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園長の日記

文化の日は「共生の喜び」を確認する日

2021/11/03

今日11月3日の文化の日は、文化勲章を授与される日で、長嶋茂雄さんがニュースになっていますが、今年は武田信玄の誕生日でちょうど500年になることを知りました。漢字で書く、この「文化」という言葉を日本人が使うようになったのは、明治からです。外来語の、たぶん英語の culture を「文化」と訳したのでしょうが、 cultureには他にも「栽培」「耕す」という意味もあります。日本語はカタカナでカルチャーと書くとまた別のニュアンスが生まれ、使い分けています。

辞書をひくと、文化とは「人間が後天的に学ぶことができ、集団が創造し継承している認識と実践のゆるやかな体系のこと」と説明されていたり、ネットで検索すると「複数名により構成される社会の中で共有される考え方や価値基準の体系のことである」とされたりしています。また「 簡単にいうと、ある集団が持つ固有の様式ことである」ともあります。

そうなると、私たちが基本的な生活習慣と呼んでいる食事、睡眠、排泄、衣服の脱ぎ着、手洗いやうがいや歯磨き、挨拶なども、全部、文化です。また、ありとあらゆる遊びや活動も文化です。なんでもなくなった今でも、マスクを取ろうとしない日本人の感性とかも文化でしょうか。

子どもは、子ども同士の関係、親や大人との関係の中で、お互いに育ち合っています。事実、私は子どもたちからも保護者のみなさんからも、いまだに育てられてもらっていると感じることがいっぱいあります。子ども同士の関わりは、クラスブログでもよく取り上げられていますが、エプロンをつけたあげたり(つけさせてあげたり)、ズボンを履くのを手伝ったり(手伝わせてあげたり)、しあうのは、「子どもにとって、生活の中の一つ一つの習慣や行為は、その目的を達成するためだけのものではなくて、友だちや大人との関わりの喜びを感じたり、そこから色々なことを学びとったりするための時間でもある」(昨日のぐんぐんブログ)のだとしたら、これこそ、文化的実践と言えるものだと思いました。

どうしてかというと、こうです。文化の辞書的な定義だと「なんでもあり」かのように誤解されがちですが、「文化の日」が醸し出しているものを感じ取ると、また「耕す」とか「栽培」とかの意味もあったことを思い返すと、文化という言葉には、国や地域社会の成り立ちや、それを成り立たせてきた歴史や自然や風土との関係、あるいは今の生活様式に大きな影響を与えてきた、ルーツのような、また私たちが生きる条件のようなものを指し示している、という語感を伴います。

最近は千代田区の保育の歴史を振り返っているのですが、平成20年告示の保育所保育指針の解説書を作っていたときに、色々なアドバイスをいただき、大変お世話になった柴崎正行さん(数年前に亡くなられました)が著した本の中に、こんな言葉があります。「子どもたちは園生活の中で、何をどのように学んでいるか」というテーマで「子どもたちは、保育者や仲間と一緒に園生活を営みながら、実に多くのことを学んでいます。その中には、人として生きていくために、どうしても欠かすことのできない、大事な事柄が含まれているのです」

この大事な事柄とは、こうです。「例えば、他者に自分の思いを伝えることや仲直りをすること、他者を助けることや、できないときには手伝ってもらうことなど」という例を挙げています。NRちゃんがN Lちゃんのズボンを履くのを手伝う姿は、あるいは手伝わせてあげる姿は、「喜びを感じたり、いろいろなことを学びとったりするための時間」だとすると、人としていききていくために、どうしても欠かすことのできないものが含まれているからなのでしょうね。それは一緒に生きること。ともにあるという心を確かめ合っているようにも思えます。

ちょうど今、英スコットランド・グラスゴーでCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)が開かれています。文化の日は、世界中で未来に向けた共生の日になるといいですね。

 

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