色との出会い方を工夫するのと同じように、音との出会い方もいろんな工夫がありえるでしょう。写真はウクレレのポロロンという部屋全体を包み込むような、やわらない伴奏に合わせて、列を作って「歩行」を楽しんでいます。他にも6日(月)の0歳児クラス(ちっち組)の日誌にこんな記述がありました。
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(子どもの様子)音楽が流れて大人が歌ったり手遊びをしたりすると、一緒にズンズンと体を揺らして参加していました。バスに乗って♪が好きなようで、O先生の上に自ら座り、ブーンと曲がったりキキー!っと停まったりすると大はしゃぎしていたふたり。Rちゃんは自分で右や左にブーンと曲がるマネをして一緒にお歌を楽しみました。
(評価・反省)自分で遊びも覚えており、歌に合わせてやってもらっていたことを自分でもやってみるようになっている。たくさんのふれあい遊びや手遊びなどを通して、楽しい気持ちの体験を重ねていきたい。
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これを読んで、私のコメントは、こうなりました。「二人はバスに乗った経験があるのかないのか、なくても楽しい要素があり、音楽に合わせて体を動かすということが動物には見られない人間性の一部なんでしょうね。しかもお友達と先生と一緒になって。ぜひ、たくさんのふれあい遊びや手遊びをしてあげてください。」
保育園ならどこにでもありそうなものですが、この曲は「♪バスに乗って揺られてる、ゴーゴー」という繰り返しの後、止まったり、カーブを曲がったりするのですが、それが急停車だったり急カーブだったりすることが面白さを増すので、それをやってもらいたくて期待して「もっとやって〜」となります。
ここにも、面白さから、それをもっとこうしたいという、何かの深まりへの変化があったはずなのですが、要素が複雑です。音楽(リズム、音色、メロディ)に見立て遊びの要素も加わり、身体接触、運動感覚も重なってきて、そりゃ面白いよね、の状態でしょう。だからこそ、担任は「たくさんの〜楽しい気持ちの体験を重ねていきたい」と思ったのでしょう。