「いろいろなものには“深み”があります。保育の“楽しさ”にも深みというものがあって、その深みをみんなで追究できたら素敵です」
これは今日投函した年賀状に書いた言葉の一つです。深みのある味、深みのある言葉、深みのある芸術作品・・大抵の場合、「深い」ことは良い意味で使われます。もし「この料理は味わい深い」と言われたら料理人は嬉しいはずです。ただ「美味しい」と言われるより以上に。どんなものに、「深い」という言葉が使われているか、これまで何年もずっと考えていました。もちろん保育にとってです。そして一定の結論を得ました。それは二つの条件が必要なのです。
一つの条件は、複数の要素が絶妙なバランスを達成していることです。多面的にその良さを感じるのです。もしお茶やワインやコーヒーが好きな方がいらしたら、味わい深いと感じる時の、その味の理由を説明してみてください。複数の要素が混ざり合って、あるいは響き合って、一つだけでは出せない味わいが一つのハーモニーを醸していることでしょう。
もう一つの条件は、長い時間がかかっていることです。伝統的なものに、深い美を感じるのです。時間の洗礼を受けているのです。多くの人々から時を超えて敬意を受けていることがわかるような何かです。
私はそれに「楽しさ」を取り上げたいのです。浅い楽しさではない深い楽しさです。しかも保育の、です。保育の質が高い時、それを実現させている関係者は楽しいはずです。子ども自身も、親も家族も、私たち保育者や地域の人々が、楽しいと感じ、それが深まること、味わい深いこと、そんなことを目指したいからです。深さには限界がありません。さらに深いものがあるのです。
こんなことを、考えながら、昨日の元旦に届いた年賀状を一枚ずつ眺めて過ごす時間がありました。その絵柄と言葉の背景を想像するのが楽しくて、一人ずつに返事を書きました。私は相手によって思いつく言葉が異なるので、一枚ずつ「どんな言葉なら、どんな風に届くんだろう」と、色々と言葉を選びました。
同じ言葉でも相手によって、受け止め方が変わることが想像できるからです。長い文章になってしまう場合もあれば、スピノザの言葉を引用する場合もあったり、即席の俳句を筆で書いたりもしました。もっとも短い言葉は「今度はアキバで」でした。受け止めてらもう相手がいることだけで、嬉しいと思えることが言葉の関係性です。
いただいた年賀状で深いなあ、と感じたものは、4文字しかありませんでした。でも、彼女は美大卒のアーティストでありながら保育士なので、それだけで意図やセンスが伝わってくるのです。私にとっての「深さ」の条件をクリアしています。それが冒頭の写真の年賀状「2020」です。