MENU CLOSE
TEL

園長の日記

木場公園へ運動、近所の保育園と一緒に

2024/09/11

暑すぎて外に出られなかった8月。9月になって初めてバスで木場公園まで出かけました。神田ベアーズの年長さん4人を誘って。年長すいすい組と年少、わいわい組。

気温が34度になる予定で、どうするか迷ったのですが、木場公園の雑木林の冒険広場(大型遊具が並んでいるエリア)なら木陰もあるし、風も吹いているので行ってみて判断することに。

こんなに暑くても、季節は秋。どんぐりがたくさん落ちていました。

それを拾ったり虫を観察したり、危険を感じるほど暑くはなく、こまめに水分補給をとって体を動かして遊ぶことができました。

本当に戸外での活動は久しぶりです。ロープを張りめぐらした、大きな高い遊具にも、どんどん昇るし、ターザンロープも上手に交代しながら遊びました。

日ごろから運動ゾーンで体を動かしたり、登ったり、ぶら下がったりをしているので、子どもたちが大型遊具に何の躊躇もなく、登り降りしている姿を見ると、決して運動不足にはなっていない体だと言うことがわかって安心します。

またなかなか進まなかった、近所の保育園との交流もできて、同じ小学校に行く友達ができるように、さらに関係を深めていこうと思っています。

 

味見は「味わうこと」だった  〜おいしさの探究〜

2024/09/11

 

おいしさの探究を始めてみて、「味見をする」こと、「比較する」ことの大切さに気づきました。今日は秋の味覚キノコが登場。しいたけ、なめこ、まいたけの3種類。順番にソテーして食べてみると、そのおいしさの違いににこにこ組(2歳児クラス)の子どもたちがはっきりと気づきました。

「どれが1番おいしかった?」との問いかけに、しいたけ、とか、なめことか「はーい」と手が挙りました。どんな流れでどんな様子だったのかは、ドキュメンテーションをご覧ください。

食材を1つ選んで、じっくり観察したり、触ってみたり、千切って食べられる大きさに小さくしたり、目の前で火が通っていく様子を眺めた上で、味見をするように試食してみる。味見をするときに、まさしく味に注意が向くことがわかります。味見と言うのは、そういう役割があったのかと、当たり前のことに気づきます。

おいしいかどうか、自分が食べれそうかどうか、給食の時も味見をするのですが、1つの食材をしっかりと、どんな味か確かめるように味わうこと。普段の食事の中であまりやらないことですね。そういえば、子供の頃、晩御飯が始まる前に、サツマイモの天ぷらをつまようじで1個、食べたときのおいしい思い出が記憶に残っています。要するに、こういうことだったんですね。

にこにこ組でも始まったセミバイキング

2024/09/10

いっぱい?それとも、ちょっと?

どっちがいいかなぁ?と自分が食べれそうな量をよそってもらうセミ・バイキング。

【・・にこにこ組でも食事のセミバイキングを始めています。今まではそれぞれの食事を運んでいたのですが、「いっぱいにする?」「ちょっとにする?」と大人とやりとりをしながらもらっています。

はじめは、運ぶ子ともらいに行く子が重なってしまうこともありました。日々やってみる中で、子ども達の方から足跡のある場所で並んで待っていたり、こぼれてしまったりという経験をしながら一つずつ食事の流れが身についてきているようです】

このセミ・バイキングと言う方法は、八王子のせいがの森保育園時代に、東京都の管理栄養士の方が見学に来られて「この方法は偏食予防の利にかなっています、東京都で広げたい」とおっしゃったのが始まり。東京都知事賞を受賞しています。一人ひとりの食べる量は発達や好みで変わります。年齢で同じ量を配膳しても、実際に食べれるかどうかは別問題。食べてみようかなと言う気持ちになるのが大事なのですが、食べず嫌いを増やしたくもありません。

酸っぱいものは腐敗、苦いものは毒。子供の味覚は生まれながらそうできています。だからトマトやピーマンは苦手です。甘いものや旨味のあるものは栄養になるからおいしいと感じます。味覚がそういう風にできているのです。従って、おいしいと感じる料理や提供の仕方が大前提。見かけや先入観で嫌う時は、味見をしたり、ちょっとだけと言うのがうまくいくこともあります。その次に量の問題が来ます。いっぱいちょっとです。

おいしい、と言う経験がまた食べようと言う気持ちを見ます。食べれたピカピカと言う達成感が、また食べようと言う意欲を育てます。我慢して無理して食べた「えらいね」と言う食べさせ方は、それを嫌いにさせます。また、前向きな気持ちも育ちません。食べたと言う結果は、同じでも、意欲や食に向かう姿勢が180度違ってくるからです。

 

 

赤ちゃんの探索活動の意味について〜とうきょうすくわく〜

2024/09/09

乳児の遊びの姿について、少し説明しておきたいと思います。ちっち組(0歳児)の赤ちゃんたちは、畳のところからとなりの部屋へ移動するだけでも、新しい空間をみつけて探索活動が楽しそうです。9月9日(月)のドキュメンテーションに、そんな様子が描かれています。

「隙間をみつけて・・・」「Kちゃん、探索が止まりません」

はいはいができるようになってきて、いろんな場所をみつけては、そこに行ったり、その空間に入り込んでみたりすることは、どんな経験になっているのでしょう。いくつかの観点から、次のようなことが言えそうです。

まずは好奇心が現れていますよね。あそこはどうなっているんだろう、ちょっと行ってみたい。環境からの呼びかけに応じているということでありながら、そうやって始まる姿には、そういう強い動機が感じられます。自分の体を自由に動かせることに喜びを感じ、探索活動が活発に行われています。この写真のように、柱と壁の隙という未知の空間に入り込むことは、新しい感覚を体験していることになり、新鮮で楽しいのでしょう。

Kちゃんの発達にとっては、認知的な発達を促します。この場所はどうなっているのかな?自分は入れるかな?ここを通るのに、どのように体を動かすといいんだろう? このように思っているかどうかはわかりませんが、空間と自分とのかかわ方の試行錯誤を通して、因果関係の理解や自己調整力と呼んでいいものが培われいくことになるでしょう。

広い場所から隙間やトンネル、カーテンの陰など狭い空間に身を置くことで、壁やトンネルや布がすぐ目の前にある感覚を感じたり、たとえば、それは圧迫感とか、こちらとあちら、明暗のあるその先に開けている空間とか、自分が動くことで変化する視野の面白さとか、形や色彩が次々と変化するものの世界の刺激を感じているはずです。その変化の中に身を置くことで、自分から動くことで違って見えてくる景色が面白いのでしょう。それは大人が散歩して景色を楽しんだり、車でドライブを楽しむ感覚に近いかもしれません。

自分から何かを期待してやってみて、新しい世界に出会うことは、自主性の発揮を繰り返すことであり、それで自分が体験することは、自分で引き起こしたことから来ることに着目するなら自己効力感といっていいものを養っているといいかえることができるのでしょう。さらに、何かの期待からやってみて、やった!という印象や喜びを感じたり、達成感を感じるのかもしれません。それは成功体験にも似た自信を得ることにつながるでしょう。

また、その様子を近くにいる親が先生が笑顔で待っていてくれたりすると、一緒に楽しみを分かち合っている感じ、通じ合っている感じがしてきて、それを伝えたい、また見ていてほしい、見守っていて欲しいという関係が生まれていくように思えます。

赤ちゃんにとって、部屋や廊下や別の階など、いってみたいな、と思ってやり始める探索行動には、本人にとっては自分の世界が広がって、そこでさまざまなものや人との関わりと発見が生まれる面白い出来事になっているのでしょうね。

 

実習生と病児保育室を体験する

2024/09/08

6日木曜日に、実習生を「病児保育室」へ連れていき、そこの担当の保育士さんから、詳しく話を伺ってきました。そこに預けなければならない状況をどれくらい一般の方々が想像できているでしょう?

千代田せいが保育園にも病児保育室があれば良いのですが、病院との連携が必須なので、また、敷地も足りず難しい。もう少し近くにあれば良いのですが。働き方改革が望まれても、どうしても仕事を休めない時はあります。子どもが病気になるのは急なので予定が立たない、また予約ができたとしても、本当に当日利用できるかどうかがその日にならないとわからない、そういうこともあります。

子育て中に仕事の両立の中で、親がどれくらい追い詰められてしまうことがあるかを、私たちは本当に実感をもって理解できているか?そんなことを改めて思いめぐらす時間になりました。

やっぱり楽しかった水遊び

2024/09/07

屋上にプールがあることで、こんなに暑い夏も、水遊びをしながら楽しく過ごすことができました。屋上のプールも一旦おしまいになります。昨日6日(金)プール納めをしました。

最後はどんなことのしたいのか?やり残した事は?水鉄砲ごっこを見ていると、私もかけられました。園長先生にはかけちゃだめだよ、と言う先生の声がしたと思ったら、見事に当てられました^_^

早く終わらないかと暑すぎる夏を恨んでいましたが、こんな楽しい水遊びも、終わってしまうのかと思うと、やはり寂しいものですね。

「探究」を探究し始めた先生たち〜とうきょうすくわく〜

2024/09/06

今週3日(火)の夜、青木尚哉さんを講師にして、先生たちが集まってダンスの探究を語り合ったのですが、その後も探究について先生たちの探究が続いています。その一端を1歳児の担任をしている先生が次のようなクラスブログを昨日5日に書いているので、皆さんにもご紹介します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

「探究心の芽」のやってみたい!

いま、園では、にこにこ組(2歳)やわらす組(345歳)を中心に食育やダンスといった活動を、子どもたちの「探究」という姿をテーマに、展開し始めています。 「探究」は、一人ひとりの子の中で起きている心の動きや感覚なのかな?と思うと、その言葉が指す核心的な子どもたちの姿を捉えようとするのは、なかなか難しい部分でもあるなぁ、とも感じるのですが、先日 職員同士で、そのことについて話し合う機会がありました。

その中で、「”もう一回!”と繰り返しやってみようとする姿」も、ひとつの探究という姿の表れではないかという話がありました。例えば、ダンスの時間に、「もう一回!」と何度も挑戦していくなかで、ちょっとずつ自分なりの工夫を入れたり、その子なりの色々な方法を試したり。楽しい、面白い、と感じた先に、すこし工夫したり考えたり試したりしながら取り組んでみるプロセスがあるようです。

子どもたちは、そうした「探究」を無意識に身体感覚でやっていくけれど、大人はどうしても頭で考えてしまう…という話も印象的でした。

・・・さて、ちっちぐんぐん(0歳1歳)の子どもたちに目を向けてみると、ひとつのテーマや活動の中での「探究」を捉えるのはなかなか難しく感じてしまうのですが、少し角度を変えて見てみると、ちっちぐんぐんの子どもたちの日常は、むしろたくさんの小さな”探究の芽”で溢れているように感じます。

あるひとつのものごとやテーマを継続的に突き詰めていくような姿はまだなかなか見られないかもしれないけれど、小さい子どもたちの生活は、むしろ、探究心の芽吹きの連続なのではないかな?と思うほど、見てみたい!やってみたい!試してみたい!もういっかい!の意欲で満ち溢れています。

 

◼︎モノとのかかわり

Sくんは、大人とギターで遊んでいるうち、ふと あることに気付きました。それは、ちからいっぱいはじくと、弦が振動すること。

最初はジャーン!と音が鳴るのが面白くて、弦を鳴らしてはケラケラ笑っていたのですが、ある瞬間にガラリと表情が変わって、弦の動きに注目し始めます。数回、弾いては眺め、弾いては眺め…。弦の揺れをじっと確認しながら、振動が止まると「…ない!(動きが止まった!)」と教えてくれました。

 

Sくんが実際に 見て、触れて、試して…を体験したからこそ発見できた面白さだったと思います。

 

◼︎生活の中でのやってみたい! Rちゃんは最近、ズボンを自分で履いてみようとする姿が見られます。まだ、自分で足を入れるところも難しそうですが、やってみようという意欲が素敵です!

 

 

ちょっと手伝うと、できる部分は、自分でトライ。こうして、実際にやってみようと挑戦する中で、試行錯誤しながら自分の身体を知り、コツを掴み、徐々にうまくできるようになっていくのでしょう…♪ そして、最近、幼児食へ移行したTちゃんとMちゃん。ぐんぐんさんの姿を見ていたからか、おやつ後の下膳に挑戦です。

(となりには、いつのまにかすっかりお手本のようなHくん。)

Mちゃん、おもわず、『できた!パチパチ〜!』と喜びの拍手!

 こうしてまわりのお友だちや身近な人の存在が刺激になって、同じようにやってみよう!やってみたい!という姿が引き出されることもあるのかもしれません。  

Kくんも、この日、食後にトレーを運ぼうと両手で持って立ち上がります。教えたこともないのですが、どこかで覚えたのか、自分でお片付けしてみようと思いついたようです。

 (後ろから応援するNちゃんもかわいいです…)

先生にちょっとお手伝いしてもらい、そのまま調理の鈴木先生のもとへ^^ 子どもの「やってみよう」の気持ちや姿を、良い塩梅で 支えたりフォローしたり見守ったりするのも、大人の役割かもしれません…!

 

◼︎お友だちと一緒に Wちゃんは、最近、先生の真似っこ遊びが好きです。

この日は、ビーズのついた板状の玩具をウクレレ?ギター?に見立ててかき鳴らしながら、「おてては ぱー、さんはいっ…」と歌を歌っていました。それを見た Lちゃんも同じ玩具を持ってきて隣で同じようにやってみます。

先日は、絵本の読み聞かせをしているような真似っこ遊びもしていて、びっくりしました。 Wちゃんはいつも気に入った歌や絵本を「もういっかい!」と何度も何度もリクエストしていますが、そうしてちょっとずつ自分の中に落とし込んで、再現しているようです。 いつのまにか、歌えるようになっていたり、絵本のセリフを覚えていたり…。子どもたちの「もういっかい」はすごいですね。 ・・・最近のようすをご紹介しました。

「探究」というテーマを考えるとまだまだ私たち自身、これから学んで深めていかないといけないな、と感じるのですが、子どもたちの姿をよく観察したり読み取ってみたりする中で 感じること・考えることは日々たくさんあります。 ほかにも、ここでは紹介しきれない それぞれの子どもたちのさまざまな姿がありますが、ぜひ、パパママ保育士体験なども通して実感しにいらしてください!

子ども理解を深めていくプロセスを実習生と共に歩む

2024/09/05

今週から保育士養成校(大学)の保育実習生(3年生)が来ています。当園は実習1に続き、2回目になります。本人と話し合って幼児クラスに連続して入ります。今日で4日目だったのですが、毎日、昨日の実習日誌を読んで、コメントを書き、その補足と今日の実習を振り返っての話をしています。2回目なので、前回来た時よりも子どもたちがいろんな意味で成長しており、その変化に驚きながら、子どもとの関わりを深めています。

子ども理解をテーマとした話が連日続いています。昨日はある子どもとの信頼関係ができてきた経緯の中で見えてきた姿を共有しました。そこには「心の交流」があって「それはあなたとしか通わせることができなかった、かけがえのないもの」ということを伝えました。そして「そういう意味で、他の先生たちと対等なんですよ」とも。

その話を昨日したこともあって、今日の日誌には自分と担任との姿の捉え方の違いに気づいたエピソードが出てきました。明日でプールでの遊びも終わるのですが、それを選ばなかったRくんに姿について実習生は最初「プールは苦手、あまり好きではないのかと思った」そうです。ところが違っていました。担任がその姿に気づいて声をかけると、嬉しそうに入りに行ったのだそうです。何があったのか?

日誌にはこうあります。「・・・全然そんなことなく、本当はプールに入るし、好きだけど水が顔にかかることが好きではないと」と先生が「聞き出して最終的にプールに行かせることができて凄いと思った」そうです。「ピアノを弾いている後ろ姿が少し悲しそうに見えたため、仲のいい友だちが(プールに)参加し、自分だけ残ってしまっていたことが嫌だったのかなと考えた。それを自分からは言えないため、先生に気づけてもらえて嬉しかったのではないかと考えた」とあります。

その子と先生の対話にいたく感動したらしく「本当は入りたかったという気持ちが見えていなかった」と振り返り、どうして声をかけたのかと先生に聞くと「R君は前楽しそうに入っていたため何かが不満でやりたくないと思うので、その場合は一応声をかけて何故やりたくないかを聞く」との返事だったそうで、実習生は「日々の保育をして、その子の特性や言動を見ていなければ気づくことができないと思った」と書いています。

ここはよく出てくる「子ども理解」の二つ目です。さて、これからもう少し深い世界に入っていくとになりそうです。

(余談ですが、この大学とは紙のやりとりはなくなり、全て日誌はオンラインです。これは双方ともにスムーズで、職員間での共有もしやすくなりました)

 

保育園が「美味しさ」を追求しにくい別の理由?〜とうきょうすくわく〜

2024/09/04

食べ物が「おいしい」というとき、美味しいと書くなら、味にも「美」を感じるということなのでしょう。その場合の「美」はとても広い意味であり「よい」という意味に近いのかもしれません。そう考えると保育の方向にも「よさ」があるので(というよりも人間はなぜかわからないけれども「よさ」を追求しているので)、美味しさを求めるということも大いにあっていいことでしょう。

というようなことを考えていた時に、先日9月2日に、大妻女子短大の栄養学の先生がいらして、次のようなことを話されます。その短大から実習生を受け入れているからです。(写真)

・美味しい給食づくりを目指しているのに、実際は栄養とメニューの工夫ということにどうしても力点がいきます。

・それはそれで大事なことなのですが、作るところまでで、実際にどう食べているか、どう食べてもらいたいか、そのためにはどうしたらいいか、というところまではなかなか届かない。

そしてこうおっしゃいます。「保育所に栄養士の必置義務がないから、養成校も保育所での食事の提供のあり方を教える内容が乏しくなってしまう」ということもあるそうです。なるほど、そうかもしれないと思いました。2年間養成課程の中で、高齢者や介護施設や病院や企業の給食も学ばなければなりません。

確かに一方で、こんな話もあります。「栄養士と調理師の両方を採用するといいよ」という方もいるのです。その趣旨は、調理師の方が美味しい料理を作れるという意味です。

しかし、実際に採用した経験があるのですが、確かに腕はよくて、早く調理できて、盛りつけも上手だったりします。ただ、たまたまそうだったに過ぎないのですが、長く飲食業界での修行経験者なので、味付けは濃く、上下関係が厳しく「昭和作法」で仕事を部下に求めます。若い人はついていけませんでした。

そのケースに限らないのですが、21世紀生まれの人への育て方を昔の経験者は教わっていないので、採用後のリスキリングでは間に合いません。

というような話をしたのですが、上の話は誇張気味だとしても、似たような話を聞きます。

ちょっと話はそれますが、保育所の調理業務というのは、栄養計算も必須で保健所に提出しなければなりませんし、その上で献立を作成し、そして食材を選んで発注し、実際に毎日、基本的にその日の朝早くから調理業務(離乳食から幼児食、食物アレルギーの代替食、延長保育の夕食や捕食まで)があり、食中毒予防などの衛生推進も怠ることもできません。

このような業務の上に「喫食指導」や「食育」があるという現実があります。期待したい業務を広げていくと、かなり保育所ならではの専門業務があって、もしかすると、食育を担う保育者としての「調理員」のあり方を、ちゃんと検討しているところがない、ということかもしれません。しかるべき「調理員」の姿が、それぞれの保育園に任せっきりでいいのでしょうか?そんな疑問が頭をもたげてくるのでした。

その「ひらめき」がやってくるところ

2024/09/03

「今日はひらめきがたくさんありましたね」。ダンサーの宮崎知佳の今日の感想です。今日の子どもたちは前回8月21日の姿よりも、より自発的な動きを楽しんでいる様子が伺えました。

午後の振り返りで4歳の担任Yも同じような感想を持ったようです。ある地点から青木尚哉さんの方まで「走ってタッチ」(という名前がついている動き)するとき、走ってこなくても、ケンケンだったり、転がったり、くるくる回ったり、どんな格好でもいいのですが、それが最初から、それぞれ思い思いの動きになっていたのです。

前回までは、思いつかないので、ただ真っ直ぐに一直線に走ってくる子が多かったのです。この遊びは「ソロダンスステップ」に繋がっていくものなのですが、プロダンサーとして舞台やステージで踊る青木さんによると、人前で自分でスタートを切って何かやってみるということは、かなり高度な部類に入るものなのだそうで、恥ずかしいという思いも出てくるし、しかも一人でやる、というのはかなり敷居の高い部類になることは、確かに想像できます。

それが今回は四つん這いになったり、色々な格好をするようになっていました。やることの楽しさと面白さが、気恥ずかしさなどの壁を超えた、とでもいうのか、これまでの経験の積み重ねからか「あ、そうだ、これやってみよう!」とでもいうようなひらめきから、体を動かしてみることへの躊躇が減っているように見えました。それは、その次の「鬼さん、鬼さん何するの?」のアレンジでもありました。

この遊びも、自分の番になって「これするの!」が思いつかないことへのプレッシャーを感じる子どもは参加しにくいので、今日は「青木さん何するの!」を真似するだけにしてみました。すると、「次はなんだろう?今度はどんな動きをするんだろう?」と興味津々で、次々に出てくる「これするの!」の「動き」に釘付けになりつつ、自分でもそれを真似したい、やってみたい、楽しい!という循環が生じていました。

その最後の方では、そんな動きもありか!と感じたのか、それなら僕もやってみる!とばかりに、リズムをとっている「間」(実際にやるタイミングよりも早く)に、前に出てきて踊り出す子も出てきて、楽しそうです。どんなに楽しいかというと、やりながら面白さからの笑い声が渦になっていくのです。この空気感は、子どもたちを引き込んでいきました。4歳のHYくんは、最初はみていただけでしたが、途中から立ち上がって何か入り、自由に踊り出したのです。

一回きりの、2度と同じフリのないダンスの時間。やりながら感じるのは、私たちの身体が意識を超えたところで環境と応答していることの面白さです。一種のノリやグルーミングのようなものがあります。青木さん曰く「今日はその場の空気感を目一杯拾ってみました」と言います。保育の言葉に翻訳すると、子どもの心の動きが発する身体からのメッセージに応答しながら、動きやすいものにアレンジして繋いでいったような時間でした。

top