私が霊長類研究者の話を聞くのが好きなのは、ヒトを親類の霊長類と比較することによって、人間の特徴がよくわかってくるからです。例えばゴリラと40年以上一緒に暮らした山極寿一さんの話は、どうして人間がウクライナ戦争のような愚かなことをしでかすのか、参考になります。あるいはチンパンジーと心を通わせてきた正高信男さんの言語学は、当たり前のように思っている赤ちゃんの言語獲得の不思議さといったことを思い知らされます。
今朝朝早く、東の空に惑星が直列したのですが、人間はそんな天体予測ができるような科学技術を発明する一方で、毎日100人から200人以上の戦士の戦死者を出している戦争を4ヶ月以上も続けてしまうことも、霊長類の中では人間だけです。偉大なのか愚かなのか、こんなに極端なことをしでかす人間と言う不可解で不条理な生き物は、これからどんな世界を作り上げていくのでしょうか。それがどんな世界であろうと、子どもたちはその世界の中へ、足を踏み入れて行くことになります。
山極さんは、フィールドワークをしているときにゴリラの群れにしつこく迫りすぎて、2頭のメスゴリラに後頭部と足を噛み付かれ、死にそうになったことがあります。その時とどめを刺されずに済んだのは、オスゴリラが、その瞬間に止めに入ったからだそうです。ゴリラは人間を恐れており、ヒトを殺してしまうと厄介なことになることを知っているからだといいます。ゴリラ同士の戦いでも、胸を叩いてドラミングをして威嚇はするが、致命傷を負わせるような殺し合いは決してしないそうです。本気で戦ってしまったら失うものが大きすぎるからです。
人間が行う戦争は、国と言う単位の主体同士が領土、エネルギー、食糧をめぐって所有権を奪い合うパワーゲームなので、国民はその手段を担わされます。国が個人の尊厳と生命を犠牲にさせるのです。国が国民を守るために戦争をするのではなく、国家という共同幻想体を維持、拡張するために、国民が犠牲になるのです。その事は、日本が中国や米国と戦争をした経験からも明らかです。暴走してしまう国民国家をどのように国民がコントロールしていくか、そのために作られたものが戦後の憲法でした。
7月10日の選挙に向けて、民主主義とはどういう姿でなければならないのか、人間だけが獲得した言語を使って、個人の尊厳を守ることができる政治の形を成熟させていくことが大人の責任なのでしょう。
「泣いているだけではわからないから、言葉で言おうね」。「どうして欲しいの、手伝ってあげるよ」。「お互いに言いたいことがあるから、ピーステーブルに行って話し合おう」・・・
保育園の子どもたちがやっていることと、G7や国連でやろうとすることは、その本質は同じだと思います。選挙権は18歳からでも、デモクラシーは0歳から始まっているのです。