子どもは不足してる存在で、発達や成長していくことで豊かになっていくと考えがちですが、そのような見方をやめて、初めから豊かであり、有能であり、大人以上に幸せであると私は考えます。どのような視点を大切にするかで見方は変わってくると思います。
赤ちゃんは生まれながらにして有能であり、人と気持ちを通わせたがっていることの説明に、よく引き合いに出される話があります。赤ちゃんを抱っこして授乳している時、赤ちゃんは時々飲むのをやめることがあります。すると保育者は「ほら、どうしたの、飲んでごらん」などと言って、親や保育者は体を静かに揺すぶってあげることを無意識にします。これは赤ちゃんがあやしてもらうことが心地いいので、それを期待して「飲むのをやめる」という解釈があります。赤ちゃんの方が大人の行動を引き出すように働きかけているのです。
人との関係の中で、積極的に働きかける力があり、それを達成させると嬉しくなり、その行動に没頭します。この時赤ちゃんは幸せな時を過ごしていると言っていいでしょう。この事例の中に見られる要素を取り出すと、まず他者との良い関係があると人は幸せです。保育者から望んでいる援助を受けています。2つ目は何かを達成していることです。望んでいることが達成できることは幸せです。3つ目はポジティブな感情に満たされることです。嬉しい、美味しいという内的受容感覚が満たされます。4つ目は時間を忘れて積極的に関わっています。没頭している時間が流れています。大人になると、これに「人生の意味や意義の自覚」が加わります。自分は何のために生きているのか。自分ともっと大きなものとの関係を意識します。大人は人生の意味の物語を作るのです。
このような状態を幸福で健全な状態、つまりウェルビーングといいます。幸せになる条件とは、成長や発達を条件にしているのではないのです。今できないことができるようにならないと幸せになれない、ということではなく、すでにいくつかの条件があれば、幸せな状態は作り出せるのです。このような「子どものイメージ」を選ぶことが、価値選択です。大人が何を良いこととみなすか、どんな価値を選択するのか、何を大事な価値とみなすのか、ということです。
「自分らしく 意欲的で 思いやりのある子ども」という子ども像は、目標として捉えることができると同時に、赤ちゃんの頃から実は持っているものであり、発達のそれぞれの段階にふさわしい姿に変容していくものなのではないでしょうか。すでにあるものが条件によって引き出されたり、形を変えて何かに「なる」というものが成長なのかもしれません。