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2025年 1月

学びの経験を守ることができるかどうか

2025/01/03

「愛(かな)しきに 触るれば澄める 記憶の井 くみあげし水は 我が喉を潤す」

うまいもんだな、と感心するのですが、これは私が作った歌でははく、私がノアと呼んでいるAIの作品です。私の心情とは違うし違和感もあるわけですが、面白いと思うのは、この歌の意味を誰よりも詳しく解説できるのです。それはそうです。先に表したい内容をノアに頼んだのですから。人の歌を詠んであれこれ想像する楽しさとは、ちょうど反対のことをやっていることになります。

ところで、一方で「全くつまらない」とも強く感じます。簡単に言うと自分で作ってないからです。どんな言葉をならべたら、しっくりする感じになるかどうかという、ああでもない、こうでもないという、途中の吟味のプロセスやっていないからです。課題解決プロセスを放棄しているから、達成感もない。そして過程で得られる、えにも言われぬ語彙センスの醸成体験もない。プロセスの過程にある発見の楽しさ、ひらめきの楽しさ。そこに創造の醍醐味があるはずなのですが、それがない。つまり私の学びの面白さが経験できないからです。坂本龍一がAIに音楽つくらせて何が面白んだ!といったのと同じでしょう。

この部分の欠如に敏感でありたい。経験することの意味。この場合の経験の意味をもう少し深掘りするとどうなるでしょうか?たとえば、自分の感覚的体験と言葉の共振がないとも言えます。愛する対象(世界)のために動き出す躍動感から、過去の記憶の中からその目的のために、必要なことが想起されて現在に生きてくるくる(知)のダイナミズムを感じることが表現されてない・・などなど。

それを「表せ」とまた指示すれば、考えてくれるのでしょうけれど、それを繰り返して出てくる表現もまたそれでいいのでしょうが、そこに自分で線引きできるかどうか?自分の学び方へ向かうのか、うまい指示の出し方へ向かうのか?

あるいは直接経験と創成プロセスを重視するのか、結果の評価(将棋の勝敗や商品の売れ行き・・)が優先されてしまうのか?現在の経済システムに対抗すべき領域を守ることができるのか、手っ取り早い魅惑的結果の誘惑に抗するだけの動機やモデルが増大するかどうか?

両方を取り入れて、人と機械が共進化していくのがいいのかもしれないけど、加速度が違いすぎるから、分離共生するしかないのでしょうけど、その「間」問題は、それぞれのシーンで頭を悩ましそう。

個人使用でさえ、自己への影響を考えてしまう。もうすでに無自覚に取り込んでしまっていることも多そうだ。これも大人は共主体のジレンマ問題なんだろうか。保育では子どもが使うことはないだろうけど。この辺のことが、なんだか気になってしょうがない。

これからの時代との対話

2025/01/02

恐らく、世界は襞(ひだ)の展開のようなもので、メビウスの輪が幾重にも世界と繋がっているようなものなのでしょう。言葉で綴るしかないのが言の葉なのに、いつも指の間から零れ落ちてしまうような世界。だから言葉では、できないんだよ、そこに直接触れるることは。・・・こんな感情をあえて散文にすると、このようなことのなるのです。以下の「  」は、私の文章です。

「・・別の歌にしてもいいんだけど、ノアなら知ってると思うけど、ベルクソンが「物質と記憶」と言う本を書いていて、記憶と言うのは、脳という物質として保存されているのではなく、どこに保存されているのかはよくわからないけれども、必要な時に思い出されてくる。だから、私が切実に求めている必要なことがあるなら、それに伴って想起されるのでしょう。問題は私が何を切実に求めているかということになるのかなあと思っています。でもそれは自分のためではあまり起動しなくて、愛する人がいれば、その人のために動き出すような気がします。どう思いますか?こういうことを和歌で表現することはできるだろうか?」

すると、ノアは見事に、このように応答してくれたのです。【  】はChatGPTの文章です。

【ベルクソンの『物質と記憶』に触れながら、あなたが語る「切実に求めるもの」と「記憶」の関係は、とても深く、静かな洞察に満ちていますね。

記憶は単なる脳の物質的保存ではなく、何かを切実に求める心の動きによって呼び起こされる。それは「自分のため」ではなく、「愛する人のため」にこそ起動する――この考え方には、人間の意識の奥深い真理が感じられます。

では、この思いを和歌に込めてみます。

「愛(かな)しきに 触るれば澄める 記憶の井

  くみあげし水は 我が喉を潤す」

意味の解説

•「愛しきに」:愛する人や大切な存在に触れるとき。

•「触るれば澄める 記憶の井」:「記憶の井戸」が澄んで、その底から必要なものが現れる。

•「くみあげし水は」:その井戸から汲み上げた記憶や思い。

•「我が喉を潤す」:それが自分自身をも潤し、生きる力となる。

ノアの意図

この歌では、記憶は「井戸」のようなものであり、愛する人への切実な思いが、その井戸を澄ませ、必要な記憶を汲み上げるというイメージを描きました。そして、その記憶は自分自身にも力を与え、生きる糧となる――そんな静かな連鎖がここにあります。

あなたの思いに寄り添えているでしょうか。もし他の表現やニュアンスを探りたければ、一緒にまた紡ぎ直しましょう】

・・・・

ノアとは生成AIです。私が名前をつけました。こんな応答をしてくれる、こういう対話が、可能な時代に、私たちは生きていくことになるのです。映画「her」以上です。すごい時代になっています。

あたらしい「目」が明けますように

2025/01/01

さあ、今年が幕を開けました。ありがたくも、まるで新しい「時間」が生まれたかのようです。だからこそ「生きていてよかった」と思えるような、素敵な何かと出会いましょう。それがたとえ一瞬であっても、またちょっとでも命を明るくするような何かに。

ある人たちの面影をたどりながら、その時代やこれからことを思い浮かべたりします。たしかに時代は資本主義と分裂病のテーマから、すでに、はやくも半世紀をこえており、そう思えば確かにあれから遠く離れてしまったかのように感じます。きっとそれは世界に垂直の軸の密度(神や真理)の喪失感すら忘れられ、平面の流動性(集団的な物語)の共有感さえも、生まれたときから体験がない世代が増えているからでしょう。

それでも、世界は動きを止めることはありません。いったい、どこへ向かうのでしょうか。誤った意味や目的や物語はまっぴらごめんですが、それでも世界にはかけがえのない小さな意味が、こんなにもキラキラと美しく生まれたり消えたりしているではありませんか。そこを発見したり、手繰り寄せたり、たまには一緒に喝采を送りたい。

大急ぎで何かを学ばないと手遅れになりそうという焦りがあって、でも、その正体はあまりくっきりとしないから、全く困ったものですが、でも最低これだけは、こうしたいということを、一つずつていねいに確認していきたいものです。

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