園だより2月号「巻頭言」より
毎年この時期になると「子どもの育ちと自らの保育」を振り返るのですが、そのための数ヶ月ごとの記録がある種の「物語」が浮き出てくるのが面白いのです。その集大成となるのが当園の場合は「成長展」と呼んでいる行事になるのですが、数ヶ月ごとに定点観測のように録ってきたエピソードや子どもの作品を追っていくと、一人一人の変化を発見できます。この行事はその変化のプロセス(成長)を家族と先生と一緒に喜び合いたいという趣旨になります。
この成長の物語が、彼らが大人になった時の時代に花咲く物語であるのかどうか? それに相応しい経験の物語になっているのかどうか? すでに、その待ち受けている社会の変化は加速度的に速くなっており、どうなるのか不確かで、複雑で、しかも物事の意味や帰結があいまいになり、明確な意思決定を行うのが難しいと感じる時代です。昨今の話題はそれを物語っているようにみえてきます。
OECDの「教育とスキルの未来2030年」まであと5年です。大学共通テストをChatGPTが91%(昨年は66%)正解する時代です。「AIを使えば簡単に解ける問題を自力で解けるようになるために小中高12年間を勉強する必要があるのか?」という問いは、冗談ではなく、真剣に考え抜く必要があるでしょう。
きっと「学習者が継続的に思考を改善したり、意図的かつ責任のある形で行動できるような反復的な学習プロセス(AAR)」が、どうしても不可欠になってきました。これは大人も同じでしょう。世間の騒動をみてもそう思います。本当にあと5年しかありません。その頃から始まる学習指導要領を今から決めなければならないのですが、当然10年サイクルでは遅すぎるという話が出てもおかしくないだろうなあと思います。
それでも、いまのそれが大事にしていることが、将来も通用することがあって、それがまだまだ実現されていない、という側面を忘れてはならないでしょう。要領や指針はその深読みがきっと大事なのでしょう。社会の中で育つ人間は、その経験を社会でします。それはAIでは経験できません。保育園は間違いなくAIができることを永遠に包摂する身体的で社会的な空間であるといえるのではないでしょうか。ちょっと、おこがましいかもしれませんが、その空間の延長線上に学校のあり方も変わっていく必要がある気がします。