MENU CLOSE
TEL

園長の日記

インフルエンザの副産物

2023/03/24

(写真は3月19日 千鳥ヶ淵)

卒園式で子どもたちに「心」の話をしてから、なぜかずっとデカルトの二元論が気になって仕方ありません。私たちが自分のことを、心と体に分けて考えるようになって「本当はそうじゃないんだけどね」と頭の片隅で思いつつ、でもそう分けて説明しないと「大事なことが伝わらないんだよね」という事情もあって、そのダブルスタンダードはどうしたものか?と気になっているのです。こんなことを考えても、きっち埒が明かないのはわかっているのですが、熱が出て変な夢まで見たりするのものだから、その泥濘(ぬかるみ)にハマってしまうのでした。

どんな泥濘かというと、私たちは自分のことを「心身」と言ったり「脳で心を説明」したり、保育で「心の動き」などと言ったり、そもそも心理学が学問としてあるなど、心があることは誰も疑わないわけですが、でもそれを「意識」だったり「精神」だったり、人によっては「魂」だったり「霊」だったりと呼び名を変えながら、こんなに色々な文脈でその意味をやりとりしているにも関わらず、一向に「ものの世界」で一元的には説明され尽くされてないことに、どうしてみんな平気なんだろう?という泥濘です。

鉱物からウイルスや細菌、植物、昆虫、動物、恐竜、哺乳類、人間と進化を比べていくと、やっぱり人間は面白いけど面倒な経緯をいっぱい抱えていて、どこからか自意識が生まれ、再帰的で、動物はやらない表象を駆使して言葉や文化を創り出したり戦争したり学問をしたりしています。意味や目的や道徳が「物の振る舞い=情報」の中で、どこからどうやって今に至るのか、まだ突き止めておらず、自分達のことをまだよくわかっていません。いっぱしに、コニュニケーションは発達し、いろんな意味や価値を創り続けているつもりでいます。

一方で、その創り出している技術は、自分達で制御できなくなるほど肥大化し、本当にそのまま突っ走って大丈夫か?という危機感を拭えません。ちょっと度を越してしまったんじゃない?ちゃんとフォローできていくのかな? という感じは否定できないでしょう。どうしてこうなったのかを考えていくと、謎は深まるばかりで、たぶん、どんなに長くても700万年まえ、短ければ20万年よりこちら側、案外つい最近のホモ・サピエンスからの進化のプロセスの中で生起してきたものでしょう。きっと発生的なんです。その経緯をずっと夢想しています。きっとインフルエンザの副産物です。でも、この話、熱が冷めても、人の発達を考えると、ずっと避けて通れない科学の話になるのでしょう。

 

top