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園長の日記

社会情動的スキル17  心情・意欲・態度

2022/05/10

この「心情・意欲・態度」という言葉の3点セットは、私たち乳幼児教育に携わっているものは、みんな知っている言葉です。どのように使われているか、というと「教育のねらい」になっている言葉として使われています。つまり、私たちの保育が何を目指しているのかというと、この教育のねらいが実現されていくように、子どもたちを育てようとしていることになります。この三つの言葉を全部を丸めていうと「豊かな心情を育み、生きることに意欲的であり、よりよい生活を作り出す心の姿勢をもてるようにしていこう」という意味になります。

この時に大事なのは「この3つの順番です」ということを私はよく話します。心情というのは気持ちです。「嬉しい、楽しい、面白い、悲しい」など形容詞で表される感情を含め、人や自分を大切に感じたり、人への思いやりや親切な気持ちを抱いたり、人と一緒にいることの喜びや、「自分も!」という憧れや「すご〜い」という感心や尊敬、驚きや不思議だと思うような心の動き、好奇心や探究心など、実に多様なものがありますよね。ひとりぼっちで寂しいという孤独感なども、人との関係の中で初めて感じる心情です。

さて、この心情の中で、ちょっと特別なものがあります。他の気持ちとは違って、生きていく上で欠かせない、心の駆動エンジンのようなポジションを占めている心情です。それが「意欲」です。この心情は不思議な心の働き方をするものであり、未来に向かって動いている生命力のようなものを形容している言葉になります。これが働いて初めて私たちは、心理学でいう心の「実行機能」を働かせることができるのです。ですから、心が一歩踏み出すための原動力でもあり、これが繰り返し働くことで人の資質や能力を形作ることになります。

そうやって形作られた心の姿勢を、態度と日本語では訳しているものですが、英語では心の姿勢attitudeになります。行動のactionでも、振る舞いのbehaviorでもありません。心情emotionsから生み出され、習慣化されたり、その人らしい社会性を指し示したりするものです。

この心情から意欲、そして態度が形成されていくという過程、プロセスが極めて大事なのですが、そのつながり具合を理解してもらうために、「ごめんね」「ありがとう」の言葉を使い方を考えてみます。

子どもが何か謝らなければならないことをしてしまったとします。すると、相手に「謝ることができるようにすること」(行為・行動)が「しつけ」だと思われていますから、「ごめんねは? ちゃんと謝りなさい」と子どもに「ごめんなさい」と、人に謝れる子どもにしようとするでしょう。この働きかけは教育なのですが、保育では「ごめん」と口で言えるようになることを、「教育のねらい」にはしません。

それは態度を行為と間違えていることになるからです。保育で育てたいと考えていることは、まず心情を育むことからです。ですから「ああ、悪かったなあ」と思える子どもになってほしいと願うのです。そうした心持ちがあって初めて「ごめんね」に心がこもり、生きた言葉として相手に伝わるようになるでしょう。何か間違うと条件反射的に「ごめん」をいうようになると、それで謝ったことになると勘違いしてしまい、ごめんと謝れば、それで一件落着と学習してしまうことになります。ごめん、と言えさえすればいいという「魔法の言葉」にしてはいけないのです。

私たち保育は、心を育てたいのです。もし「悪かったなあ」と思えないなら謝る必要はないことを学ぶべきかもしれません。自分もよくなかった、と自覚し、自分を省みることができるようになっていたら、なんと素晴らしい育ちでしょう。仮にバツが悪くて「ごめんね」が言えなくても、心は育っていると言えるのです。その心情に共感してあげれば、子どもは「わかってくれている」と安心して、自分から相手に謝ろうという意欲が動き出すのです。

子どもの気持ち、心情を共感してあげることがケアであり養護の働きなのですが、そこから「意欲」が立ち上がってくるのが、不思議なことですが人間の持っている心理機構なのです。ですから保育とは教育と養護が常にセットになっており、保育を英語で表すと、Early childhood Education and Care(ECEC)というのでした。

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