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2021年 6月

絵本の読み聞かせ「ケロケロきょうだい」「めっらもっきら どおん どん」

2021/06/30

物語のある生活には、同時に「想像力」が働く時間が増えていきます。教育のことが話題になるとき、創造力が求められることが多いのですが、実は、その前提にあるのは「想像力」の方なのです。そして、その想像力とは、言葉の定義からして「目に見えないものを思い浮かべることができる力」のことですから、それは子どもが得意とすることであって、どんな時にそれが起こっているかというと、物語の中で自由に心と体を動かしているような時なのです。そんな思いがあって、私は絵本の世界と時間を大切にしています。どんな読み聞かせ方がいいかとか、作者の意図がどうとか、そう言うことも大切なことは私も大学の授業で学生たちに説明しているのですが、しかし、いざ実践となると、そこは相手=子どもの実態があるわけで、ほとんどが定石通りにはなりません。

今日の絵本タイムは福音館書店の「こどものとも」から3冊を選んでみました。暑い夏を前に、池を探す冒険に出るカエル7人きょうだいのお話「ケロケロきょうだい」と、出鱈目な歌をうたうと、もんもんびゃっこ、しっかかもっかか、おたからまんちんのいる世界にワープしてしまう「めっきらもっきら どおんどん」です。どちらも、代表的な物語の特徴を踏まえており、こどもたちの心は、スーッと吸い込まれてしまうのでした。

人がどこからやってきて、どこへ行くのか、という人生のグレートクエッションは、それが永遠にわからない謎であるからこそ、人間の探究心をかき立ててやまないものです。いにしえの伝説にしても神話にしても、そして現代の絵本の物語にしても、底流にあるのはそうした謎をめぐる人生の何か、なのです。それを子どもたちは、子どもや動物の主人公になりきって、襲ってくる敵や妖怪や魔物との遭遇という形で、人生の暗喩を味わっているのです。

といった話は、こちらの醍醐味であって、子どもは単純にお話を楽しんでいます。でもその距離は大人が思っている以上に「近い」という感触をいつも感じるのは、面白い実践の味です。

第2回睡眠講座で思ったこと

2021/06/29

6月15日からスタートした今年度の睡眠講座ですが、今日6月29日(火)は2回目になります。参加いただいたのは6か月の赤ちゃんとちょうど1歳の赤ちゃんのお母さんお二人でした。参加された方は「睡眠の話は保健所などでも聞いたことのない話でしたし、睡眠のことはあまり意識したことはありませんでしたが、こんな話を聞けてよかったです」という感想を話してくださいました。いろんな悩みの解決に糸口が見えたと、喜んでいただけました。

これまでも同じような感想をたくさんお聞きしてきたので、どうにかして千代田保健所の事業として、出産前の子育てシリーズの一つとして「パパママになるための睡眠講座」(仮称)を実現させたいと考えています。

大人も子どもの世界最下位なのが、夜の睡眠時間。学力がちょっと下がるとあんなに大騒ぎするのに、若者のうつ病が増えると多くの方が心配するのに、コロナ自粛で若者の自殺が増えたといって特集番組をやるのに、これらの問題と睡眠や生活リズムの崩れが関係してないとでも思っているのかしらん??? なんて、思ってしまいます。

そうなんですね、繋がっていると思っている方が少ないんですよね。大学の先生や入試制度を考えている研究者も、政治家もお医者さんも、自殺予防活動を展開しているNPOの方々も。いえ「子どもの早寝早起きは大事」とは聞いたことはあるし、あるいは知っているのかもしれないし、いろんなことと関係してそうだと、薄々そうかな?と想像しているかもしれませんが、もしからしたら「エビデンスがない」と思い込んでいるからか、積極的に取り組まないということなのかもしれませんね。

これを書いている夜9時30分。世界的には子どもなら最も熟睡していてほしい時間です。寝入りに最も深く質の高い睡眠になっていることが、子どもも大人も大事なことだと言われています。果たして、どうでしょうか。まだ起きている子どもがいたとしたら、夢に誘うメラトニンが、あまり有効に働かない生活環境や生活リズムになっているかもしれません。朝日を浴びて午前中に体を動かすことや、寝る2時間前にはテレビは消して白い光を浴びないようにしたり、安心と満足の心理状態で、眠くなっていくような、生き物本来の生活リズムを保障してあげることが、難しい時代になっています。お母さん、お父さんだけでは、どう考えたらいいのか、どこから始めたらいいのか、わからないかもしれません。

子どもの人権条約(と私は訳すべきだと思うのですが)に批准している日本は、子どもの最善の利益を優先する政策の実施に躊躇すべきではないのです。これは国民的に議論してほしいテーマです。保育界では非認知的能力とか情動的スキルという言葉は浸透しました。同じように、保育における睡眠の質も早く常識化させたいものです。

わらべうた

2021/06/28

園だより7月号「巻頭言」より

見えないものだけど、存在するものが色々あります。心の動きもそうですが、子どもが何を体験しているのかということもそうですね。そして保育は環境を通して行うのですが、そのポイントとして、体験のなかに渾然と隠れたまま取り扱われることが大切なものが多いです。渾然と隠れたままのものとは、いろいろですが、それが子どもに気づかれることなく、しかし、大切なものが子どもの心と体に染み込んでいくような体験です。

たとえば、わらべうた。「いっぽんばし こちょこちょ」を、ぐんぐんの先生が楽しんでいました。

♪いっぽんばし こちょこちょ すべって たたいて つねって かいだん のぼって コチョコチョ

皆さんもやったことありますよね。赤ちゃんたちにやると大好きです。私がみていた時は、ぐんぐんの子たちが、「やって〜」と先生にせがんでいました。自分から横になって、手じゃなくて足も差し出していたから、可愛くて吹き出してしまいましたが。わいらんすいでも、きゅうりの収穫が始まった頃、♪きゅうりができた、〜しおふってパパパ〜さあ、食べよ〜 を楽しんでいました。大きなきゅうりの手触りや重み、味を体験しながらの遊びですから、それもまた豊かなイメージが頭の中で動いていて、とても楽しそうでした。一見、どれも他愛のない、ちょっとした遊びなんです。

こんなわらべうたですが、この遊びによって子どもたちに「渾然と隠れたまま伝わっていくもの」があります。それは、ミソラシだけでできた狭い音域、4拍子で歌いやすいリズム、日本語のイントネーション、高めのピッチといった音楽的要素を体感しています。わらべうたは、大人やお友達との「触れ合い遊び」でもあるのですが、心も体も同じイメージや感触を共有していく体験にもなっていて、意味や概念でつながるのではなく、感覚や気持ちでつながりあうことで、共感を支えています。わらべうたの触れ合い遊びは、共感する心の、その基礎みたいなところを、せっせと豊かに耕しているのです。心がふっくらと、柔らかく、優しい、包容力とユーモアが育つ心の土壌を作っているかのようです。

 

べつに先生も子どもも、「はい、わらべうたをやりましょう」なんて思っていません。ただ、平安時代や江戸時代に生まれた童(わらべ)の謡(うた)遊びは、その前の時代の日本書紀にも「童謡(わざうた)」と表記されていて、長い歴史があります。受け継がれてきたものには、時代を超えた普遍的な力が備わっているのでしょう。◯◯活動とか、◯◯遊びという名前のあるものではなく、生活に溶け込んだような見えない体験の中に、実に豊かな保育力が見出されるのです。

Zer〇の実験的レッスンの面白さ

2021/06/27

2人が手で持っている「物」は、いったい、どちらが持っている物なんだろう? 第三者が見ているだけでは、判然としないけど、やっている2人にとっては、はっきりとその差があるらしい・・・

こんな現代アーチストの練習風景を、リモートで公開しているライブを見せてもらいました。コンテンポラリーダンサーの青木尚哉さんが主催している「Zer〇」(ゼロ)の公開レッスンです。昨年10月の千代田せいが保育園の運動会を始め、継続的に子どもたちにダンスを教えてくださっている方です。こんな貴重な機会はないので、自宅で見せてもらいました。場所はご存知、近所付き合いをさせていただいている海老原商店です。

間に入っている「物」は棒だったり、ボールだったり、傘だったりしたのですが、このセッションのダンス提案は、青木さんの元で、ダンス教室の講師をなさっている木原萌花さん。2人で持っている「物」は、実は、「自分が持っている」「相手が持っている」「相手と持っている」という3つの違いがあるのですが、その動きを2人の表現として眺めていると、一体、どんな違いがあるのかよくわかりません。

でも、明らかに「持っている」人の、物への支配権というかイニシアティブが働いているので、それを動かそうとする側は、跳ね返ってくる感触が全く変わってきます。自分の物と思うか、相手の物と思うか、それとも2人の共同物と思うかで、自己の意識や配慮が変わってきます。相手への配慮とか、返ってくる反応とかが全く変わってくるようです。

こんな感覚を実験しながら、クリエイティブな身体との対話と表現を繰り返しているエクササイズがあることを垣間見せてもらい、正直、静かな感動を覚えています。インプロビゼーション(即興的な表現)が生まれてくるプロセスが公開されているような、ダンスの実験室あるいは孵化装置の空間のようです。このような丁寧な身体との付き合い方を、子どもが経験できたら素敵だろうなと思いました。大人が「表現」を意図的に表すとしたら、子どもの場合は、思わず動き出す遊びの中の身体性になるのでしょう。

梅雨だからこその早寝早起き朝遊び!

2021/06/26

6月の第4週を振り返ると、先週の梅雨入り宣言の通り、雨の多い週となりましたが、東京オリンピックを1ヶ月後に控えて、東京都の新型コロナウイルス感染者が再び増加に転じてしまいました。本来ならここで強烈なハンマーを打ち下ろすべきタイミングなのですが、6月20日に緊急事態宣言を解除しているので、また最適のタイミングを逃すてしまうのでしょう。7月17日で計画している屋形船イベントができるかどうかも、正直なところ微妙になってきた1週間でした。

さて、園生活の方は保育参観が4週目となり、多くの方にお子さんの生活の様子をご覧いただいています。人間というものは「環境に適応して生きている社会的動物」なので、その環境によって姿が異なります。家庭と保育園ではかなり様子が変わってきます。私たち職員は園生活の姿を「その子らしさ」と捉えていますが、家庭での姿はあまり見えていません。同様に保護者の皆さんは家庭での姿を「お子さんらしさ」と思っていらっしゃるので、園での姿と比べて「あれ!」と思われることも「へえ!」と意外に感じることもあることでしょう。どちらも「その子の姿」です。

この環境というのは、空間や物や人や出来事や自然や時間などからなるので、いわば「状況」ということですが、その状況は子ども一人ひとりにとって、その時々で変わっていきます。その働きかける対象を、計画的に生活状況の中に埋め込み、子どもが体験できるように環境を整えているのが、千代田せいが保育園の生活基盤型カリキュラムになります。その生活環境が家庭とは異なるので、子どもの姿も違ってくるのです。その違いや気になることがあれば、ぜひ担任まで教えてください。

また、今週は歯科健診(火曜日)や誕生会(木曜日)や避難訓練に旧今川中校庭での交流保育(金曜日)などがありました。室内で行う行事が続く時は、できるだけ短い時間であっても散歩に出かけたり、室内で運動をしたり、少しでも体を動かす時間を増やす工夫をしています。3階の幼児クラスには「運動ゾーン」があるので、毎朝30〜40分は、汗をかくほどの運動ができています。水分補給をしながら、働く車になったり、動物になったり、魚になったりしながら、「心と体を一緒に」動かしています。1階の乳児もできるだけ散歩にでたり、テラスで遊んだり、クッションマットを並べて登ったり降りたりと楽しそうです。2階のにこにこ組も、ダイニングのスペースでサーキット運動をやっています。

梅雨明けまではもう少し。身体はこの時期に、汗をかいて体温を下げることできるようは体調への準備をしています。夏バテしないための準備をこの時期にしっかりとやっておきましょう。早寝早起き朝ごはん、そして汗をかく程度の午前中の運動です。この基本が一番です。

 

 

他園との交流が初めて実現

2021/06/25

月に1回の「旧今川中学校校庭」での遊び。今日は4歳児らんらん組と5歳児すいすい組で行ってきました。当初の予定は6月8日(火)だったのですが、その日が歯科指導と重なったために、神田ベアーズ保育園のご好意で、今日に振り替えてもらったのです。が、ただ交代ではもったいないので、神田ベアーズの子どもたちには来てもらい、交流することになったのです。

お互いの園の名前、クラスの名前、人数などを紹介しあって、一緒に遊びました。縄跳びを使った電車ごっこや、綱引きが自然とはじまって、二つの園の子どもたちが混ざり合っていきました。これが子どもの持っている力ですね。高い社交性とでもいうものが発揮されて、あっという間に距離感がなくなっていきました。

つなきひは子ども対子どもだけではなく、子ども対大人(先生)もあったのですが、子どもが力を合わせると、それはかなりのパワーで、大人が本気を出しても負けてしまいました。

10時50分ごろから雨が降り出したので、約1時間の交流遊びを満喫できました。

 

クイズが好きな子どもたち

2021/06/24

コロナ対策もあって今日の6月の誕生会も各クラスで開いたのですが、345歳児クラスのわいらんすいでは、「シルエットクイズ」を楽しみました。

クイズの内容は形から連想するものですが、それぞれの経験値と形が言葉と結びついて「はい、はい、はい」と手が挙がります。

この頃の子どもたちにとって、なぞなぞ、やクイズは言葉の獲得と拡大にもってこいの活動になります。

おたまじゃくしやてるてる坊主など、梅雨らしいモノから始まって、屋形船やダンゴムシなども当ててしまうのは、子どもたちの生活経験の広さを想像できました。

 

今年度1回目の歯科健診

2021/06/23

今日の朝「今日は歯医者さんが来るんだよね」と年長のMKさんがニコニコと言います。歯医者さんが来るのを楽しみしている子なんて、長い園生活で記憶にありません。それくらい、園児も自分から「あ〜ん」と口を開ける子が多いのです。山本歯科さんのなせる技、お人柄というものが、こんな形で現るのですね。

というわけで、今日は今年初めての歯科健診がありました。当園の保護者の方はデンタルIQが高く、多くの方が仕上げ磨きをしているので虫歯も少ないです。日頃の心がけで大きく変わるのが歯の健康です。この調子で今後もよろしくお願いします。

 

千代田区が保育園と小学校のつながりについて研究会

2021/06/23

今日23日(水)は午後から、千代田区立いずみこども園・和泉小学校で「令和3年度保・幼・小合同研修会」が開かれたので参加してきました。この研修会は保育園や幼稚園、こども園にいる子どもたちが、それぞれの発達にあった生活と学びができるように、その連携のあり方を探るものです。小学校としては和泉小学校、幼児教育施設としては神田保育園といずみこども園が実施した連携活動を事例として検討しました。参加者の討議はなかったのですが、リモートによる授業参観と3園校からの実践報告を踏まえて、無藤隆(白梅大学名誉教授)さんの講演が行われました。

保育園と小学校の間には、いろいろな溝やハードルがあるのですが、その溝が深く大きく見えるのか小さく浅く見えるのか、あるいはハードルが高く見えるか低く見えるか・・それはそれぞれです。しかし、溝やハードルを過大に捉えるのは間違いです。正しく認識していただきたいことは、無藤隆先生の次のような言葉です。

「間違っていただきたくないことは、幼児教育を小学校教育に置き換えるとか、近づけるということではなく、乳幼児期と小学校教育とで、それぞれふさわしいことをやることをやることが大事だ、ということです」

小学校でやることを先取りして行うことではなく、それぞれの子どもにあった、発達にあったことをその時期にふさわしい体験をしておくということになります。千代田せいが保育園の保育には、「国語のはじまり」や「算数のはじまり」をはじめ、小学校以降の生活や学びで困らないような「資質・能力」を育む経験が生活の中に埋め込んであるのですが、その仕掛けや意味を関係者に可視化していくことが必要な時代になってきたようです。

かなり前から、この幼児教育と小学校教育の連携については、幼小連携という言葉で実践されてきたのですが(このテーマで、ずいぶん昔、本に実践を寄稿しましたが)どうも千代田区は始まったばかりのようです。まだ教員同士の交流もないですし、カリキュラムの連携もできていません。ましてや、子ども一人ひとりの発達と学びの連続性を保障する「つながりの仕組み」も制度化されておらず、それぞれの立場に任されているのが現状です。

ただ、学習指導要領と要領・指針などは整合性が取れているので、その内容をしっかり理解して実践していれば、子どもたちが困ることはあまりないので、今日のような研修会はとても大切です。それぞれがなさなけれはならないことが明確になるからです。そういえば、今日の夕方、この春卒園した1年生がお母さんと挨拶に来られました。小学校も学童も楽しいそうです。このような子どもの姿から作り上げていくつながりが、連携の最も大切な軸になると思います。

 

大笑いで始まる1日に

2021/06/22

子どもと大人の違いはいろいろあるけれど、笑顔が好きなのは同じです。しかも朝から大笑いできると、1日が幸せになるような気がします。この日記で朝の運動遊びの話題が多いのは、それが私の当番だからですが、それよりもこの時間が楽しいからです。子どもたちが、おなかの底から笑っている時が特に楽しい。当たり前と思うかもしれませんが、みなさん、朝から大笑いしていますか。大笑いで始まる毎日って、素晴らしいんじゃないでしょうか。

大笑いの発端は、なんてことはない、些細なことです。

今朝のつもり遊び運動は「はたらく車」ごっこでした。タクシーやパトカーや救急車になって、道に見立てた緑のマットやジャバラでできたトンネルを四つん這いで「走り」ます。

しばらくすると、電車が通ることになって、道路を横切る線路ができました。そこで「誰か踏切やってくれないかなあ」というと、我も我もと、踏切だけが4つも5つもできて、それぞれが「カンカンカン」とやり始めます。開かずの踏切です。クルマは一向に走れません。

私はお客さんを乗せたタクシーだったのですが、「これじゃいつまで経っても踏切を渡れないなあ」というと、Mさんが「じゃあ、いっしょに(踏切を)開けよう」と側の友達に呼びかけると、「いちにのさん」で踏切が一斉に開きました。よし、これで通れるぞ、と渡り始めると、踏切がなぜが一斉に電車になって私の方へ走ってきます。団子状態です。それがおかしいらしく、やるたびに笑い転げています。

子どもからすると、開けたふりをして私を騙して喜んでいるような事態なのですが、まあ、それがいたって面白いらしい。

なんとも他愛のない遊びですが、こんなことが子どもは楽しくてしょうがないのです。子どもは体と心が一体です。こんなじゃれつき遊びが楽しいときに、たっぷり楽しんでおくことが、小学校以降の生活で集中力を発揮するようになるのです。

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