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見守る保育(保育アーカイブ)

理念は「いきている」

2022/12/13

最近のこの「園長の日記」は、その日のことを超えてその意味の背景や自分の思想を語っていることが増えてしまいました。もともと、この日記は、なぜこんな保育をしているのかという意図や背景となっている理念を説明したいと考えて、2019年春の開園の時からスタートしてものだからです。ですから、もともとそうした傾向が強かったのですが、このところ自分自身で、さらにそれを吟味しながら再構築している自分に気づきます。ちょっと気をひく言い方をするなら「理念は目に見えない「いきもの」である」ということを説明したくなります。いきものだから、元気な時や調子が悪い時もあります。大事に育てないといけません。理念にもケアリングが必要なのです。

今日は保育研究団体の保育環境研究所ギビングツリー(藤森平司代表)が、毎年3回開いている保育環境セミナーの2日目で、私が司会者でした。全国から多くの保育者が集まって<保育環境>について、つまり保育について学びます。講演、実践発表、質疑応答(アンケートで提出してもらうものへの解説)からなります。今回で56回目になります。この積み重ねの意味は別の機会に述べます。

司会をしながら、つくづく思うのは参加者の熱心さです。とても意欲的に参加されています。月曜日と水曜日には、保育園の見学もあるのですが、当園にもそれぞれ2園3人の方が見学に来られました。そして保育を見ながら、よりよい保育を語り合い、深め合うのです。そして私自身も飽きることのない保育の魅力を感じます。どこまでも行っても完成することはない、常に発展途上なのが教育や保育だと思います。そして「この熱意はどこから来るのだろう」と考えると、それについての私の実感は「理念からくる」です。人間は「理念」があるから向上しよとするんじゃないでしょうか。理念と日本語に訳されているもので、私たちは「生かされている」と実感してしまうのです。(和語だったらなんだろう?やまとごころ? 違うなあ。そうじゃない。現代に必要なその言葉がまだ生まれていない気がする)

それが私たちの精神を常に活気づけ、再生させてくれるもの、それが理念だと思います。そして、これも意外な言葉かもしれませんが、子どもこそ「理念」を私たちに伝えてくれいるようにも感じます。子どもから、私たちは「理念」を汲み取っていると感じるのです。

ストレスフリーの「お楽しみ会」(乳児)

2022/12/10

<ある条件>を整えるなら「こんなに楽しくて、自分らしさを表すことができる」ということに、今日、私は感動しました。これまで「自分らしく」過ごすことを大切にしてきた積み重ねが、こういう姿となって現れるということを目の当たりにして、本当に嬉しくなりました。今日10日は、乳児(0歳から2歳児まで)のお楽しみ会でした。今年は保護者参加型でやってみたのです。

<ある条件>というのは、ストレスフリー、ということです。なんのプレッシャーもない、練習なども全くゼロで、いつものように生活して遊んでいればいいという行事です。子どもが親がそばにいて欲しければ、一緒にやります。無理に引き離すこともなく、安心した心理状態で、普段の様子を見てもらいました。

多くの方はお休みの土曜日。9時に登園してもらって、子どもたちだけでひと遊び。その間、保護者の方は2階に集まってもらって、今回のお楽しみ会の流れや趣旨を説明しました。今日、一緒に見ていただいた内容は、ひと遊びした後からの様子です。お名前を呼んで出席を取ったり、歌を歌ったり、絵本をよんでもらったり、朝のおやつも食べて、使ったエプロンやお手拭きタオルも自分で手提げバックにしまって。靴下履いて、靴を履いて、お外へ出て、親子で和泉公園までお散歩。そこで遊んで解散。ここまでを「お楽しみ会」として実施しました。

担任が◯◯ちゃーん、と名前を呼ぶと、は〜い(と声にならないばあいもありますが)と手があがり、その度に周りからおほえましい称賛の拍手。本人も嬉しそうに自分でパチパチパチ、と拍手しています。大好きな絵本を読んでもらいながら、それを自分の親にも指差して「みて」と促す子がいたりして、保護者と一緒に楽しんでいます。

実はこれまでの経験から、朝親子が別れるとぐずってしまうことがあり、再会すると泣いてしまう子が多いんじゃないと予想していたのですが、そんなことはありませんでした。0歳児と1歳児のクラスの子どもたち(満1歳〜満2歳)の子どもたちは、いたって平気で、いつの姿を見せてくれたのです。正直、驚きました。ちゃんと先に「これからお父さんやお母さんがまた来るからね」と伝えてあげると、それをちゃんと受け入れてくれています。

2歳児クラスは、1時間遅れて、2階で同じようにやりました。ここではさらに保護者の参加型を促し、絵本を読んでくださったのはお父さんやお母さん。3冊の絵本を楽しみました。3冊目の絵本「3びきのやぎとがらがらどん」を見終わったら、それをやりたい、というのでテーブルを橋に見立ててごっこあそび。お父さんやお母さんと手を繋いで橋を渡った子は、「もう一回!」といって、またやぎになります。安心できる状態にしてあげれば、意欲的になるとう、当たり前の状態を確認できて、誰もがハッピーでした。

とかく日本の行事は、見せて立派にやり遂げた、よくがんばったね、と大人が喜んでいますが、本当に子どもはみんな嬉しいんでしょうか?本当に「誰一人取り残すことのない」(文科省の「令和の日本型学校教育」で使われたフレーズ)保育なのでしょうか。私はそうは思えません。同じ内容を同じ時間に同じ場所で多くの子どもがやらされること。これは今の世界の時代感覚からすると人権侵害をうむ土壌そのものです。子どもは一人ひとり違って当たり前なのですから。

それでも、まだまだ課題はありますが、せめて出来栄えを見せる、競う行事はやめたい。やるなら選択制にする。それぞれの子どもが安心して過ごせる毎日、発揮したい自分のやり方が選べる方法、それをお互いに認め合い、助け合う関係が育つ場にしたいと思っています。次回幼児(3歳以上)のお楽しみ会は1月になります。これくらいからは、自覚的な「自己表現」といえる姿がミラるようになっていくでしょう。どうぞ、お楽しみに。

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