赤ちゃんを抱っこさせてもらい、あやしてあげると笑顔を見せてくれます。「あら、いいね、ママに抱っこしてもらって。ねえ、いいよね、ご機嫌だよね~」などと、色々声をかけて、ほっぺをつんつんと触ってあげたりしているうちに、あ、笑った笑った。私が発する声を受けとめてくれました。そして私の抱っこを受け入れてくれました。お母さんも喜んでくださり、私は「いろんな人に抱っこされてもらおうね」といってまたお母さんの胸元に戻しました。
私に抱っこされていた瞬間の、それ以外時間とはまったく異なる密度。そうした瞬間の粒々(つぶつぶ)が、無限に連なっているように感じますが、「いいね、ごきげんだねえ」の声が赤ちゃんにとどき、ここちよい気持ちが生まれ、その気持ちがお母さんや私にも波紋として広がるように伝わってくる。私にだっこされたものの、ちょっと不安になって、ママに手をさし出して戻って安心する。人が生きている世界とは、その小さな波紋の重なりや干渉のようなことが、大小さまざまな波を立てて連なっている海のようなものかもしれません。
このような波を感じる感性は、確かにあると思えるのに生物学的に、あるいは神経学的に特定できないからからといってないわけはないだろうと思います。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚などはよく五感と言われていますが、保育では運動感覚の話として固有感覚や前庭感覚が言われるようになって久しいし、身体の緊張度もよく話題になります。おもえば内臓感覚も加速度感覚も、あるいは温痛覚とか時間感覚もありそうです。動物によっては渡り鳥やウミガメなどは磁気感覚があるらしいといわれています。
人間にも種なのか類なのか別にして、人への関心の強さという対人感覚のようなものがあるといってもおかしくないのではないかという気がします。シュタイナーなどはあるといっていますが、人の気配を敏感に感じる人は確かにいます。保育に活かす~感覚を考えると、環境から感じとるセンサーのようなものは、それぞれ感度が違いそうなので、その調整ということもありそうです。