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園長の日記

子どもにとっての風景や光景とは

2023/05/06

普段は考えないようなことを思い出しては、頭の中でパズルのように遊んでいられる時間があるというのは幸せだ。確かに言われてみると、保育でそういうことはあまり意識してこかなったと気づく。何かというと風景画です。

(写真は、5月20日に予定している親子遠足で、ちょっとだけ歩く隅田川テラスに掲げてある浮世絵の拡大図です)

塗り絵、自由画、人物画、そういうカテゴリーで子どもの「作品」を整理することはっても、子どもは風景や光景そのものを再現しないかもしれません。そこにある物にはもちろん興味はあっても。

それに似たことは、いろいろやるけれども、いわゆる大人が思うような(と言っても人それぞれでしょうけど)自然とそれを再現(リプレゼンテーションとしての、ですが)はしないと言っていいのかなあ。でもこんなことはやってました。

以前の八王子の園でのことですが、インスタントカメラで子どもが写真を撮って、展示するとか。その前は、ネイチャーゲームにハマっていた時にいろいろなゲームがあって、自然の中の美しいと思ったところに絵葉書大の額縁をかざして空間的に切り取るというのをやっていました。

千代田区に来てからは須田町二丁目の会長に頼んで、会長がオーナーのビルの11階に昇らせてもらい、そこから秋葉原絵周辺の光景を眺めたことがあります。園に戻ってくると、幼児は早速、室内に駅や線路を作り、新幹線を走らせて遊びはじめました。

下を散歩で歩いているだけでは見えない風景だからでしょう。園周辺を一望することで、あそこにこれがあったとか、こっちの道がどうとか、神社がこっちでこれはホテルとか、模造紙の上に建物の箱が並びました。散歩マップ作りにどう役立つかな、と思って楽しみでした。絵にした子がいたかどうかわかりません。

確かに風景画という切り口は、科学と同じでただの日常的な生活だけでは、子どもからは出てこないような気がします。虫眼鏡で見るのと同じように、この枠で見たらどう見える?的なものを置いておく必要があるかもしれません。

高尾山に子どもたち(年長)と卒園前の時期のお別れ遠足で登った時、広い場所に出ると子どもは走り始め、わ〜っと展望できる場所へ駆けていきました。高い場所に上りつめて、目の前がば〜っと開かれていく風景。その開放的な気持ちのいい感覚を子どもたちは山登りで味わいました。

そこで、もし子どもに写真を撮らせたとしても、きっと物を撮りたがるだろう。それを「風景として」は、撮れないだろうという気がします。そういう認識の枠組みをまだもっていないでしょう。そのフレームがどういう意味で必要なのかと考えると、別に枠組みの話ではないでしょうね。その枠に縛られない方がいいでしょうから。

どこに何をどう描くか、再現させるかは、その時の制約から生まれました。古代の洞窟壁画にしても、教会の祭壇画も、飾る部屋の大きさに合った人物画も、どこに飾るのか、大きさや形、画材などの制約を受けながら、おおむね成立していったと見ていいでしょう。

その展開の中で慣習的に今にも伝わっているのがキャンバスのサイズだったり、額縁舞台から始まった舞台空間やコンサートホールでしょうから、日本の能舞台は西洋とは全く違うし、画用紙がどうして四角なのかも、まあ、裁断機のサイズなどいろんな意味で落ち着くべきところに落ち着いていると見ていいのでしょう。新聞紙の大きさもそうでした。

ここにきてデジタル化です。その辺りもどうなるのでしょう。「書く」や「描く」という言い方では収まらなくなってくるのでしょうか。若い人たちはネットでの注文をポチるというように。

保育園の目の前を流れる神田川。その川にかかる和泉橋。散歩の時にそこを渡りながら、船を眺めたり、ゆりかもめが羽を休めているのを見たり。

そういえば、ちょっと意識してやってきたのは、風景に季節感を感じることです。春にはたんぽぽやハルジオン、ヒメジョオンを摘んできます。夏には朝顔や園舎の屋上のひまわりの黄色が見えるように、また同じ場所に秋にはコスモスが見えます、そして冬にはクリスマスの電飾がツリーをかたどります。子どもがいつも通る同じ場所から、季節の変化を感じてもらいたくて、そうしています。そうでもしないと、都市のビル街に自然や季節を感じるものが少ないからです。

それらを子どもが写真にとって、季節ごとの変化を「絵はがき」にして飾るという活動を子どもがやってみようと思います。そこから何か見え方が変わってくるかもしれません。

話は、そもそものことに戻りますが、子どもは心動かされたこと、印象深いことは再現したがります。「ねえねえ、あのね」と話してくれたり、絵にしたり、ごっこ遊びになったりします。いずれにしても、何らかの再現・再演・表象表現が起きて、表しやすい表現手段と結びつくと、その表象を目に見えるコトに変えていきます。

アイスクリームにもして、パン屋さんにしても、蕎麦屋さんにしても、お寿司屋さんにしても、実演があると子どもは食いつきます。そこを再現したがる。そこを面白いと思うのです。遊びの模倣というジャンルをひろ〜く捉えれば、遊びはそこに入ることがとても多いような気がします。なので幼児の自由遊びはごっこ遊びが多くなります。その表現のバリエーションに風景や光景などが入っていくための、心動かされる体験とは、どんなことなんでしょう。・・・

子どもたちと覗くと「見えた!」と喜ぶお月様の観測。スマホで撮った写真です。

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