先週10日(金)に続き、同じ内容の園内研修を夜、6時から8時まで行いました。全員の職員が一度に参加するのは難しいので、2回に分けて行った園内研修です。園内研修は色々なスタイルがあるのですが、開園して3年目の今年は、改めて当園の特徴をはっきりさせながら、それをさらによくしていくためにはどうしたらいいのか、という方向性を大事にして進めています。
今回の研修の内容は当園の「10年の長期計画」の中に位置付けているカリキュラムマネジメントのアップデートです。全ての先生たちと足並みを揃えながら、保育園のカリキュラムの現状を認識し、何をどうしたらもっと良くなるのかを探るための研修になります。園長の仕事は5つあって、まず「社会的責任」を果たすために、どんな「理念・ビジョン」を目指すかを作り上げます。この2つが最も大事なので、ここを丁寧に検討します。その材料が世界の動向と東京・千代田区の動向です。今回は千代田区の方にも参加してもらいました。(ちなみに園長の仕事の3つ目は施設の設置及び維持管理、4つ目が職員の採用・養成・職能開発、5つ目が具体的な保育の計画と実施です)
世界の動向はOECDの動き、そこで紹介されている世界のファイブ・カリキュラムの現状確認、日本では政府、日本保育学会の議論、発達保育実践政策センターの見解などを参照します。今回の研修はイタリアのレッジョ・エミリア市の実践をめぐる保育研究者ピーター・モスの議論を下敷きにしたものです。具体的には、20年前のDVD「こどもの100の言葉」を見ながら、現代と将来に生かしたいことを明らかにすることです。これを取り上げたのは60年以上も続いている優れた実践であること、民間ではなく「市」が実践しているものであること、町づくりとセットの実践であるからです。
前回10日と今回の先生たちの感想から、当園と同じものが5つあることが明らかになりました。
(1)子どもの中から生まれたものをうまく引き出す保育であること
(2)子どもの興味や関心から出発している保育であること
(3)子どもの体験のつながりのプロセスを大事にしている保育であること
(4)子どもも保護者も先生も地域の方も自治体も仲良く協働して生活を作り上げていること
(5)それぞれの当事者(子ども・保護者・先生・地域の方など)の体験の意味を可視化する方法を持っていること
そしてこれらの要素が検証をへた保育学、教育学の理論に支えられていることです。
課題は、それぞれをもっと良くすることです。
例えは、(1)から(5)に共通する課題として見えてきたことは、レッジョではドキュメンテーションという方法をうまく活用してきました。子どもの「体験」の様子をスケッチブックのような記録用紙に、個別に記録していきます。それは先生たちが、子どもの活動や体験の意味を話し合うために使います。まずは保育計画を検討するためのツールとして使っていることがわかります。「可視化」の目的は、まずここにあります。子どもにとって「体験」を「経験」に発展させていくために、まずドキュメンテーションがあるのです。この記録は極めてラフな手書きのものです。(1)や(2)や(3)のために使います。
(4)のために、当園ではクラスブログがその役割の一部を担っています。レッジョでは、先生のスケッチブックのような現在進行形の保育記録が、今度は写真やビデオや作品などの展示、掲示によるドキュメンテーションに変化していきます。これを保護者と共有します。
(5)のためには、子ども同士の協同性ということが、レッジョからは参考になります。個々の探求の過程を子どもが一緒に見たり、話し合ったりすることを意図的に行います。子ども同士の関わりを大切にしている当園と同じように見えます。
しかし、面白いのは、それは当園が今やっている「表象」の捉え方を、レッジョはもっと徹底していることでした。子どもが何か心動かされる体験をしたとします。すると、それをさまざまな道具を使って、表現する遊びをふんだんに取り入れるのです。例えば、朝のお集まりでみかんの皮を嗅ぎます。甘酸っぱい、あのオレンジの皮の匂いが子どもたちのイメージを掻き立てます。それを水彩画の絵にする子ども、鍵盤を鳴らして音(音楽)にしている子ども、言葉を書き記す子ども・・・イメージを表現すること、可視化すること、再現することで、他の子ども同士が、気づき、感じ、それを見合い、聞き合い、興味を持ち合い、さらに刺激し合うという「協同性」を生んでいるのです。
それが、結果としての保育の可視化としてのドキュメンテーションなのですが、どうも日本で広がってきたドキュメンテーションは、それまでの保育のプロセスは変えずに、単発の活動を写真や動画に収めて、「こんなことをしました」という日記になってしまっていることが多い気がします。それでも可視化による共有やコミュニケーションは生まれるのでいいのですが、大事なのは子どもの体験や経験の質の広がりや深まりなどの方なので、そこがどうなのか、という子ども理解への言及が必要な気がします。
当園の先生たちの眼差しにはそれがあって、ブログを見ていただけるとお分かりだと思いますが、心の動きを捉えた記述になっています。さらに千代田区と話し合っていきたいのは「保育のプロセス」における保育書類のあり方です。特に保育書類にPDCAの痕跡があるかどうかをチェックするような監査をしている限り、保育現場を保育の本質から遠ざけてしまうことになってしまうことに、早く気づいて欲しいものです。日本では自治体の保育を見る目が問われているのです。