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園長の日記

膨大な書類にめまいを感じながら

2019/06/19

6月18日

■多すぎる書類を作る仕事

昨日はずっと書類を作成していました。正確に言うと、書類のリストを作っていたのです。こんな多くの書類を作らないといけない保育園って、そもそもオカシイ!どうしてこんな事になってしまったんだろう?そう思いながら、昨日は書類リストを確認していました。
この話は保護者の方には関係ないことなんですが、もしかすると同じような課題を抱えて困っている職場もあるのではないかと想像したり、さらにいうと、この課題はもっと大きな文明論的な課題とつながっているかもしれないなどと、考えてしまいます。
■官僚制が私たちの生活を支配しようとしている?!
文明論的な課題と言うのは、私と同じ歳の文化人類学者、デイビット・グレーバーの『官僚制のユートピア』(以文社)と言う本を今ちょうど読んでいて、どんな本かと言うと、社会がこうなってしまったのは、あるいはペーパーワークが急増している理由は『官僚制が社会と人の内面まで浸透して支配しているから』と言っていて、その実態というかジレンマを描き出している本です。どのようなジレンマかと言うと、一つ一つの仕事や書類作りに、反論することが難しく、それを廃止する事は非常に困難に見えるんですが、ただ全体的に見れば、社会が狂っているとしか思えない、そういうジレンマのことです。以下の話は、ほとんどの方が関係ありませんので、保育園て、こんな仕事もやってるんだー、といった程度で読み飛ばすことを、お勧めします。
■施設調査書という監査書類
保育園の運営は国と東京都と千代田区からの運営費で賄われています。つまり税金を使っているから無駄な使い方は出来ません。ちゃんと適正に使っているかどうかを自治体が調査するのが、指導検査つまり監査です。役所から専門の監査官が園に来て、保育環境をみたり、決まった法令やルールを守っているかなどを見ます。その時、ちゃんとやっている証拠として「書類」を求めてくることがあり、それが年々増えてきて、実は保育園は「書類作り」に追われてしまうという課題を抱えています。昨日作っていた書類リスト確認というのは、「施設調査書」というものです。
■運営管理の書類は増える一方
例えば、火事が多い東京都は毎月、避難訓練と消火訓練をやらなくてはいけないのですが、口で「やっています」と言うではもちろんダメで「証拠を見せてください」と言われるので、写真を撮り、実施内容と反省を記した書類を残すことになります。
また集団給食を実施する保育園は、食中毒が起きたら大変です。また調理をする人や調乳をする人が病原体を持ち、感染源となってしまってもいけません。そこで調理や調乳に関わる人は「腸内検査」を受けて、陰性である、つまり「病原体は、持っていません」と、「身の潔白」を明らかにしてからでないと翌月の仕事に就くことができません。
■多すぎる児童処遇の書類
この辺まではまだ仕方がないかなぁ、と思うのですが、さすがに次のような、たくさんの書類を作って「本当に意味があるのかなぁ?」と疑問に思うものも少なくありません。その代表が「保育実践」にまつわる多様な書類です。計画書類、実施記録、省察・自己評価とPDCAサイクルに従って「繋がりを持って記述すること」が求められます。その考えはいいのですが、それぞれが細分化され過ぎて、何種類もの計画、何種類もの実践記録、何種類もの自己評価の書類をつくらされています。
計画だけでも、カリキュラムや子育て支援を含めた全体の計画、もっぱら園児の保育のためのクラス別指導計画、そのほか長時間保育計画、食育計画、保健計画、保護者支援計画、保小連携計画など、いろいろあります。運営管理の計画も膨大なので、そのうち児童処遇に関係するものだけでも消防計画、緊急災害対応計画、避難計画、研修計画などがあり、その一部はクラス担任も作ります。
■煩雑過ぎる保育書類
さらにクラス担任が立てる指導計画は、長期計画と短期計画からなり、さらに長期計画は年間計画、四半期計画、月間計画などに分かれ、短期計画の方は週間計画、日案からなります。しかも、2歳児未満の子どもについては、クラス別だけではなく個人別の計画も求められます。
計画だけでもこれだけ多岐に渡るのに、さらに、それぞれの計画を実践してみてどうだったを振り返る実践記録であるクラス単位の日誌や、保育所児童保育要録に加えて、昔の児童票の代わりに保育経過記録(ドキュメンテーション)、個人別発達記録(ポートフォリオ)などを作っていこうと言う動きもあります。振り返るときは自らの保育と、子どもの育ちの2つの視点が必要になります。
■解決策はあるのか?
実践のエビデンス(根拠)が、書類になってしまうのはどうしてなんでしょう。
ブッダも孔子もイエスもペーパーワークはしていません。私はこう思うことが増えました。自分の生き方と書類作りは関係がない。死ぬ前にこの書類を作ってきたことは思い出さないだろう、そのかわり子どもたちと木場公園を走りまわったことを思い出すだろう。
きっと、解決策はとても大胆な方法でしか訪れないでしょう。厚生労働省も、保育士の仕事が敬遠される理由の中に、待遇の面や人間関係の軋轢だけではなく、保育の質とは関係のない書類作りに追い込まれてしまう繁忙さに気づいて、保育園現場のヒアリングを始めました。多分その結論は、厚生労働省の保育課の中だけで対処できる解決策に落ち着くことでしょう。児童家庭局や、文部科学省との連携にまではたどり着く事はないでしょう。グレーバーが言うように、ビューロクラシーが原因なのに、自己否定するようなことができないからです。そこを乗り越えた大きな力が働くか、私たち現場が賢く対処するか。私は後者しか道は無いだろうなぁと、思っています。
さあ、今日はよく晴れました。木場公園へ行ってきます。
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