信頼している方の感想や意見というものは、本当にハッとさせれます。実に恥ずかしい思いを感じながら、自らの考えの浅さというものを感じてしまいます。さて、どうするか? 以下は昨晩からの、私なりの考察です。
信頼している専門家の方の意見とは、次のものです。大事なことなので、この感想はたくさんの人が共有した方がいいでしょう。
「大人がいたいけない子どもをよってたかって騙す日が無事に終わりましたか? 日本いや世界の道徳はどうなっているのだ。嘆かわしい限り。ちなみに、この風習が広まったのは19世紀あたりだと物の本にあるが(それ以前はローカルなもの)、さらに全世界に広げたのはネズミがボスの連中だという。新自由主義の陰謀だね。」
なんのことかは、わかりますよね。クリスマスのサンタのプレゼントのことです。そうか、ちゃんと考えよう、と思ったわけです。そこで、ポイントを絞るとサンタクロースがプレゼントを渡すという話そのものは多めにみていいのでしょう。
問題はそれを「昔話」か何かにしておけばいいものを、大の「大人が子どもをよってたかって騙す日」になってしまっているあり方、現実の風習の方でしょう。当園のクリスマスの行事の持ち方もそうですね。それはどうなの?ということのようです。
サンタの話そのものは、まあ多めにみていいんだろうと判断したのは、たとえばノーベルト・ランダの絵本「ねずみのフィリップ ぼくがサンタクロースだったらね」を訳しているのが小澤俊夫さんなので、サンタクロースの話そのものが、児童文化財として、ふさわしくないということではないのでしょう。
この絵本を読んだ方の感想を紹介すると、「クリスマスの本は、沢山ありますが、子どもたちがプレゼントを届けてくれるサンタクロースを心待ちにするようなストーリーが多い中で、この本は、逆の立場...もし、自分がサンタクロースだったらという発想の転換が素敵です。そうか!自分がサンタクロースだったらその立場も本当にわくわくするものだと気付かせてくれました!」と書かれています。
ですから、問われているのは、主としてそこではないのでしょう。商業主義的なことが本来の文化や伝承などを捻じ曲げてしまうというのはよくある話で、ハロウィーンやらバレンタインデーやらは、それがわかりやすいのかもしれません。
でも、子どもにサンタクロースって本当にいるの?(と聞かれることは実はあまりないのですが、いると信じさせているからでしょう)と、もし子どもに聞かれたら、みなさんはどう返事しますか。それを学生に調査したものがありました。C短期大学保育学科1年生110人(男性14女性96人 18歳〜23歳)によると、「いるよ」などと実在肯定する学生は5歳相手なら6割、12歳相手なら4割いました。結構な数の大人が「嘘をつく」ことを許容していることになります。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050001202937272832
面白いのは、調査の学生も歳をとればサンタの実在は信じなくなるのですが、信じなくなっていった年齢と子どもに期待する年齢が同じぐらいだったことです。その調査は「自らのサンタクロース体験と重ね合わせるように、自分と同様か、それ以上の道筋を子どもにも味わせたいと考えている」と分析しています。この学生の感覚は、わかる気がします。せっかく信じている「夢」を壊したくないと思うのです。私もそう思ってしまいます。
さて、ここから私たちの知恵が発揮されなければならない話になってくるのでしょう。過剰にその夢を膨らませてしまうことや、プレゼントの日にしてしまうことは趣旨が違ってくるでしょうし。また親御さんがせっかくサンタの用意をしているのに、保育園がその試みに水を差すわけにもいきません。社会全体でそっと、落ち着いていくようなことを考えてみることがいいのでしょうか。さて、みなさんは、どうしたらいいと思いますか。
当園は毎年、新しい遊具を追加購入するタイミングなので、サンタクロースに持ってきてもらい、また親子で楽しんでもらえる手作り遊具をプレゼントしてきたわけですが、子どもにそれが届くための条件を求めることは一切ありませんでした。さてこのテーマ、視野を広げて認識を深めておきたいトピックスです。