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園長の日記

「確かな認識」から「真のことば」が産まれる

2022/05/24

 

子どもの遊んでいる姿や生活のワンシーンの写真を見ていると、いろんなことを想像しますね。まず思うのは、どこで遊んだんだろう?(浜町公園とか和泉公園とか保育園の屋上やベランダ、◯◯ゾーンとか、)、どんな遊びをしたのかな?(ブランコ、滑り台、かけっこ、鬼ごっこ・・とか)、何が楽しかったかな?(繰り返し遊んだこと、またやりたいと思ったことなど)などですよね。遊びに限らず、お集まりや食事の時、ちょっとした生活の一場面で、いろんな場面でも、それを切り取ったエピソードから、いろんなことを思い浮かべることが多いですよね。まだ話せない小さい子どもたちもそうですが、話せるようになった子どもたちとは、ご家庭でもそんなやりとりをされていることでしょうね。

そして、私たちは子どもの一人ひとりの姿、表情、ことばなどから、できるだけ、その子の心や内面、その心の動きを理解したいと思っています。ちょっとした姿や表情、ことばから、それを窺い知ることができたとき、ハッと気付かされることがあります。そんなふうに感じていたのか!と、気づくことがあります。なので、どんなことに「どのように」感じていたのか、その「実感」を共感したいと思いながら、子どもたちと付かず離れず(と言うよりも、付いたり離れたり、の方が多いのですが)子どもたちの傍らにいます。

子どもは大人と違ってからだ全体を使って物事に向かい合っていますから、体験の中の実感というものは、身体全身で感じ取っているように見えます。公園の遊具で自分のからだ全身が感じ取っている感覚は、まごうことなく自分自身の実感なので、そこに確かなものを感じ取っています。実際に田植えをしたり、ニチニチソウやマリーゴールドの花を植えたり、その色の鮮やかさに見入ったり、そうした体験の中の「実感」は、心を動かして、豊かな表象を創り出していきます。今日はAさんの「わあ、きれい!」ということばを、聞きました。体験の中の「確かな実感」が「確かな認識」に結びつき、そして「真のことば」を生み出しています。それはドリルや動画やゲームの中での体験ではえられないものです。「真のことば」は、からだ全体でつかんだ「確かな認識」から、その子どもの内面から産まれいずるものだからです。

 

 

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