではなくて、この1か月ぐらいの間に、周りの人的環境が大きく変化していくので、そのへの再適応がどうしても必要になってきている時期なのです。

そこで私たちは5月から環境の再構成に力を入れていきます。その様子は、各クラスのブログで紹介されています。少しそのポイントと方針を説明します。

新たな空間には必ず安全基地を充実させることが必要です。リラックスできて、ころごろしたりして、アタッチできるもので安心を得ることができるような空間です。ふわふわしたもの、柔ないものなどが必須になります。物も繰り返し同じ動きが生じるものや、見通しが立つようなものが有効です。また人の環境も大事で、子どもの同士の関係の中に安心できる関係を見出せない場合も生じるので、そこでは大人がそれまで以上に応答的に対応していくことを大切にしています。決して甘やかすということではありません。

この時の安心できる人や遊びや空間があることがとても大切な時期であり、決まりやルールを優先させて、それに従うことを強く言葉で促すようなことよりも、何をしたいという欲求が生まれているのか、その背景や理由や心理機構をよく理解してあげるような、じっくりとした関わりや受容が大切なのです。

こんなことを話し合いながら、一人一人の姿の意味を読み取っていきたいと考えています。

こんな姿が増えて嬉しい日々です

2021/05/12

皆さん、自分の子どものが「しっかりしてきたなあ」と感じる時は、どんな時ですか? 私がそれを感じるのは、自分で自分の行動をしっかりコントロールしているなあ、と感じる時です。

たとえば、私の担当になっている朝の運動遊びの中では、最近のお気に入りは「ブランコ」なのですが、その順番を待つこととか、遊びをおしまいにできるとか、時間になったから交代するとか、そんなことがかなりスムーズに切り替える力がついてきたなあ、と感じることが増えました。ごっこ遊び、見立て遊びのおしまいの仕方も上手になってきた気がします。

そんな場面に注目してしまうのは、大人の勝手な都合なのかもしれませんが、特に日本の文化の特徴が表れているかもしれません。子ども同士が自分の思いと他者の思いを上手にすり合わせたり、調整したりできることに価値を見出したがる自分がいます。それは自己主張して相手を「論理的に打ち負かす」ことが望まれるような文化ではなく、自分の気持ちや考えもあるけれども、相手のことも考えてどうしたら共に良くなるかを考えよう、という志向が強い気がします。その結果が、日本人は「同調圧力に弱い」という国民性につながっているようにも思えます。

しかし、これからの社会に望まれるのは、共生社会ですから、自分の意見や考えもちゃんと持っていながらも相手の気持ちや考えも理解していくようなスタンスでしょう。そんな大人になってもらうための「ブランコ」や「アゲハ蝶」との関わりだったらいいな、と思っています。

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