9月1日は防災の日。皆さんのご家庭でも防災用品の話などを、されたかもしれませんね。我が家も食器棚の転倒防止が話題になりました。全国各地の大きな公園では防災イベントが開かれました。今日が防災の日なのは、1923年に襲った関東大震災が9月1日だったからですが、発生時間は11時58分ごろ。昼食が始まる時刻でした。
(町は秋の装いに衣替えです)
その時刻、今日は渋谷のNHKの「スタジオパーク」にいました。園からは、ちょっと遠い場所ですが、バス遠足の候補地として可能かどうかの下見を兼ねての訪問です。スタジオパークは、日曜日ということもあり、親子がたくさん遊びに来ていました。
NHKと隣接する代々木公園では、防災イベントと一緒に「第18回東京ジャズフェスティバル」が開かれており、JAZZの心地よいグルーヴなリズム感が身体を揺らします。
その時、ふと感じたことがあります。「そうか、文化はもう秋なんだ」
音楽には、その内容によって旬の時期があります。ただそれは歌詞による内容が季節感をもたらすのですが、JAZZが心地よく感じたのは、歌詞によるものではありません、そもそも歌詞はありません。明らかに季節は秋に入っているのです。
「音」には音色という言葉があるくらい、音の大小や高低では表せない奥深い表情を持っています。音色の違いは、「振動するモノ」の震え方によって変わるのですが、スタジオパークには、南部鉄の音(風鈴)、木の筒と豆(レインスティック)、鉄の音(スチールタングドラム)、皮の音(ジャンベ)、細い金属棒(カリンバ)など、いろんな珍しい楽器の「音」を楽しめるブースがあります。
単音の刻み方によって、リズムやテンポが生まれます。それだけで、私たちの身体は動き出します。音が身体を動かすのです。ですから私たちの身体は、音という環境によって表現が引き出されるのです。保育所保育指針には、この環境としての「音」に気づきにくいかもしれません。
音色には音の高低があるので、そのつながり方によって、今度はメロディができます。これが音楽の要素の二つ目です。旋律は曲想を生みます。長調なのか単調なのか、また拍と合わせて、メロディが曲の骨格を作ります。
さらに高低の違う音と音が重なり、和音を作ります。ハーモニーです。これが3つ目の要素です。こうしてみると、JAZZが持つ即興性はこの3つの要素を巧みにノリの良さを最大にする刻み方を追求する音楽と言えそうです。
夜、都立公園で「鈴虫」や「コオロギ」の採集を試みました。綺麗な音色が秋を感じるのは、私だけではありません。秋の手ぬぐいを探していた店では、鈴虫の音色を楽しめる立体ハガキが売られていました。
子どもは「音」から「音楽」を感じて欲しい。そして音楽が音の組み合わせ方で、無限の表情を持つことに出会ってほしい。自然の一部である「音」が、どこからか、文化的な表象行為である「音楽」になっていくプロセスと出合わせたい。今日は、そんなことを考える音の一日でもありました。