(園だより2月号 巻頭言より)
昨日30日の0歳児のクラス日誌にこんな記述がありました。
「お友達のものが気になって咄嗟に取ってしまったRくん(1歳6ヶ月)、Sくん(1歳8ヶ月)が悲しくなってみるみる泣き顔になってしまうと、そのお顔にびっくりしたのか”どーぞ”とお返ししていました。Sくんがおもちゃを受け取ると2人してぺこり。どーぞ、ありがとう、どういたしまして、のやりとりが何度も、何度も行われていて、何とも微笑ましい場面でした」・・なんとも微笑ましい、赤ちゃんの育ちですね。
この様子から、何に配慮したらいいのでしょう? 先生はこう書いています。
「お友達の表情に気がつくようになったちっちさん達(0歳児クラス)なので、相手の気持ちに気がつけるようなやりとりを意識しながら関わりをしていきたい。また、言葉を真似しようとしたり、自分なりに気づいて欲しいことをアピールしたりする姿がたくさん見られているので、子どもの日々の気持ちの変化や気づきを拾って、たくさん共感や代弁をしていきたい。」
この日誌に対して私は以下のようなコメントを書きました。
「気持ちや感情の交流が先にあって初めて、それが表象であることばに一部が置き換わっていくと考えられます。すると、その言葉で「言えるようになる」以前に子どもが相手の様子に「感じる」「気づく」にあたる過程があるはず。だから確かに「(子どもの)日々の気持ちの変化や気づきを拾って、共感や代弁して」いく事が大事になりますね。(園長より)
・・どーぞ、ありがとうの心の交流は、気持ちの調整がついた後です。私たちが期待する育ちとは、咄嗟に手が出てしまう時に「かして」と言えるようになってほしい、と思うわけです。よく私たち保育者は、そういうことを言います。手が出る前に言葉が出てほしい、といったことです。それなら、声かけとしてやるべきことは、共同注意中の言葉かけが大事なわけですから、Rちゃんが「あ、それ、やってみたい」と思った瞬間に、保育者が「Rちゃん、それ欲しいんだね」「Rちゃん、それやってみたいんだね」の声かけがあるといいのかもしれないと、思った次第です。
それを聞くことで、Rちゃんは(あれ)「ほしい」「やりたい」のことばを獲得しやすくなるかもしれません。「貸して」と言える前に「ほしい」「あれ、やる」が言えるといいのかもしれません。その上で、次に「かして」が来るはずだからです。貸して、の言葉が言えるようになることと、自己抑制の働きは相関するでしょうから、その発達が必要なわけでしょうけれど、少しでも「ことば」が役立つのなら。
ただ、そういう瞬間に保育者が気づけるのか、という問題はあるでしょう。しかし「自分なりに気づいてほしいことをアピールする姿」があるらしいので、「それほしい」を表している時間が少しあるのでしょう。そんな様子を見せているときに「あれやりたいね」「貸してもらえるかな」といった代弁や話しかけが大事なのでしょう。この先生は今年勤め始めたばかりに一年目の保育士です。よくみて、よく分析していると思います。