昨日のエピソードの続きです。折り紙をくるくると丸めることは3〜4歳ぐらいになるとできるようになります。でも細い筒はまだ難しくて、トイレットペーパーの芯ほどの大きさのゆったりした「筒らしきもの」ができる程度です。筒の形も歪でガタガタしています。それでも「できた」という達成感は嬉しいようで、もっとこうしたい、ああしたい、という意欲が出てきます。
その、もっとこうしたい、というものは、隣にいたTHちゃんが手にしていたものです。それは3つの筒が折り重なった「何か」です。それを作りたくて、筒と筒を合体させてできたものが、昨日ご紹介した長い棒のようなものです。
この二人の関係の中にあった制作物をめぐって、二人が経験していることが、どのようにそれぞれの精神や自我の発達に影響しているのでしょう。自由に遊んでいる状況下で(そこに私が介在していることの影響も大きいのですが、一旦それを無視して)考えてみましょう。
昨日は哄笑の意味を考えてみたのですが、そのエピソードが起きる前の時間に遡ると、男の子KSくんは女の子THちゃんが作った制作物を作りたくて、私のところへやってきて「あれを作りたい」と言って始まった遊びでした。始まりには、すでに折り紙で遊んでいたお友達の状況があって、それを真似したいという気持ちが動いていました。子どもたちの遊びは、このような周りの状況からの刺激を受けて自分の世界を広げていくことがわかります。
何かに気づき、好奇心をよせ、制作して物を作っていく。その時に、他者とのコミュニケーションが発生しており、そレは非言語、言語を問わず、ジェスチャーも含めて共同注意が働きながら表象を豊かにしていきます。この協同性の中には、個人の内面世界を豊かにしていっているものが、外の社会的な環境の豊かさから成り立っていることは明らかでしょう。このような自由遊びの中で培っている営みと同じように、小学校以降における生活と学習にもつながっていくために、この自由遊びの中での学びを明らかにしていくことができたら、新しい学校づくりのヒントにもなると思われます。
子どもの個人的で個別最適な学びと、協同的学び(協働的も含む)を繋ぐものが、この自由遊びの中に含まれるものだとしたら、一つのテーマを巡って体験している要素を取り出すことはできるでしょう。好奇心を寄せて発見している気づき、ものを作り上げている身体的精神活動、その子らしいもの作りを通した表現、そして他者とのコミュニケーションです。ミードと共に現在の学びの世界を開いたデューイが示したこの4つのプロジェクト要因は、自由遊びの中にその同質のものが展開されているとみることはできないでしょうか。