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2022年 10月

自覚的学びへの移行について

2022/10/29

今日はずっと「自覚的学び」への漸進的移行の保育事例を探して過ごしました。そして気づきました。これだと。そしてもう一つの疑問も解消しました。無藤先生の指南のおかげです。それを説明します。

昨日27日午後、交流している他園の先生たちとSTEM保育の勉強会をズームで開き、こんな試みはどうだろうと事例を出し合ったのです。主に光や色、鏡、匂いなど「面白さや不思議さ」から試行錯誤する様子がたくさん報告されました。

その中で「幼児はわかりやすいが、乳児の場合はどうなるのか」が疑問になりました。過去の経験との認識のずれのようなものが「あれ!」という気づきや疑問を生み、どうして?と追究するのでしょう。しかし乳児から幼児前期ごろまでは、自分が「わからないことが分かっていない」ので、外界への問いかけが生まれません。

私はこんな例を出しました。拾ってきた石を洗っていたら、軽石が何個かバケツに浮いているのですが、その3歳児は不思議に思わないという例です。先行する経験の累積的記憶がないと矛盾なり新奇性なりの面白さを感じる認識を持てないのでしょう。これがだんだんと認識的に発達していくと「自分がわかっていないことに気づき、その分からなさに向けて理解を進める営み」としての自覚的学びが始まるというわけです。

例えばその勉強会で報告された事例は「白い花に色水を吸わせると、色がつくのとつかないのがあって不思議がっていた」「浮く沈むの実験に夢中になっていた子は、ちょっと時間があると自分から、これはどうなるだろうと、水槽に水を汲み、芋掘りで取ってきたさつまいもを入れて確かめている」。こういう姿は幼児後半です。

さて、もう一つの「納得的気づき」は、小学生の「自覚的学び」になっていない学びの例です。101日に南アルプス市の「南アルプス子どもの村小中学校」を訪問した時、堀真一郎さんが、こんな小学生にしてはいけない、という例を話されました。こんな算数の問題がわからないという子です。

「旦那さんは1980年生まれ、奥さんは1982年生まれ。二人の年齢の差はいくつでしょう」という問題。その子は「年齢の差を出す出し方は教えてもらっていないからわからない。教えて」と言ったので、堀先生が「そのわからないことを考えるのが、この学校だよ」と答えたら、「ケチ」と言われたそうです。

私はこのような学び方が、勉強に向かっているから「自覚的学び」のようでありながら、本質的な学びではないと考えてしまっていました。そうではなく、これは自覚的な学びになっていないことになります。なぜなら「自分で分かっていないことに気づいていない」からです。

能動的注意が自分の「わからなさ」に焦点化されていないから、と言っていいのでしょうか。理由や論理性のない理解が、ただ正解を解く方法の暗記になってしまっている学習が多くないか、それが学びを面白いものに感じることができず、成績も不振になって学校へ行く動機を見失う、そんなことも不登校の要因の一つなっている可能性は、やはりあるでしょう。

セキセイインコとの出会い

2022/10/12

セキセイインコにオヤツをあげると、上手に啄みます。子どもがそうすると「かわいい〜」と、もう夢中です。

何かをやってあげて、それを喜んでくれると、やってあげた方はまた嬉しい。そのやりとりを見ていて、子どもはケアされたがっているだけではなくて、ケアをしたがっていということがよくわかります。

今日12日は「お手伝い保育」を楽しみにしている年長さんたちですが、3階の観察ゾーンに生き物のお世話ができる場が増えました。

知らない生き物と出会うたびに、それをじっと、よく見ようとします。と同時に触りたがります。子どもにとって対象を理解するということは、頭でわかるのではなく、感覚で取り込もうとします。なので「触ってみたい!」「だっこしてみたい!」と言っていました。

初めてものへの接し方、近づき方も色々です。エルサになっている子は、魔法の杖を鳥籠の上をクルクルと回してみて様子を見ようとします。インコが怖がることを教えてあげますが面白いから続けてしまいます。インコは新しい場所で緊張しているでしょうし、ストレスもあるので、大人はそんなケアを優先します。動物が「嫌がっているよ」、「怖がっているよ」は、伝えてあげます。子ども同士のトラブル場面とも似ています。

そのあと、段々といろんな興味が湧いてくるようで、子どもたちは何を食べるんだろう?水飲むかな?(毛繕いをみて)痒いのかな?このおもちゃで遊ぶかな?・・と「?」がいっぱいになります。

大人はつい、どうしたらいいのかを知っているので、いろんなことを先回りしがちなのですが、こんな時にも、動物にとって過剰なストレスになったり、けがをしたりしない限り、子どものペースで出会わせてあげたい、と思います。

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