見立て遊びは好きなことに限らない?そうか、痛いことや怖かったことも再現するのか、面白い!ーーー今日の1歳児ぐんぐん組のブログのことです。満2歳を過ぎている子たちが、お医者さんと患者さんという役割をもった「お医者さんごっこ」を楽しんでいる様子が報告されています。しかも注射しているところなのです。いまテレビをつけると「ワクチン接種の場面」がよく写されるので、その影響かもしれませんが、多分、自分が予防接種を受けた時の体験だと思います。痛くてきっと泣いたりしたでしょうに、それでもごっこ遊びになるんですね。そういえば、お化け屋敷なんて、怖くて悲鳴をあげたりしたのに、子どもはお化け屋敷ごっこが大好きだといことを思い出せば、そんなに不思議なことではないのかもしれませんね。
歯医者さんも、痛い思いをしたんじゃないかな、と思う方が多いと思いますが、実はうちの園医の山本歯科さんは、子どもたちに人気なのです。6月と10月ごろに年に2回の歯科健診をお願いしていますが、その時の様子を見ていると、もちろん子どもにもよると思いますが、あまり怖がりません。優しい先生なので、その雰囲気が子どもにはわかるようで、嫌がるどころか、むしろ、「あ〜ん」と自分から口を開けて診てもらう姿があります。
見立て遊びに取り入れられる場面は、子どもにとって、きっと印象深いシーンなのでしょう。昨日の0歳児ちっち組のブログでは、柳森神社での「お参り」が取り上げられていました。満1歳の子が、手を合わせてお参りする「ふり遊び」なんて、私も初めて見ました。心動かされる体験、という言い方に私たち保育者は慣れ親しんでいるのですが、深く考えると、何が心を動かしているの不思議です。「ああ、そこか!」と子どもは大人に教えてくれる印象的なシーン。数ある大人の振る舞いの中から、それを切り取ってくるセンサーは、誰に教えられたわけでもない、先天的な認知の枠組みなのでしょう。ここに人間の認知の秘密があるようです。
今日は久しぶりに、ダイニングで子どもたちと一緒に食事をしました。新型コロナウイルスの感染者数が多い時期は、事務室で昼食を摂るようにしていたのですが、3月になって、すいすい組の子たちとの残された時間を大切にしたいという思いが募ってきました。すると、すいすいの子は、昨年秋頃から読んであげてきた絵本の名前や、物語の印象深いシーンを、いくつもいくつも語り出すのです。それには驚きました、と同時にとても嬉しくなりました。このように話し出すことも、印象的なことの再現に違いないわけですが、私の方まで心が熱くなってしまいます。心を通わせるという意味は、大事なことを分かち合うこと、再確認すること、共有することなんだなあ、としみじみ思ったものです。そしてこう思うのです。「よーし、また楽しいお話をいっぱい読んであげるからね」。