千代田区の教育委員会は本日午後、番町小学校と番町幼稚園を会場にして、それぞれの研究実践の公開保育と、それに基づくグループ討議をメインとした「保幼小合同研修会」を開きました。テーマは「幼児期の学びとその学びを生かした小学校での学び〜3つの資質・能力、幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿を視点とした円滑な接続」です。講評を兼ねた講演は河邊貴子(聖心女子大学現代教養学部教育学科教授)先生でした。幼稚園の指導案(4歳と5歳)にはそれぞれの小学校1年生での教科のこの辺りの単元などに主につながるだろうという示唆になる矢印や欄が設けられており、小学校の指導案には、4歳児や5歳児の時の10の姿から捉えた経験や活動の具体例が例示されています。
公開された4歳児クラス(さくら組)の遊びは、獅子舞ごっこ、餅つきごっこ、制作コーナー、ポップコーンごっこ。玄関にはティッシュボックスで作った獅子頭を抱えた子が3人、私の頭を噛んでくれ「おひねりください」というので、口の中に入れてあげました。おもちをついて振る舞ったり、獅子を製作している子がいたりと、正月に実際に経験したことが再現遊びとなっているようです。5歳児クラス(うめ組)は遊園地ごっこ「ゆめランド」。複数人のグループごとに、鬼遊びや鉄棒、的当てなどの遊びを考え、異年齢児や保護者を招待するもの。このような公開保育は楽しいものです。
これらの遊びや活動を見ていると、獅子舞のお出迎えというおもてなしに喜んでいる見学者たちの反応を、その子達も感じていたはずで、言葉での伝え合いの経験の幅も広がっていく体験になっていたでしょう。獅子舞や餅を振る舞ったり、棚に並んでいる制作物を見ると、その子なりに感じていることの表現の中に、旺盛な好奇心を感じます。子どもの能動性や自立、協同性、言葉での伝え合いなど、10の姿の要素がたくさん混ざっていることがわかります。
小学校の公開授業(1年生)は国語と算数でした。国語は述語の「いる」と「ある」の使い分けを学ぶことがねらいで、〜の中に「いる」か「ある」か、班で「がようしの中にはうしがいる」のようなクイズを作って楽しみます。言葉遊びの面白さを楽しみながら、友達の書いたものについて「クイズになってない!」と笑ったりして言い合う姿の中に、生き物はいる、ものはある、と使い分けていることや、〜の中にを使った言葉選びの思考が働いていたように思います。
算数は四角い画用紙の「どちらがひろい」かという課題を自分なりの探究方法を見つけ出すというもの。黄色と緑の長方形の画用紙で比べます。さかねて折ってみて、まみ出した部分の大きさを見比べたり、さらにはみ出した部分を定規で何センチと測ったりする子が発表していました。思いついた方法をノートに書き、それを電子黒板に投影してもらい、みんなに見てもらいながら説明します。国語はグループでの話し合いがありましたが、算数はそれぞれの方略探求の後での共有が混ざっていました。
見ていて面白かったのは、最初に机に出ていたツールは、各自が持っている筆箱だけで、鉛筆や定規やけしごむは机に出ていたのですが、そのほかのものは机の引き出しに入ったままです。先生が「何かの何個分」という話をして、消しゴムを使ってみせ、そのあとで、引き出しにしまってあった「グロック」を出させて画用紙の上に並べて数を数えるという方法へ話がつながっていきました。
私が授業を見ていてとても強い印象を受けたのは、数人の子が前の授業に「あった、あった」と思い出して嬉しそうに、弾けるような笑顔を見せた瞬間があったのです。先生は何かの何個分、という「単位あたりの数」という概念を子どもたちに気づいてもらいたいと思ったからでしょう、考えを発表し合っても出て欲しかった方法へ、消しゴムを使った方法から、「もっと何か小さいものないかなあ」とヒントを出してみたのですが、ブロックを使えばいいというところへ結びついた子がいなかったのです。あるのは「長さじゃなくて(広さでも)いいんだ!」みたいなことを呟いた子がいました。ここに架ければならない幼児教育との架け橋があるのかもしれない、と思ったからです。
よし、保育園ではいろんなものを単位にしていろんなものを「何個分」という遊びをいっぱいやっておこう。そう思いました。それが数と文字を使った記号操作が増えていく学びへの大事なアナログ遊びのポイントの一つなのでしょう。