MENU CLOSE
TEL

園長の日記

見えている世界の向こうに広がっているはずの世界へ

2025/01/11

見えていないものは気付けない。でも気付けば見えてくることもある。そんな感覚を子どもの探究に寄り添っていると感じることが時々生じます。色もその一つです。どうして日本人は、こんなにたくさんの色の違いに親しんできたのだろう?あの伝統色の豊かさ。身の回りの自然や植物や文化物の色を組み合わせた名称がふんだんにあって、そこに美しさを確認していく伝統が確かにあったのでしょう。

身近な花や植物を潰して色水にして楽しむ遊びは、保育園でも「色水遊び」という言い方をよくしますが、自然が生み出している色と光を、子どもの楽しい遊び体験にしているかというと、ちょっと違うのです。

当園では絵の具や色紙などの色から入っている遊びが多くて、絵の具を溶かした「色水」の混ざり合う遊びは、春から夏にかけて、盛んにみられるのですが、そこで生まれる色と、花や草などの自然物が作り出す「色」の世界への気づきは、大きく違う気がします。生活の中で出会っている世界は、もっと未知の開かれていると言えるのかもしれません。具体的な環境としてはモノや空間なのですが。

ちょっと大袈裟な話すぎるかもしれませんが、私たちが感じている世界は、私たちの感覚や感性から届く範囲でしから捉えられておらず、その「見えている」と思っている世界の向こう側には、もっと広くて深くて(なんと形容していいのかわかりませんが)驚嘆する世界が広がっているかもしれません。見えていないから「ない」と思っているに過ぎないのかもしれません。保育ではそれを「センス・オブ・ワンダー」をキーワードとして、語られることが多くあって、いろいろな世界への誘いのキー概念になっている気がします。

美味しさの違いがわかる味覚、嗅覚が発達している動物の話、人間には聞こえない音をきくコウモリやイルカの話、点字が読めるようになる触覚の発達、自身の身体に敏感な固有感覚、そういったことを思い浮かべると、「見る」という多機能に思える視覚の一つに、明るさや色合いの違いを区別する感覚が、洗練されていく体験がきっとあるに違いないと思えます。その違いの宝庫は、身近な自然のなかにあるでしょう。

その誘いは絵本でも図鑑でもたくさんあるし、それを物にして表してきた伝統的な品々にあるはずです。それを子どもの遊びにどうやって取り入れていくか。藍を育てたりする活動と同時に、すぐにでもできることがいろいろありそうです。ポイントは大人側の側への関心でしょう。子どもへの「感染源」としての大人のあり方なんでしょう。子どもが教えてくれることもあるし。それもまた楽しいです。

top