ある子どもに「靴下がない」と相談をうけて探しているうちに「ブーメランをやりたい」と誘われて、運動ゾーンでしばらく遊んでいました。しばらくして屋上で遊び終わった子どもたちが一人二人と加わっていき、最後はワニのいるアマゾン川をターザンロープで飛び越えるという遊びに10数人の行列ができるサーキット運動になっていきました。
その約1時間ぐらいの間に、いろいろな面白い発見がありました。最初の数人の関わりのところまでを振り返ってみます。
年少のTAくんが一歳上の年中のNRさんとブランコを交代して遊ぶことが楽しいようで、3分の砂時計を待ちきれずにすぐにひっくり返して、すぐ交代するのです。
そして「一緒に乗ろう」「うん」と仲良く跨って左右に揺らして楽しみます。
ブーメランやネットやクライミングをひとしきり楽しみました。
その二人に、もう一人年中のAIさんが加わると、遊びと関係がダイナミックに変化します。
AIさんはブランコを乗った後、すぐにTAくんに替わってあげました。でもTAくんは次のNRさんの番なのですが「どうしようかな?」という風に考えています。
さっきまではすぐに交代していた間柄なのに、なぜか態度が変わりました。そしてAIさんに交代を促されると、口を膨らませて「いやだ」という意思表示を示します。
そこで面白いのですが、自分の番である当のNRさんは「もう一回やったら替わってね」と砂時計をひっくり返しました。もう一回、やっていいよ、というわけです。そこが3人の思いの中心点です。気持ちの折り合いが取れたバランス点がありました。年中さん2人が年少さんを大目に見てあげた、という格好ではあるのですが、そこにいたるのは、それまでのお互いのことについての経験からくる思いが、いろいろあってのことです。
そのやりとりの最中に、ブーメランを取りに戻ってきた男の子が「(自分のを)取った?」と意気込んで問い詰めます。見ていてハラハラするのですが「ただもっていただけ」と言われると何も疑いもせずに「守っていてくれたの?」と聞きなおすのです。すると「うん」と言われると、さっきまでプンプン気味に見えたのに、素直に「ありがとう」と言って、行ってしまいました。まるでそこに立ち込めていた気持ちのモヤモヤを突風が吹きさらってしまったような印象です。私は見ていて、おかしくなったのですが。
子どものそれぞれの「思い」は相手の間を飛び交い、受け止められて心地よいキャッチボールのように行き来したり、時には壁にあたって跳ね返されてきたり、あるいは戸惑って宙に浮いたりしています。
「そんなつもりじゃなくて、本当はこうなんだけど」という小さな思いの堆積物がそこら中に転がっています。その小さな思いの中身は、誰にもわからないのですが、子ども同士でそこを感じ合ってつながり合っているように見えます。こういう生の経験が貴重なんだろうなぁと感じるのです。
そして、3人がダイナミックに笑いながら、ブランコを楽しむのでした。
活動の展開には、同じことは二度と起きないようなものとして動いています。そこで生まれ続けていることは、切り離せない連続の中にあり、子どもたちは自分の中に生まれてくる感情や思いに立ち向かいながらそれを糧にして、たくましくなっていくように見えます。