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園長の日記

東京2020パラリンピック閉幕

2021/09/05

今日9月5日(日)で東京パラリンピックが閉会します。昨年春、東京パラリンピックが始まったら、子どもたちが「ボッチャ」をやるんじゃないか、とイケヤで売っていたボッチャのおもちゃセットを買ったことを思い出しました。そのボッチャで活躍した杉村英孝選手について、3年間取材してきたというNHK放送レポーターの千葉絵里菜さんが次のように語ってたからです。

「杉村さんは私と同じように脳性麻痺で、人の力を借りなければ、生活ができません。でもボッチャのコート上では、誰の手も借りず、自分で選び、自分で決めます。杉村選手はボッチャこそ、自分らしさを出せるスポーツだと言っていました。そして、同じ障がいのある人たちに、こうゆう世界もあるんだよ、ですとか、こういうすごいプレーができるんだよ、ということが伝わってくれたら嬉しい、とも話していました」

障がいがあってもなくても、その人らしく何かができるように選択できること、自立とは支え合って生活するためにある(幼稚園教育要領「人間関係」のねらい)ことの素晴らしさ伝えてくれます。人が多様であるということは、生き方の選択肢も多くなる必要があります。オリンピックよりも、パラリンピックの方が種目の数は多いのですが、同じ卓球なら卓球でも色々な種類が用意されています。支える人も多くいることがわかりました。

この話は象徴的だなあ、と思います。スポーツそのもののあり方も考える機会にもなりました。実際に行われているスポーツの裾野はものすごく広く、放送されることのない、たくさんの種類が作られ、そして楽しまれています。

この話を保育に移すとどうなるのでしょう。思い出すのはやはり「子どもたちが100人いたら、そこには必ず100の言葉がある」と言った、イタリアの幼児教育実践家で哲学者で詩人だったローリス・マラグッティのことです。彼は、それを述べた時代に、こう続けました「そして99が奪われてしまう」と。当時の幼児教育を痛烈に嘆いたのでした。

この「人間の多様性への尊厳」宣言は、今でも幼児教育の世界に影響を与え続けています。彼はその市の教育長になり、彼の名前のついた研究センターもできています。そして今でも公立の幼児学校で60年以上に渡って続いています。そして彼の考えに基づく保育は世界中に広がっていったのでした。

それでも日本でなかなか広がらないのは、多様性を豊かに保障するためには、素晴らしい先生の「数」が必要だと言うことが、ずっと無視されてきたからです。戦後1度も最低基準を改定したことのない日本では、リアルにユートピアのままなのです。すいません、またこんな愚痴をこぼしてしまいました。

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