(園だより10月号 巻頭言より)
最近はこんな思いを抱いて子どもたちと接しています。
子育ての根幹には愛がある。
それは必ず朝が来るように間違いないこと。
でも、それが愛だとは、親も子どもも決して言わない。
朝が来たからって、毎日、驚いたりしないように。
そりゃ愛には、イライラやプンプンもうんざりだってある。
不合理やムダや矛盾もいっぱい、ときには、ひどいケンカになってしまったり。
だけどそれは間違いなく愛、誰がなんといおうと。
でも、いま愛の息の根が止められようとしている
世の中は何かと、成績を良くして、効率よく、生産性を上げなさいという。
愛はいう。「僕の天敵は、忙しさなんだよ」と。「忙しいって心を亡くすと書くでしょ」。
「僕が育つには心というベッドに時間も必要なんだよ」と、愛はいう。
愛はまるで自然の草木のように、ゆっくり、ゆっくり育つ。
例えば「僕は君を効率よく愛したい」って言われたら、どう思う?ゾッとするよね。
子育ても勉強もおんなじなんだよ。だって子育ての根幹は愛だから。
時間の中に活動を並べてしまったら、それは生きる時間じゃなくなってしまう。
活動を本当に生きるようにしたら、それにふさわしい時間が決まるんだよ。
愛も同じ。出会いと別れ、遊びと学びが人生だから。
その過程ぜんぶが愛おしくなっていくことを、愛って言うんだよ。
何々の結果が、大事なんじゃないんだよね、どうせみんな死ぬんだから。
保育は愛です。愛は愛おしさのことです。
子どもたちには、その愛おしさをプレゼントしませんか。
すると子どもたちは、自ずと自分の生き方を始めます。
その時間が幸せな時間になるように、大人は公正に気遣ってあげましょう。
より良い社会を作っていくための友として。
フェアに愛を分け合い、子どもを気遣あう社会を作りましょう。