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2024年 10月

「気持ちが通い合う嬉しさ」ぐんぐん組の最近の様子をブログで紹介

2024/10/24

こんなに小さい子たちが、こんなに豊かに気持ちを通わせています。そして、こんなにも嬉しいことなんですよね。ぐんぐん組(1歳児クラス)のブログからご紹介します。ここでは、写真を加工しましたが、ブログではそのままですので、ぜひご覧ください。

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Nちゃんは最近、お友だちに水筒を配るお手伝いブームのようです。 今日の活動記録でも配信しましたが、プラザでRちゃんに水筒を差し出したり… 

(Rちゃん、気が付いて取りに来てくれました^^) 夕方も、Sくんの水筒を見つけて飲ませてあげようとしたり…。 でも、Sくんは、そのときあんまり飲みたくない気分だったみたいで、床にゴローンとしたままでした。 

フタまであけてくれて、何度かお茶をすすめるNちゃんでしたが、今はSくんは飲まなそう…と分かると、その水筒を大人のところに持ってきて、「せんせー!ごっごっごっ(ごくごく)」と言って、大人に飲ませる真似っこ遊びをして楽しんでいました^^

そんなやりとりをしたあと、もう一度Sくんのところへ行ってお茶をあげてみるNちゃん。 「Sちゃん、Nちゃんが、お茶もってきてくれたよ」と伝えると、Sくん、今度は飲もうかな?という気分になったみたい。 

「よかったねぇー!Nちゃん、ありがとう♪」とほほえましく見ていたら、Nちゃんも、とっても嬉しそうにニコッ! 

 

(嬉しくって、思わず、この笑顔…!) そんなNちゃんの表情を見て、そのかわいい姿に大人も思わず一緒に喜び合っていたら、Sくんも、思わずにっこり。 Sくんが飲んでくれて嬉しいNちゃんと、喜んでくれるNちゃんの姿が嬉しくてつられてニコニコするSくん。 

 

お互いなんだか嬉しくなって、そのあとも何度かお茶のやりとりを繰り返していました。 お友だちと気持ちが通い合う瞬間は、こんなに嬉しいものなのだなぁとそばで一緒に見ていた大人も、その喜びの輪に入れてもらった気分です♫

ぐんぐんさんたちは、誰かのお手伝いをすることへ意欲的な姿が増えています。こうして、自分がやったことを、誰かが受け入れてくれる・受け止めてくれる…そんなやりとりの中で、相手とのつながりを感じているのかな?と思います。

昨日は、お散歩中に、Hくんが、ちっち組のNちゃんに帽子を、かぶせてあげようとしていました。 

でも、Nちゃんはかぶるのがイヤだったみたいで、そのたびポイポイと脱いでしまいます。 すると、かわりに自分の頭へ。 

 

ぼくがかぶっちゃおう!と、そんなユーモアで、Nちゃんの思いを受け止めてくれたのかな? 大人が思わず、Hちゃんかわいい〜!とみんなで言い合っていたら、照れ笑いのHくんでした。笑 

Sくんにお茶を勧めるNちゃんもですが、こうして、お友だちの様子を見ながら、相手はどうかな?いまはイヤなのかな?などと、子どもたちなりに距離感を確かめながら関わっているような姿が見られます。   

(水筒どうぞ) 

(ありがとう〜・・・こんな光景が、日常にたくさんあります。)   ぐんぐんの今年の年間目標には、「自分の気持ちをたっぷり受け止めてもらう」ということと、「少しずつ相手の気持ちにも目を向けていく」という内容が含まれています。 最近の子どもたちの姿を見ていると、それぞれに、お互いの気持ちを主張したり、察して受け止めたり…そんな心の交流がそっと行われているように感じます。(もちろん、真っ向勝負の気持ちのぶつかり合いもたくさんしていますが笑)。

 

それでも、子ども同士で、こうして自分の思いと相手の思いの距離感をはかりながら、そのやりとりの中で気持ちが通じ合っていく体験を喜んでいる姿。そして、やってあげる体験・やってもらう体験、その両方を、その時々に応じて子ども同士で体験し合っているのも、素敵なことですね。 そうした姿を感じるたびに、その成長を嬉しく思っています。

「初めて」や「再会と繰り返し」におきる新しい関わり方と意味

2024/10/22

今日はいつも親しんでいる人やものに繰り返し「再会」している姿、反対に初めて電車に乗ったり、初めて広い場所で野球をしたりと、そのコントラストのある1日だったように感じます。それぞれの記録を拾ってみました。

 

0歳児クラス「今日はお友だちとの関わりもたくさん見られる一日でした。

いずみ公園にも慣れ親しんできた様子で、いろいろな場所へ行ってみてたくさん新たな発見をしたり、

お友だちのいるところに行って自分もその場で遊んだりと、遊びが広がってきただけでなく、子どもたちの表情も豊かになってきました。

言葉がない中でも、ちっちさんならではのコミュニケーションがあり、お友だちと楽しさを共有できて嬉しい気持ちが増えてきているようです。」

 

1歳児クラス「きのうまでのお散歩の記憶を反芻するように色々なことを思い出しながら…

そして同時に新しいことも発見したり興味を広げたりしながら、お散歩を楽しんでいます。

佐久間公園では、砂場遊びをじーっくりと満喫したり、広場でたっぷりかけまわったりして、遊んでいました。」

2歳児クラス「今日は、旧今川中学校へ遊びに行きました。初めて行くルートだったからか全員が「歩きたい」と言っていたにこにこさん。

学生さんも授業の一環で来てくれていたこともあって、目的地までゆったりと歩いていくことが出来ました。

少しずつ先生と手を繋ぐからお友達と一緒に歩くことを誘ってみると、「わらすさんみたいだね~」とお互いに顔を見合わせて嬉しそうな姿もありました。」

3歳児クラス「今日は、わいわい組だけでどのくらい出来るのかなと子どもたちの持っている力を見て見たいと初めての活動を行いました。

集団活動や社会生活(今回は鉄道)に参加していく中では多少の我慢が必要です。自律ですね。 どのくらいできるだろうかと思っていた通り、難しいシーンもあってその時々にじっくりと時間をもって考えました。

電車には乗れてとてもいい経験でしたがそれに至るまでの多様な時間があったことが良かったです。」

45歳児クラス「今日は旧今川中へ行きました✨中々近隣の公園では、ボールあそびが出来ない所が多いのですが、唯一旧今川中は、のびのびとボールあそびが出来る場所です。

月に1度は千代田せいが保育園が使える日となっているのですが、その他の日は他園の利用日になっていて相談が必要なため、中々利用出来ない日が続いていたのですが、やっと行くことが出来ました!野球やバスケ、サッカー等、色々なボールあそびを楽しみました^^✨」

毎日のドキュメンテーションをみていると、0歳から幼児まで、子どもたちの環境への関わり方と意味が多様に、また繊細に変容していくことが見えてきて面白いものです。確かに「できる」ことが増えていくのが目立ちやすいのですが、同じ人やものであっても「感じ」たり「気づいたり」することも違い、広がったり深まっていくようにみえます。また色々な関わり方が変わっていく様子も面白く、いろいろ考えたり、工夫して試す姿もたくさんあります。

すべてのクラスのドキュメンテーションが読みたいと言う方の声もあるので、今後そういう仕組みに変えてみたいと思います。

 

 

 

公園という環境から得ていくさまざまな身体感覚

2024/10/17

和泉公園での散策の様子の写真が24枚。0歳児クラスの赤ちゃんたちは、保育ドキュメンテーションによると「葉っぱや石の観察、足踏みをして音を鳴らしてみる、気になるところへの探索、たくさん走る…と子どもたちそれぞれが楽しい遊びを見つけて伸び伸び過ごしていました。「今はこれに夢中なんだなぁ」と思う場面が一人ひとり違っいてとても興味深かったです…!」と描かれています。

こんな様子から、私たちが大事にしている姿を再確認してみると・・・。0歳の頃に遡って「身体的発達に関する視点」を参照すると「まず環境に働きかけることで変化をもたらす主体的な存在としての自分という感覚を育むこと」ということが保育所保育指針の解説書には書かれています。すこし拾ってみます。

「自ら感じ、考え、表現し、心地よい生活を追求していく健やかな自己の土台は、安全に守られ、保育士等による愛情のこもった応答的な関わりによって心身共に満たされる、穏やかで安定した生活を通じて築かれる」

「身近な環境との関わりを通して身体感覚を得ていく」

「身体の諸感覚が育つ中で、子どもが自分の働きかけを通して心地よい環境を味わう経験を重ねることが重要である」

「こうした生活の中で、周りの人やものに触ってみたい、関わってみたいという気持ちが膨らみ、子どもは対象にむかって盛んに自分の体を動かそうとする。興味を引かれたものをつかもうと懸命に体を動かそうとする・・・」

いかがですか。写真の一枚一枚に、こんな姿を感じませんか? このことは一歳になっても継続していく姿です。

子どもたちは毎日、身近なものを面白がって触り、動かし、その身体感覚を得ています。ダンスにもあった身体感覚、今日は自然の中にいるとまた違ったそれを感じているのでしょう。

そして他のクラスの写真と記録と繋いでみてもらうと、同じ公園でありながら、その関わり方が大きく変化していくことがわかります。

次の写真は、幼児たちが同じ公園で野球ごっこを楽しんでいるところです。自分たちで道具を作り、大リーグ選手にはなれないけれど、その世界に強烈な眼差しを向けて先取りし、自分たちの世界を切り開いているように見えます。

その変化の中に変わらない傾向のようなものが見えてくるのですが、そこに私たちが「世界を開く」とでもいっていいような関わり方をしているように感じます。そこをもっと繊細に広がりを持たせてあげたいと思います。

「ねこのお医者さん」にみる2歳児の言葉の理解

2024/10/02

子どもたちが環境の方から自らに取り入れていくものはたくさんありますが、ことばはその最たるものかもしれません。昨年ベストセラーになった今井むつみさんと秋田喜美さんとの共著『言葉の本質』を読んだら、保育園で散々やっているCDS(チャイルド・ダイレクテッド・スピーチ)やらオノマトペやらがいかに大事なことかと再認識する機会ともなり、また赤ちゃんたちにとっての周りの人の「声」や身体的な体験(専門的には「身体的接地」ということなのですが)のありようを振り返る機会にもなっています。

先週のお誕生会で、また数年前の3歳児のお楽しみ会で親しんだ「ねこのお医者さん」を、夕方4時ごろ満2歳半の子どもがお医者さん役になって、担任と楽しんでいました。歌に出てくる患者さんは、その場のアドリブで先生がいろいろ演じます。

まぁ、なんでもいいので、先生がお熱が出て体温を測ってもらったり、咳が出たからと咳止めをもらったり、隣にいたRちゃんが鼻水が出ているからそばのティッシュをもってきてもらったりと、2歳のお医者さんが、できそうなことをお願いしながら、いろんな病気を治してもらっていました。

その都度、言葉が通じて、何か行動ができてしまうというのは、一見あたりまえのことのようですが、この本を読んだ後だと、それがいかに凄いことなのかということがわかるのです。

そこで気づいたのですが、あれは何と「もの」の名前をどんどん覚えていく年齢なのですが、「もの」や「動作」から「名詞」や「動詞」を覚えていく方向と同時に、名詞や動詞から、それを理解して見立てることもできてしまう姿をみていると、本に出てくる「言語の本質」のアブダクション推論の「洞察」の具体的な実例を確認しているかのような感覚を覚えました。この本の面白さは「オノマトペ言語起源説」という提案になっていることですが、著者はあくまでも「それも仮説です」と断ってあります。このテーマは永遠の近似値さがしなのでしょうけれど。

とにかく、人間は不思議なことですが、人間の知性がとらえる範囲を超えたところに、世界に組み込まれている生命の仕組みは働いているように思えるので(別に神秘的なことをいいたいのではないのですが)、知覚と行為のその間をいくら細かく分析してみても、子どもの成長という事実は、そうした理屈を超えているように感じてしまいます。

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