【万葉集は、和歌の部分が万葉仮名だった】
万葉集は、基本的に漢文で書かれていて和歌の部分は万葉仮名になっていることがわかりました。元号「令和」の典拠は和歌ではなく、その解説にあたる序文のところなので、「漢文」で書かれています。当時の貴族や役人たちは、漢文で書いていましたから、説明文は漢文が自然だったのです。しかし、五七五の韻を踏む和歌は、声に出している音そのものを、文字として定着させるには、表音漢字として使うという方法を編み出していったのだと思います。これは私の勝手な想像ですが。私は謎が解けて気分スッキリです。32種の和歌の中には「梅花の宴」の主催者である大伴旅人(後に万葉集を編纂したと言われる大伴家持の父)の歌もあります。
それを万葉仮名、現在の漢字、口語訳の順に並べてみましょう。
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和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母
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わが園に梅の花散る ひさかたの天より雪の流れくるかも
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わが家の梅の花が散っている
天空の果てから
雪が流れて来るかのように
天空の果てから
雪が流れて来るかのように
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私たちが使っている日本語の話し言葉は、まだ文字に書かれていなかった時代、推古朝時代の遣隋使や奈良時代の遣唐使などの使節団が、中国から持ち帰ってきた書物はすべて漢字でしたから、その音だけを代用して書き言葉として使っていたのが万葉仮名でした。
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【ひらがなの誕生】
そこから、ひらがなが誕生していくわけで、子供たちがひらがなを学ぶときに、漢字を崩して教えていくことが難しいと言うテーマに直面します。例えばシュタイナー教育なら、エポック授業の中でローマ字のFを教えるときに、フィッシュの【ふ】と言う発音と【さかなの形】を、一緒に伝えていきます。日本語のひらがなは、象形文字ではなく、漢字を崩したので、それができにくいのです。
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ちなみに、和紙に墨で縦に書く漢字から、ひらがなができたおかげで、日本語は世界に類を見ない、縦でも横でも文字を並べることができる特徴を持つことになりました。