何も言わなくても心が通じる感じがするとき、子どもは「安心」して私のそばにいます。例えば今朝、私が使っていた裁縫道具の中の糸巻きをじっと観察しながら「これ、何?」と私に聞くのは、「紺」という漢字。その一文字が、「こんいろ、っていう字だよ。赤とか青とかの色があるでしょ、それとおんなじね。こんいろ」と話すと、Hくんはその色のものが家にあるといった話をします。私は布を縫っていきます。私がやっていることに興味もあるのですが、それよりも、一緒にいることが意味があるのです。漢字を覚えるとか、色の種類を覚えるといったことが大切なのではないのです。もっと大切なことは、安心していられることです。
わいわいらんらん組が散歩に出かけたあと登園してきたMちゃんは、誰もいない保育室で私といるよりも、お友達がいる散歩先の方を選びます。そっちだったらいいと言います。そこで私と一緒に散歩先へ向かいます。無線を使って、今どこにいるのかを確かめてから出かけました。散歩先で合流してから私は園に戻りました。
昼食のあと、Tくんは昆虫の図鑑を私と一緒に見たいので、私の手を引いて3階へ登ろうと誘います。私は午後から研修会場へ向かう必要があったので「今日はこれから出かけるからできないな」というと、彼は私の足に抱きついて、私を離しません。「Hちゃん、一緒に図鑑を読みたいんだよね、知っているよ。でも今日はできないんだよ、出かけないといけないから。そうする(足に抱きついて離さない)と園長先生は困っているんだけどな」。そんな話をゆっくりと繰り返すと、Tくんは、諦めて私の足から離れました。無理に離させることはぜず、<私が困っていること>を強調しました。彼は彼の判断に基づいて、私から離れることができたので、私は逆に抱っこして、そのことを褒めました。
すると彼は、階段の壁に飾ってある浮世絵の絵の中に、小さな小さな凧を見つけて「あれ、何?」と言います。「あ、そうだね、なんだろうね。Hちゃん、よくみつけたね」とさらに褒めてあげました。
この子たちは、気持ちを重ね合わせたがっています。共にいるという心を、一緒にいることで育てているのです。