多くの子どもが笑顔と活気に満ち溢れ、もっとやりたいと興奮して列をなしている。大人なら大好きなアーティストの公演に押しかけたり、一昔前の新製品売り出しで列を作っている光景に似ているかもしれない。
今日は誕生会で先生が出し物をしたのですが、子どもからのリクエストで「三びきのやぎのがらがらどん」でした。そのやぎをやりたくて殺到しているのです。
この興奮した面白さは、人気のお話のよさでもあり、先生たちの演出によるものでしょう。トロルは鬼のような格好をして、ヤギもわざと大袈裟に立ち回り、こっぱみじんになっていくトロルの負けっぷり(かつらも飛んでいく)が、おおきなやぎのがらがらどんの圧倒的な強さを強調していました。
そして、がらがらどんのギターの伴奏に合わせて、子どもたちが我も我もと、やぎになって橋を渡っていきます。34歳ぐらいの子たちは、たぶん無我夢中に似た心理状態で、その世界に熱中しています。何度も橋を渡っていますが、覚えた歌を自然と歌い出します。6歳の年長さんたちは、先生の熱演を熱演として理解して面白がっていて、その接し方、鑑賞の仕方に育ちの差も感じます。
そして最も私が注目したのは、そうした世界にほとんど興味を示さずに、別の遊びに集中している子どもがそばにいることです。その子たちであることが、また自然なのです。もともと、何かを一緒にさせようとする働きかけがが少ないので、大人があえて「それでいいよ」と肯定のサインを出さずともそうしているわけですが、その場や時間の過ごし方に大きな差があってもいい状態が、なおさら心地よい自由さを感じます。
面白いと思うものは、多様なのです。