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見守る保育

持って生まれたコップの水

2022/01/29

教育がコップの中にある水を汲み出す方向にもあるとすると、どうやって、すでにコップの中に水があるのか? または、最初からあるその水と後から注ぎ込む水とは、何がどう違うのか? いろんな「?」があっていいのですが、私なりに納得しているのは、こんなことです。

生まれてきた赤ちゃんが、すでにそこに赤ちゃんとして存在すること自体が、とても不思議な人間存在の謎につながる話なのですが、しかし、その話を抜きには「なぜコップの水が最初からあるのか?」を説明することは難しいでしょう。人間が存在するのは、過去からつながっている生命があるからですが、一世代だけを考えれば、お父さんとお母さんから受け継がれてきたものがすでにあるから、という説明をしておくことにしましょう。

そして、もう一つの問い、最初からある水と、後から注ぎ込む水の違いですが、端的にいうと、原初の過去からずっと途絶えることなく受け継いできた「水」が最初からある水であり、ブッダの時代でもキリストの時代でも鎌倉時代でも江戸時代でも昭和の時代でもない、21世紀のこれからの時代を生きていくために必要な、資質や能力を培うために必要な水が、後から注ぎ込むことになる水と言えるからもしれません。

それでも、もしこの二つの水の大切さを天秤にかけてみるとしたら、生きているために重大な生命力としての水が乗っている皿がずっしりと沈み込み、もう一方の現代的課題としての知識やスキルとしての水が乗っている皿は、軽々と跳ね上がってしまうことでしょう。圧倒的に大切なのは、生きる力としての水だからです。

もう一つ、大切な疑問があるかもしれません。それは「引き出す、とか育むというのは、具体的にはどういうことか?」という、教育の方法に関する本質的な質問です。一つの考え方はその一人ひとりの子どもにとって、取り巻く環境が、その子にふわしいかどうか、ということになります。思わず遊び始めるような遊具がものがあるか、わくわくするような活動ができるか、自発的に自分のいろいろな力を使うことができる体験ができるかどうか、そのような環境との相互作用が生まれるように、環境を用意することです。

私はこれをよく植物に例えます。今私の目の前には花瓶に花が飾ってありますが、その蕾が花を咲かせるためには、水と日光を温度を用意します。花を咲かせる力は、花が最初から持っている生命力であり「コップの中の水」です。しかし、その生命力はある条件のもとで活躍します。水もやらずに真っ暗な中で、寒い外に放っておいたら、きっと枯れてしまうでしょう。あるいは、目の目には保育園の玄関に咲いていた朝顔の種があります。これはずっと種のままです。しかし、暖かい室内で、10日間ほど水に浸し、空気に触れるようにしておけば、きっと発芽するでしょう。

このことが「教育」のエデュケーションの意味です。本来、どの子も持っている、かけがえのないその子らしさを携えて、この世に生を授かった子どもたちは、それぞれの「コップと水」を持っているのです。それをわかりやすく個性ということがありますが、それは本当に一人ずつ異なるものであり、何か評価するようなものではありません。ましてや時代によって変わってしまう価値観や、社会が求めてくる資質や能力の物差しで評価を下してはならないのです。

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