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園長の日記

還ってくる場があるという意味

2024/08/03

今日の第6回納涼会はいかがでしたか? 家族で一緒の楽しい時間になったでしょうか? 午前中は在園児の親子で、昼からは卒園児の家庭で楽しんでもらいました。

1日その様子を見ていると、この5年間の間に、子ども同士の仲良しの輪は大人を結びつけて、その輪がこんなにも大きく広がっていくのだなあ、と思いました。

食事コーナーは、お祭りの夜店でよくある「わたあめ」「かき氷」「フランクフルト」。

午後はこれに「焼きそば」も加わりました。

遊びは子ども提案の「輪投げ」「的当て(水鉄砲)」「ボーリング」「ヨーヨーつり」「うちわ作り」そして「スイカ割り」。午後は小学生も多くなることから、これに「型抜き」と「くじ引き」も用意されました。

このような日は、小さい赤ちゃんから小学生までの遊びにおける発達を連続的に見ることができます。特に卒園児は成長を具体的に感じられると同時に、過去の「おんなじ」を想起のうちに現在にあらわにするように感じられました。

いま通っている小学校は違っていても、「再会」は保育園という同じ空間を長く共に過ごしたという過去を今によみがえらせ、共有した者同士でしかつくれない空間を「いま・ここ」に創り出しているように感じました。

ああ、これが懐かしさの正体か、とさえ思えるほど、人間のもっている過去を「想起」できる力は、そこにお互いの意識が重なり合わない限り発生しないのだということに気づかされたのでした。きっと同じ思いを卒園された保護者の皆さんも感じられたことでしょう。

現在に引き寄せられた過去の想起が、子どもも親も自身の過去を今の自分に巻き込んで今を創り上げているかのようです。ここで生きてきた時間の堆積がある場と、そうでない場の違いとなって感じられるのでしょう。このことが「還ってくる場所がある」ということの大切な意味なのかもしれません。

 

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