■振り返る時間があることへの感謝
毎日、1日を振り返りながら、自分の行いを反省する時間があることに感謝する気持ちになります。振り返り。簡単な言葉ですが、その時何を感じ、思い返し、気づくことができるのか。1日を振り返ったとき、いろんなことに気づきますが、ありがたいことに、自分の有り様に気づける時は本当に「ありがたいなぁ」と思えます。どんな自分に気づいたのかということは、恥ずかしいのでここでは言いませんが、同時にいつも、こんなことを考えます。
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「こんな複雑な生き方をしなければならなくなった人間て、一体何なんだろう」
「こんな複雑な生き方をしなければならなくなった人間て、一体何なんだろう」
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そして、最近また、こう思うようになりました。
自分が「自分の有り様に気づける事がありがたいと思えると言う事は、自分がなぜだかわからないけど『よりよく生きようとしている』と言うことに他ならないんじゃないか」と。
実際のところ、どうして人がよりよく生きようとしているのでしょうか。どんな行動にも、どんな感性にも、どんな言葉にも、その裏側には、「よりよく生きようとしていた自分」と言うものがある。それに気づき、信じることができれば、自信をなくす必要など全くないのではないか。そのことを皆さんに強く伝えたいと言う気持ちになります。子育てに間違いなんかないんですよ。一言で言うと、あなたの今のその存在がそのままで大丈夫ですよ、と言うことです。
■善さを探求した村井実という人
人は、なぜだかわからないけれど、よりよく生きようとしている。このことを哲学的に突き詰めて考えた人に、村井実という人がいました。私の世界観に大きな影響を与えた方で、今でもブーメランのように影響を与え続けている哲学者です。若い頃はよくわからなかったけど、こうして歳をとってくると「すごい人だったんだなぁ」とわかる人がいるものです。皆さんも、機会があったら、ぜひ村井実の思索のプロセスに付き合ってみてください。人の生き方の本質が見えてきます。
■気づけることが幸せなこと
今日、どうしてこんな話になったのかと言うと、ある方と「徳とはなにか」について、夕方から話をしたからです。その人は、ある会社の社長さんですが、純粋に生きている方です。いつも物事を真正面から捉えて言葉にする人なのですが、生きていく中で、自分が思い込みすぎていたことに気づく瞬間と言うものがあるよね、というテーマになっていったのです。
そして結論は、「そういう気づきができるというのは、幸せなことなんじゃないか」ということになりました。
そして結論は、「そういう気づきができるというのは、幸せなことなんじゃないか」ということになりました。
■等身大の私
今日はこんな主観的な思いをつらつらと、園長としての日記に書き連ねる意味があるかどうか、自分でもわかりません。でも、そんな悩める人間が、園長をやっているという等身大のリアリティーを理解していただけたらありがたいです。「皆さんもそんなことってあるでしょ」と言うことです。