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園長の日記

モノをケアすることで性質や仕組みを理解していく

2021/05/15

ここ数日、わいらんすいの幼児では、水槽の高さを変えたり、ハサミの使い方を覚えたり、水や砂と出合ったり、色々なコトに熱中している様子が報告されています。こうした活動や遊びの姿の意味について、いくつかの視点から大切なことがいえます。

子どもたちは見たり、触ったりしながら、生き物や紙や水や砂の「性質や仕組み」に関心を寄せています。生物ゾーンにはメダカ、どじょう、ザリガニ、ダンゴムシ、カブトムシの幼虫などがいるのですが、らんらんのKAさんは「ダンゴムシが今はまだ寝ているの」と私に説明してくれるし、すいすいのTHくんは「ザリガニはお腹がへっているよ」とえさをあげる必要があると主張します。子どもたちは、生き物の立場になって、いろんなことを想像しながら、生き物の「命」を感じとっていることがわかります。

一方、ハサミで紙を切っているとき、「こうやったらうまく線の通りに切れた」という、使い方のコツを自分のものにしていっているのですが、そのときハサミと紙が、力の入れ方とか刃の擦れ具合とかを子どもに「語りかけている」と捉えることもできそうです。私たちはそんなとき、よく「モノと会話している」と表現することがありますよね。物の方がこちらに語りかけてくる、物の声が聞こえてくる、そんな物との関わり方を、子どもはよくやります。

水も勢いよく出すと、しぶきが飛んだり、強さを感じたりしているでしょうし、静かに流す時の音が小さいことに気付いたり、手で感じるものが異なることを試しているに違いありません。先生が教えてくれたのですが、そのとき砂場で子どもが心を奪われていたのは、砂が起こす「砂煙」でした。何かの拍子に立ち上ったのでしょう、子どもが驚きを持って感じ入っているのです。そんな世界は、大人の感性ではスルーしてしまうでしょう。

このように、子どもにとっての生き物、紙、水、砂は、ただ物としてあるのではなく、子どもの方へ「性質や仕組み」を明かしているという意味で、子どもの方へフィードバックしていることになります。一般にこのことは教育の領域「環境」のことだと思われています。

ところが、子どもが一方的に生き物や紙や水や砂に働きかけているのではなく、反対に物の方からも子どもに働きかけているわけで、双方向性のある「やりとり」になっていると解釈した方がいいんじゃないか、というのが日本保育学会の自主シンポジウムで語られていたのです。このようなとき、子どもはモノへの心配りがあり、物をケアしている事になるというのが佐伯胖さんの「ケアリング理論」(ノディングス)です。そうなると教育「環境」ではなく、養護(ケア)としての環境です(指針や要領はそんなことは認めていませんが)。

そうだとしたら、また子どもの「表現」の意味も変わります(転倒します)。ものが語りかけてくることを受け止め直していることが子どもの表現であることになります。この位置付け直しは、青木さんのダンスと同じなのですが、わかっていただけるでしょうか。マネキンとデザイナーのあれ、です。あの場合は、モノが自分の体なのです。自分の体と会話しているということです。それは自分の体を気にかけて(ケアしている)感じることが結果的に表現になっていくのです。外にある型を真似して同じ踊りができるようになる、という方向ではないのです。

 

したがって「美しい」と感じる感性は、大人が子どもに育てようとするものではなく、世界(モノの方)が子どもに語りかけてくるのです、じっと世界に分け入っていくことができれば。和歌や短歌を創るときと同じです。稲の苗やフラワープロジェクトで、ぜひ試してみてください。世界に没入すると、世界が秘密を打ち明けてくるようになるのです。

環境の再構成について

2021/05/14

入園、進級してからGWも終わり1か月以上が経ち、今は子どもたちの生活がある程度、落ち着いてきた時期になります。そこで見えてくる子どもの姿は、1人ずつ異なっているのですが、それでも「その子らしさ」が際立ってくるのがこの時期の特徴かもしれません。これまでもそうでしたし、これからも、きっとそのような時期であるでしょう。

これだけの時間がかかるのは、先生や友達同士の関係が大きく変化し、その変化の結果に再適応するまでには、どうしてもある程度の時間がかかるからです。この時、自分と他者の間にうまくバランスをとっていくためのスキルの発達の程度によって、個人差が生じます。特に2歳児クラスから3歳児クラスへの進級が最も変化が大きいのですが、4月当初が大きな変化であるように思いがちですが、そうではなくて、この1か月ぐらいの間に、周りの人的環境が大きく変化していくので、そのへの再適応がどうしても必要になってきている時期なのです。

そこで私たちは5月から環境の再構成に力を入れていきます。その様子は、各クラスのブログで紹介されています。少しそのポイントと方針を説明します。

新たな空間には必ず安全基地を充実させることが必要です。リラックスできて、ころごろしたりして、アタッチできるもので安心を得ることができるような空間です。ふわふわしたもの、柔ないものなどが必須になります。物も繰り返し同じ動きが生じるものや、見通しが立つようなものが有効です。また人の環境も大事で、子どもの同士の関係の中に安心できる関係を見出せない場合も生じるので、そこでは大人がそれまで以上に応答的に対応していくことを大切にしています。決して甘やかすということではありません。

この時の安心できる人や遊びや空間があることがとても大切な時期であり、決まりやルールを優先させて、それに従うことを強く言葉で促すようなことよりも、何をしたいという欲求が生まれているのか、その背景や理由や心理機構をよく理解してあげるような、じっくりとした関わりや受容が大切なのです。

こんなことを話し合いながら、一人一人の姿の意味を読み取っていきたいと考えています。

生活を作り出すための意見表明

2021/05/13

朝8時50分。3階では「どのゾーンを開けますか?」という話し合いが始まっています。聞いているのは先生ではなくて、子どもです。開けるゾーンを決める話し合いは、子どもたちが話し合って決めています。この話し合いに参加することは大きな意味があるような気がします。何かを決めることにコミットするからです。自分にも返ってくる意思決定への参画は、世界中で保育のキーワードになっています。生活への参画権です。与えられたものを従順に守れる資質ではなく、やりたいことを主張して勝ち取っていく民主的プロセスを、幼児の時から経験していくことは大事です。

この意思決定のプロセス参加は、物事を「我が事」として考える習慣に導き、自由と責任を学ぶことに通じるのです。誰かがどこかで決めたことを守れるということではなく、今この目の前で決まる場面に立ち合い、自分がどうしたいのか自己に向き合い、自分の考えをまとめます。そのためには、他人の話も聞かなければなりません。

9時半から10時までの間にある朝の会でも、その日何をするか話し合います。また夕方のお集まりでも、その後の遊び方を提案し合います。このように、1日の中に自分の考えを意見表明する機会が3〜4回あるのですが、その毎日の繰り返しはシチズンシップを身につけていくことになっています。

こんな姿が増えて嬉しい日々です

2021/05/12

皆さん、自分の子どものが「しっかりしてきたなあ」と感じる時は、どんな時ですか? 私がそれを感じるのは、自分で自分の行動をしっかりコントロールしているなあ、と感じる時です。

たとえば、私の担当になっている朝の運動遊びの中では、最近のお気に入りは「ブランコ」なのですが、その順番を待つこととか、遊びをおしまいにできるとか、時間になったから交代するとか、そんなことがかなりスムーズに切り替える力がついてきたなあ、と感じることが増えました。ごっこ遊び、見立て遊びのおしまいの仕方も上手になってきた気がします。

そんな場面に注目してしまうのは、大人の勝手な都合なのかもしれませんが、特に日本の文化の特徴が表れているかもしれません。子ども同士が自分の思いと他者の思いを上手にすり合わせたり、調整したりできることに価値を見出したがる自分がいます。それは自己主張して相手を「論理的に打ち負かす」ことが望まれるような文化ではなく、自分の気持ちや考えもあるけれども、相手のことも考えてどうしたら共に良くなるかを考えよう、という志向が強い気がします。その結果が、日本人は「同調圧力に弱い」という国民性につながっているようにも思えます。

しかし、これからの社会に望まれるのは、共生社会ですから、自分の意見や考えもちゃんと持っていながらも相手の気持ちや考えも理解していくようなスタンスでしょう。そんな大人になってもらうための「ブランコ」や「アゲハ蝶」との関わりだったらいいな、と思っています。

アゲハ蝶だろうか?

2021/05/11

保育園の「みかんの木」にアゲハ蝶と思われる幼虫が数匹見つかりました。幼虫といっても、まるで鳥のフンのようにしか見えません。私と虫好きな年長のTHくんと一緒に探してみたら、いました。みかんの木は、駐輪場側の花壇に開園した年の3月に植えたのですが、毎年アゲハがきています。

自生している朝顔が巻きついていて、どこにみかんの木があるのかわからないような状態になっていますが、アゲハ蝶にとってもう自分の巣立った場所がわかるような不思議な記憶装置があるのかもしれない、と勝手に思っています。

夕方のお集まりの時に、小林先生がみんなに「アゲハ蝶かもしれないよ」と説明してくれました。そのみんなの真剣な眼差し。

「どうして鳥のフンのようなんだろう?」先生がそう問いかけると、年長のもう1人のTHくんが「鳥のフンだと思って食べられないから」と明快解説!なんとも頼もしい「はらぺこあおむし博士たち」でした。

親子ふれあいWEEK 第2弾 地域を知ろう!

2021/05/10

先週5月6日(木)に、コドモンでアンケートのお願いをしました。今日保護者の方から「気付いていない方が多いかも」と教えていただきました。スマホ画面のアイコンに、最新情報があることを示す赤い印マークが出ていなかったようです。原因を調べていますが、コドモンを開いてみてください。

コロナウイルスの感染拡大で親子遠足などができにくい中で、その代わりに「親子ふれあいイベント」を継続的にやっていく予定です。稲の苗配布に続く第二弾です。皆さんから地域情報を集めてお散歩マップなどにして、役立つ子育てスポット情報を皆さんと共有しようというわけです。ご協力をお願いします。締め切りは延ばします。

母の日

2021/05/09

母の日。

保育園では子どもたちと童謡「おかあさん」を歌っています。作曲:田中喜直 作詞:田中ナナ

おかあさんの匂いが卵焼きだと歌われて「そうだ」とずっと思っていました。あの味は母の味なんですよね。

 

今母である人、昔母だった人、母にはなれない人、母を知らない人、母を介護している母、いろんな母といろんな人にとっての母がいて、こんなに大きな存在である母がいて、例外なく母から生まれてきた私たちの母。全てを生み出したマザー、母なるものを想いながら。母の日の過ごし方は?・・

いろんな表象の豊かさを感じるなら、やっぱり音楽の力を借りてみよう。思い出す歌を並べてみると・・

海援隊「母に捧げるバラード」

山口百恵 「秋桜」

Kiroro「未来へ」

♪母がくれたたくさんの優しさ 愛を抱いて歩めと繰り返した

Greeeen「父母唄」

大橋卓弥「ありがとう」

♪ママのいうことを聞かずに家を飛び出した私・・

綾香「ありがとうの輪」

宇多田ヒカル「花束を君に」

 

 

音楽を一緒に楽しみたい

2021/05/07

昨日の話の続きです。音楽のメロディ(リズムやハーモニーも含めて)が表しているものがあって、それが人類共通の何かを表しているとしたら、歌詞の方はその国や地域の言葉で表されているので、その二つが一緒になっている「音楽」は、二つの表象が重なることでさらに豊かな表現になっているはずです。

NHKの「みんなのうた」は今年60周年を迎え、その特集番組をみていると、あれもこれも「みんなのうただったんだ!」と驚くばかり。日本の音楽環境は、素晴らしいものがあります。こんな児童文化財が豊かにあることを、もっと大事にしたほうがいい、そう思います。

大事にするというのは、その音楽が表している世界を子どもたちと一緒に楽しむ、ということです。一緒にという仲間に入るのは、子どもたちを支える皆さんと私たちが一緒に、ということです。そういう機会を作りたいですね。

音楽が模倣しているもの

2021/05/06

子どものやりたがることに、いつも、いつも模倣があるのですが、そのことはこの日記でも「散々」と言っていいくらい書き連ねてきた気がするのですが、それでも、次のような考えがあることを知ってびっくりしました。

「音楽がわれわれの存在に奥深い内部にきわめて強く働きかけるのは、音楽だけが他のあらゆる芸術とは異なって、世界の存在物のなんらかのイデアの模写ではなしに、意志それ自身の模写であるからに他ならない」

「他の芸術は影について語っているだけだが、音楽は本質について語っている」

とても納得のいく説明です。お絵かきやブロックやままごとや、パズルでもいいのですが、それらに見られる模倣(模写でもいいのですが)は、確かに何かの模写であるのに対して(だからこそ「ゾーン」という空間的な場も必要になるのかもしれませんが)音楽は、メロディそのものが直接、私たちを生かせている世界の意志を奏でているんだと思うと、他の遊びの体験との違いに納得できるのです。

わかりづらいかもしれないのは「意志」の模写という意味でしょう。「世界は私の表象である」と考えるショーペンハウエルは、その表象を生んでいるものが世界の意志だと考えているからです。(これでわかりやすくなるとも思えませんが・・「意志と表象としての世界」を読んでもらうしかないかもしれません・・)

ただ、ここでいう「音楽」とは、いまの音楽とはちょっと違っていると思います。彼が語っている音楽は、今でいうクラシックのことですから、歌詞はないと思ってください。作詞作曲というときの曲の方だけです。それが世界の意志の模倣だというのです。言葉が表象しているものは、また別にあるのだろうと思います。

<世界の意志>というのは、人によっては神だったり、宇宙原理だったりブラフマンだったりしますが、いずれにしても不思議なことに世界を動かしている根源的な何かです。それを音楽は直接に表象してくれているんだというのですから、実に面白いと思いませんか?

私たちがなぜ、こんなに音楽を愛おしく感じるのか。私たちの命を生かしているものと、いわば出会っているようなものなのかもしれません。歌を歌いたい! 楽器を弾きたい! という衝動の源もまた、<私は今を生きたい!>という欲求の表れなのかもしれません。

明日から保育再開です

2021/05/05

二十四節気では「立夏」の今日5日の「こどもの日」はGWの最後の日でしたが、この連休、いかがお過ごしでしたでしょうか。緊急事態宣言の最中なので身近なところで過ごされた方が多かったと思いますが、今日のニュースを見ていると緊急事態宣言の延長は5月末までになりそうですね。「ロックダウン中でも蔓延したのがロンドンでした」。イギリスで治療にあたった医師がテレビで警鐘を鳴らしています。明日から保育再開です。インドからの変異株は今度こそ防いでもらいたいものです。水際対策には私たち市民は協力のしようがありません。国しかできないことは、国にしっかりやってもらうしかないのですから。

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