今週を振り返ると、精神的に忙しく感じる背景がぼんやりと見えてきました。鹿児島に行って気づいたことも含まれます。この気づきは、かなり重要な気がします。そして、コロナ禍の始まりの頃から、ずっと続いています。かなり大きな警鐘の音(アラーム音)なのですが、あまり気づかれていない気がします。テーマで挙げると、はっきりするでしょうか。
子どもの人権のこと、大人の人権のこと、技術革新を含む人工的な環境がそれを蝕んでいること、これが大きな問題群を形成しています。
次にその人権を護るために正確な情報が必要なのにマスコミにはあまり期待できないことが強まってきていると感じること。したがって信頼できる情報源をSNS(世界的にはソーシャルメディアという。SNSは日本だけの言葉)で探し、つながる時代になっていること。
第3に、そのリテラシーを公的な場所(学校など)が教える仕組みを持てないでいること。単に持ち込ませないとか、大人に任せるということでは、時代に取り残されそうな気配であること。
それぞれの具体的な事例を目の当たりにした1週間だったのですが、どうも感覚が麻痺している時代に生きているように感じます。それどころじゃないと思うけど、ということに、結構、熱心に時間とお金をかけているように見えてしまうので、冷静になって観察し続けることにします。