これからの保育、ということを考えるとき、これまで私は日本の保育を想定して考えてきました。時代がどのように変わり、次の保育所保育指針がどう変わっていくだろうか?ということを予想しながら、考えてきました。それは一方で「本来はこうありたい」という話でもあります。今後の保育はどうあるべきかという話の中に、時代や社会状況の変化を見越して変えなければならないものと、変えてはならないものがあります。
そこを話し合うために今日10日の6時から8時まで園内研修をしました。場所は和泉橋出張所。テーマは「千代田保育園の10年計画」です。題材に使ったのはイタリア、レッジョ・エミリア市の実践DVD「こどもたちの100のことば」です。世界同時多発テロが起きた20年前、2001年に世に出た映像ドキュメントです。戦後に始まったレッジョの保育は60年以上続いています。それは今もなお、優れたこどもの創造性と協同性を育むものとして、世界の保育に影響を与え続けています。今日の研修ではこの実践をみながら、時代が変わっても、変わらないもの、実現させたいものについてこの事例から話し合いました。
この実践の最大の特徴は、カリキュラムのデザインが優れている、ドキュメンテーションという手法を編み出した発祥の場である、それを用いた保育者の話し合いが豊かになされているという点にまとまられますが、それを長い間、継承発展させることができているのは、実践の主体が自治体であるということに注目しないわけにはいきません。市をあげて、市民が取り組んでいる実践なのです。建物も保育材料も人材も全て公立の幼児学校、乳幼児保育所の話なのです。例えば、千代田区の公立幼稚園、公立保育園が取り組んでいるような話なのです。
基礎自治体が何を目指すのか、どんな保育を創り出したいと考えるのか、そのために財源をどう使うのか、そういう視点で見ると、実に豊かな仕組みが出来上がっています。建物は中央の広場(ピアッツア)を取り囲むように教室が取り囲み、教室は明るいアトリエと暗いアトリエが並んでいます。アトリエといっても画材や製作の材料が置いているだけではなくパソコン、OHP、プロジェクター、ライトテーブルをはじめ、テレビ、印刷機、切断機、ブック製作機など、当時の最先端のテクノロジーが総動員され、市が運営するリサイクルセンターが木、石、布、紙、綿など実にさまざまな自然物と、ボルト、ねじ、プロペラ、電気素材、建築資材などの人工物を全ての園に提供しています。アトリエの棚は、まるで秋葉原の電気街のパーツのように教材、資源が綺麗にふんだんに並べられています。
人材も豊かです。教育学や保育学の専門家、教育指導主事のような立場の先生が一人(あくまでも各園に一人です、日本の教育委員会事務局のように市に数人、ではありません)、さらに子どもの興味関心を具体的な表現に結びつけていく芸術の専門家が一人、加配されています。朝登園してくると何をするか、何を探究するかを決めると、例えば鳥の絵を描きたいという子がいれば、園庭にイーゼルを出して絵を描き始めます(園庭はバードウォッチグができるような場所であり、そのためのエリアまであります)。
ある子はイタリアの国民的スポーツであるサッカーの試合のビデオを見ながら、お気に入りなのでしょう、好きなサッカー選手のカッコいい動きを粘土で再現していたり、園庭ではブランコに乗っている友達の姿を前から後ろから横からと、いろんな角度からスケッチしている子もいます。ブランコを持つ手の形を何度も書き直して、その表現に拘っている子の探究心がクローズアップされていました。このような活動をしている4〜5人の子どもに対して一人の先生がついてドキュメンテーションをつけながら、子どもの興味や関心に沿って、活動を発展させ探究を深めていく手助けをしていきます。
そうした活動は一つのテーマ性を持ったプロジェクトという言葉で語られ、短くても数日、大抵は2〜3週間、長ければ数ヶ月に及びます。その間にそれぞれの子どもが身近な世界に分け入り、何かに気づき「じゃあ、どうなんだろいう」という問いを生み出しならがら、その興味と問いを保育者が理解しながら支えていきます。粘土で作った人が倒れないようにする工夫について、子どもたちが話し合っています。いいアイデアが出たら、先生は「さっき◯◯くんがいいこと言っていたよね」と、同じ疑問を考えている子どもに、友達の発言へと注意を向けさせたりしていました。
この場面は、これからの日本の学校教育が目指そうとしている「個別最適な学び」と「協同的学び」のいい例です。個別具体的な学びのプロセスを他の子どもの学びに役立つように、考えたプロセスを語らせ、共有していく話し合いを大切にしているのです。先生はその学び合いの促進者、伴奏者、仲介者のような役目を果たしています。
探究していくテーマは水、土、光、熱、太陽、恐竜、街・・・子どもの生活の中で出あう世界そのものです。それを子ども自身のものにしていく、自分の中で生じたイメージを形にしていく、形にしたものが他者とのコミュニケーションの「道具」になっていく、そういう保育観が保育展開の中にあります。
子どもの表現したものは、その過程が記録されていくと同時に、作品として終わるのではなく、その作品が新たなコミュニケーションをうむための「道具」として使われているのです。作品の鑑賞という意味だけではなく、そこから子どもや大人や市民がインスパイアされていく、影響を受けていくのです。大人の作品も子どもの作品も、そこに優劣はないのです。これが幼児学校、乳幼児保育所が市全体へ向けて情報を発信している文化センターのような位置付けになっているのです。
これは日本でイメージする託児所でも保育所でもなく、藤森統括園長がよく言ってきた「遊びのミュージアム」に近い位置付けです。地域に開かれた保育園というキャッチフレーズは日本でもよく聞きますが、地域に発信し交流し街の広場に生活圏が広がっていく子どもの表現のセンターになっているのです。
DVDには最初の方で、みかんの皮の香りを水彩画や作曲にしている幼児が紹介されています、その筆の動きや鍵盤の触り方は、長い時間をかけて表現を楽しんできた軌跡が想像できました。
映像はその時の一瞬しか映し出しませんから、昨日のブログで書いた「体験」と「経験」の違いのように、映像で映し出された体験の様子から、それまでの経験を想像します。
ドキュメンテーションはその理解のためにも役立ちます。成長展で年3回同じテーマで描く絵やシルエットは、つながりのあるプロジェクトではなく定点観測ですが、経過や変化、成長を読み取る意味では同じような役割になります。
この保育観がうみさ出されてきた背景には、芸術の伝統、ルネッサンスを産んだイタリアの歴史、ナチスに一度占領されたレジスタンス運動で培われた抵抗の精神、自らの存在を自己表現する手段を持つことの意味、他者と関わっていく、出会っていくことの人生における意義などがあります。ここがしっかりと議論され、練られ、市民と一緒に共有されているからこそできる保育観なのです。
さて、江戸時代から続く千代田区の伝統あるまち神田岩本町。クールジャパンの一つの代表でありAKB48を産んだポップカルチャーのまちアキバ。神田川を挟んで歴史の積もった過去と、未来と世界につながる現在の見事なコントラストをなすこの場所で、どんな保育を思い描くことにしましょうか。