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見守る保育(保育アーカイブ)

子どもの感情に気づき、言葉を結びつけてあげること

2022/09/27

「自分の感情に気づく頃なので、Kちゃん、怒っているんだよね、って、言ってあげるようにしています。そしたら、自分で『もう、◯◯(自分の名前)、怒ってるの』と、言ってこうやって(怒っているという仕草)・・」。

実習生の反省会で、1歳児クラスのS先生が、保育の意図を説明してくれます。それを聞いていて、私は感動してしまいます。子どもの発達を理解しているからこそ、その時に必要な言語環境をデザインしているからです。1歳児クラスといえども、4月以降に誕生日を迎えている子どもたちはすでに満2歳になっており、言葉の爆発的な獲得期に入っています。質問期でもあり、何にでも「これは?」と聞いて、いろんな言葉を覚えていく頃でもあります。

そんな時期は、自分のことをもう一人の自分が客観的に眺めるような視点を獲得して、自分はこうなんだ、と他者に説明できるようにもなってきます。その時、自分が楽しいんだ、嬉しいんだ、怒っているんだ、悲しいんだ、辛いんだ、というような大まかな感情も「自己認知」できていることに、担任は気づき、冒頭のような言葉をかけているのです。あえて意識して、そうしてあげているのです。

実習生たちは、「保育の過程」というものを学びます。それは「子ども理解」に始まり、その子どもの姿にふさわしい「環境の(再)構成」を行うことで、子どもは新しい体験をします。その体験が発達を促したり、新たな学びになるので、その子どもの姿を予想する、ということをします。指導案の書類には「予想される子どもの姿」という欄が用意されています。

今回のケースでも、子どもの発達理解があって、言葉を変えている担任の判断の中には、このような「子ども理解」をもとにして担任という「人的環境」のあり方を変えている、という「保育の過程」を見てとることもできます。実際の保育というものは、そんな回りくどいことを、いちいち考えているわけではないのですが、いずれにしても大事なのは、子どもが何を感じてどう思っているのかを、敏感に感じ取る力が保育者には必要で、そのセンサーの感度が、子どもにふさわしい次の体験を用意していくことになる、ということでしょう。

そんなことを反省会では実習生に伝えています。そして伝えながら、私たち自身も自らの保育を振り返るのでした。

見守る保育は自然栽培に似ている

2022/09/26

「見守る保育は自然栽培と似ている」

そのことに、最近気づきました。

自然栽培はとても面白いです。いろいろと勉強していると、大自然の持つ神秘的で不思議な力を感じます。食の営みも本来なら、自然と調和した暮らしを取り戻すことだと気付かされるのです。この2ヶ月ほど「自然栽培全国普及会」の方の話を聞いているのですが、子どもたちも自然の一部なんだという、当たり前の事実に気づくのです。子どもだけではなく私たち人間は、大いなる生態系の中でこそ、人間らしくいられるのだろうと、思えてきます。

例えば、自然栽培では肥料を使いません。化学肥料だけではなく、有機肥料も基本的には使いません。また、いわゆる害虫が来ても農薬もかけません。それでも、辛抱強く、我慢強く、待っていると素晴らしい野菜が育つようになります。それは、まるで保育が、子どもたちとそれを見守る大人たちの関係にそっくりです。子どもが本来持っている育つ力を信じて、大人がおおらかに待ち、見守るような関わり方をすることに、とてもよく似ているのです。

さらに、自然栽培では、土をとても大切にします。その土は何年もかけて作り出されるものです。根気がいるので、ついたくさんの有機肥料を使ってしまいます。その方が早く大きく、立派な野菜になるからです。そこを辛抱強く自然のなす力に任せていくと、土は自ずと自然の生態系の営みの中で、なるべきものになっていくのです。それはまるで、子供にとって夢中になれる遊びの環境のようです。本当に健康で安全な野菜や果物などの農産物が「いい土」から育つように、子どもの発達を促す遊びも、「いい環境」から生み出されます。

自然栽培を成り立たせている自然の力を考えていると、数年前に観たドキュメンタリー映画「ビッグ・リトル・ファーム」を思い出しました。自然の持っている生態系の力を、とても美しく描いた物語です。こんなエコシステムの中に「子どもの領分」があるとしたら、私たちは「子どもの環境」について、もっと学び直す必要があると思えてきます。

0歳からの入園をお勧めします

2022/09/23

全ての赤ちゃんが、0歳児クラスに入園してほしい。育児休暇が長く取れるようになったから1歳児クラスからでいいと思わないで、0歳から子ども同士の関わりを体験してほしい。そう思うことが、保育園をやっていると、強く思います。その理由はいろいろあるのですが、最も大きい理由は、子どもの成長、発達には満1歳前後からの、子ども同士の関わりが、とても大切な体験になっているからです。それは脳の発達からも人類の進化からも、自然なことになっているからです。そのようなことの積み重ねを、小さいうちから行っていくことがいかに大切なことかを、日本全国の子育て家庭に強く訴えたいという衝動に駆られます。

たくさんあるエピソードの中で、昨日のちっち組(0歳児クラス)のエピソードは、それをよく表していますので、いかにそのまま載せたいと思います。名前はイニシャルに、写真はイラストに加工しました。

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タイトル「取り合いっこも大切な経験に」

Yくんが、鏡を手に入れて遊んでいると、Rちゃんがやってきて、鏡をのぞいています。

するとだんだん、ふたりとも鏡で遊びたくなって…

『ちょうだ〜い〜‼︎』

でも、Yくんもまだ使っているので、再びしっかりホールドしています。

ゲットできなかった悔しさで大人のひざに顔をうずめにくるRちゃんでした。

「Rちゃんも、ほしかったのねぇ。。」
最近のちっちさんは、こんなふうにお友だちと玩具を引っ張り合いっこしたり、取り合って怒ったり…という姿が見られるようになってきて、春のころの小さい”赤ちゃん”から、だんだんと、ぐんぐんさんらしい姿も出てきたなぁと成長を感じています。自分の気持ちを思い切り主張し合えるようになってきたようです。

これからきっと、もっともっとたくさんケンカして、怒って泣いて、悔しい思いをして葛藤して…といろんな体験をしていくでしょう。
そんなときに、まずは、お互いの子どもの気持ちを言葉にのせて伝えてあげることを大切にしています。大人がジャッジしたり解決したりしようとするのではなく、あくまで、子どもたち自身が自分の気持ちや相手の気持ちに少しずつ気付いていくことができるよう・・・そして、子ども同士の気持ちのやりとりの橋渡し役となれるよう、支えていきます。
大人が「良い、わるい」…を判断して押し付けなくても、ほんとうは、子ども自身がよく分かっているのではないかな、と感じます。
実は、この取り合いっこの場面でも、Rちゃん、もう少し引っ張ったら鏡を取ってしまうことができたと思うのです。でも、すぐ引っ張るのをやめて、手に入れられなかった悔しさを大人に受け止めてもらいにきました。
こうやって、子どもたち自身、自分なりに(どうしようか)と選んでいるんだなぁと感じました。

気持ちを受け止めてもらったり寄り添ってもらったりしながら、その経験を重ねていく中で、子どもたちは少しずつ友だち同士でやりとりしていくことを学んでいきます。それは、とても時間のかかることですが、一つ一つが ちっちさんの頃からの積み重ねなのだと考えています。
そう思うと、ちっちぐんぐんの時期は、お友だちとのやりとりや関係を学び築いていくための、最も大事な時期とも言えそうですね。

このあと、にこにこ組のAちゃんとRちゃんが、ふたりでおしゃべりしながら鏡を覗き込んでいました。


この場面はこの場面で なんだかほほえましい光景ですが、このふたりも、これまで何度も何度もケンカして気持ちをぶつけ合ったり気持ちを通わせたり…という経験をちっちさんの頃から繰り返してきたはずです。

にこにこ組(2歳児クラス)の頃になると、こんな風にお友だち同士の関係もますます深まって、一緒に使ったり、取り合いになっても相談し合ったりできるような姿も見られます。
それは、ちっち組のみんなの数年後の姿でもあるのかもしれないですね。そんなことを考えながら、いまこの時期を、丁寧に大切に過ごしていきたいなぁ、と改めて思ったのでした。

これからの教育に必要な3つの特徴

2022/09/02

私たち保育者が日頃考えていることは、子どものことご家族のこともそうですが、私たちを取り巻く人間関係、規制やルール、自然や教育のことなど社会全体のシステムも同時に考えながら仕事をしています。目に映るものや見えている景色にとどまらず、そのような「目に見えない社会の仕組み」から、私たちは精神的にも身体的にも大きな影響を受けているからです。その目に見えない仕組みの中で、私たちに大きな影響を与え続けているものが「教育制度」です。

今日2日(金)は、その社会システム「教育制度」の中でも、これから必要になる教育について考える機会がありました。まだできていないけれども、これから必要になる教育とは、どんなものなのでしょうか? それは保育者がこれまで受けてきた教育、あるいは、いま受けている教育(ちょうど大学から保育実習生が今、園に来ていますが)と、何が異なるのしょうか?

それにはいくつかの特徴がある気がするのですが、一つは、教育や学習で身につける<中身の変化>です。時代の変化が早いとき、個人が身につけて活用できる知識や技術(技能)=いわゆるスキルは、常に新しいものに置き換えていくことが必要になります。スキルのアップデートは社会人ほど不可欠な時代になりました。たとえば私はネット社会に必要なIT技術を学び直しています。しかも、そのスキルは、他者との協働の中で使う比重が増えました。一人でできることなんて、たかが知れいているからです。ほとんどの仕事がチームです。

専門性にコミュニケーション力、発信力、共感力、ファシリテート力などが不可欠になってきたのです。教師も知識や技術(技能)を教えるティーチングよりも、学習者が意欲的に学べるように導くコーチングのほうが重要になります。またコンテンツを直接教えるよりも、どうしたらそのコンテンツにたどり着けて自分で自分のものにしていくか、その学び方を教えることの方が大切になります。これが変化していく<中身>の話です。

もう一つの特徴は、必要とされる知識や学び方それ自体を支える価値判断のスキルです。何が本当に必要なスキルなのか、なぜそのスキルが大事なのか、その理念や目的、個人の考えや思想、生き方、幸福感などは、今後ますます多様で複雑になっていくでしょう。<中身>の方で共同性が重視されるとき、協働する相手の価値を認め、大切にし合いながら、しかも、共通の価値=コモンを創造していく活動を創り出していくことになります。

すると、理念や目的、個人の考え方や生き方、幸福感などが個人や地域や国などによって異なってくることを前提にしながら、地球環境という限られた資源を持続可能に保っていくためのコモンのあり方を見つけ出しながら、目の前の経済社会の動的平衡の中でバランスをとりながら現状も維持して、ソフトランディング(あるいはソフトランチャー)していくことの両立を図らなければなりません。「この農薬散布は良くないけど、すぐにやめるわけにはいかない」といったジレンマの中での、よりよいものへの粘り強いシフトが必要なのです。

その時、たぶんこれまで以上に重視されるようになるのは「対話力」です。こどもかいぎ、のようなことがとても大切なことになっていくのです。しかも、その中で自分づくりが営まれるのです。自己と他者という永遠の哲学的テーマも、新しい時代にふさわしい形で、再認識されることになるでしょう。すでに、その兆候が見えていますけれども・・。

新しい時代に必要な教育のあり方とは、このような中身、方法、より良い価値へのビジョンの3つの側面を具体化するものでなければなりません。保育者にとってもそれが必要で、それはこんなものだということを、今日は確認したのでした。

 

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