子どもは新しいことが好きです。心地いい感覚を見つけると、それをまたやろうとします。それはいろんな分野というか、世界にあるわけですが、今日は子どもたちが「自分の体を動かす」という中に、新しく「ここちよい」と感じるものを、たくさん見つけたようです。今日はダンサーの青木尚哉さんと芝田和(いづみ)さんがいらして、午前中、全てのクラスで運動遊びを楽しみました。
自分の指先や足先を意識して動かすこと。それを遊びにすること。たとえば「グーパー体操」と呼んでいる遊びは、立っても座っても、足を閉じていればグー、ひらけばパーです、それを太鼓やギターのリズミカルな伴奏で、グー、パー、グー、パーと、ゆっくりからだんだん早くやっていき、最後はぶるぶるぶる〜と震わせます。
それをやっている間、意識はその動きに集中しています。繰り返していくと、体がそれを覚え、慣れ、面白さが薄れていくのですが、「もっとグー」とか「もっとパー」などという言葉から、子どもたちは、その「もっと」を面白がって、やります。
そのグーとパーを「顔」でもやります。グーの顔とパーの顔。大人だったら、やってと言われてもやらないでしょうが、子どもたちは「そんなものはない」などと思わず、楽しくやります。そして「もっとグー」とか「もっとパー」の顔をします。
その動きから生じる「新しい感覚」の発見を楽しむこと。そこには未知の世界に繋がっているよ「ほら、そこ!」というように、ある種の勢いに任せて、その世界へ快感と共に飛び込んでいく感覚。やると楽しいので、面白いのでその世界を開いていく感じです。
ほかにも「マネキンとデザイナー」と名付けた遊びは、デザイナー役がマネキン役の手や足や胴や頭を、ていねいにゆっくりと動かしていきます。4秒ぐらいで「いち、にい、さん・・・じゅう」と10カウント数えながら、10回、いろいろなところを動かします。2歳児クラスの子たちは、それを動かして形が変わること自体が新鮮で、色々やりたがります。でも4秒に一回などのタイミングは、まだ守れません。どんどん動かしていく子が出てきます。
でも自分がマネキンになったつもりで、自分で自分の体を留まらせながら、手や胴体を動かしては、おかしくなって笑ったりしています。そのうち、大人の股や腕と地面の間に「トンネル」を見つけて、くぐったり、滑り込んだり、体を狭い空間に擦り付けてルツン!と飛び出るような(まるで魚が握られた両手から滑り出る時のように)動きを楽しむ子もいます。
新しい身体感覚の発見を楽しんでいるように見えます。その面白さや楽しさに誘われて、新しい体の動かし方を探求しているかのようです。子どもがそういう自分自身の体のかかわり方を無意識のうちに開いていく。幼児後半になると、自分の体への関わり方へに気づき。あるいは、体を動かすことが「体と環境とのかかわり方を広げていくこと」という言い方ができることに納得できます。
そういえば余談ですが、数年前、5領域に代わって、3つのかかわりの視点で0歳児の姿を捉えよう、という風に変わった時、身近な人や、身近なものとは「かかわる」という表現に違和感を持つことはなかったのですが、「健やかに伸び伸びと育つ」というところが、自分自身への関わりという意味を持つことがよくわからないでいたことを思い出しました。