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園長の日記

こういう感性も大事にしたい

2024/04/06

 

新聞のコラムからの引用ですが、こういうのも大事な気がしますね。

朝日新聞「折々のことば」鷲田清一 から(3月14日)

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自分の視界の端に会いたかった人がいる。その距離感で十分なのだろう。

(伊藤雄馬)

タイ北部に住む狩猟採集民・ムラブリの言語を研究する言語学者は、ムラブリの人たちの、気持ちを表に出すよりもむしろそれを慎む態度にふれて、「ポジティブな感情を表現して認め合うこと」が幸福だという、現代社会の感性にふと疑問を抱く。そして「誰かといる」のでも「他人に認めてもらう」のでもない幸福に、むしろある「懐かしさ」を感じる。『ムラブリ』から。

ぐんぐん組の保護者会

2024/04/05

新しく3人のお友達が加わった、ぐんぐん組。身近なものや周りのお友だちと関わりながら、世界と自分の関係を確かめているようです。

クラスの正式名称は「おおきくのびる ぐんぐん組」。春の保護者会の最後は1歳児クラスでした。進級した子どもたちは、すでに昨年の春から1年間過ごしてきた場所なので、すっかり生活にもお友だちにも慣れているので、新年度を迎えても大きな変化はありません。知っている先生ばかりで、そんなに緊張もありません。

この子たちがやっていることを何に例えるとぴったりくるだろう? 手で触ったり、もったり、振ったり、落としたり、はいはいしたり、つかまり立ちやよちよち歩き。電車を走らせたり、絵本をめくったり、スコップで砂を掬ったり、コンビカーにまたがったり・・とにかくいろんなことをしています。

ウクレレの伴奏に合わせて、いろんな歌も歌います。本人の中では歌がなっているのですが、聞こえてくるのはその片鱗だったり、一部の鼻歌のようなものですが、気分よく歌っているのがわかります。

そんなとき、本人の中では世界との出会いで、目眩く(めくるめく)高揚感に満ちているのですが、それを外に見えるようにすることに長けていません(というか、大人になっても基本は同じだと思うのですが)。ジェスチャーや仕草では限界があって、その大きな手がかりは言葉が大きく、そもそも言葉の獲得は本人にとっても大きな道具になっていくので、本人にとっても周りの人とのつながりにとっても大きな役割を話します。

知らない街の駅に着くと、私はその街の地図を手に入れて、さてどうしよか?と眺めてみることがあります。それと同じように、子どもも出会った世界でその都度、自分なりの世界地図を作っていて、あそこなら手が届くな、とかこうしたらこうなるとか、色々と自分との関係というか関わり方と意味を取り込んでいくのではないでしょうか。あそこには何がある、あそこでこうしたい! そんなことを繰り返しながら、地図(空間的な意味だけでなくて)の中の自分の位置を確かめているかのように見えてきます。

世界と関わることで自分ができる、というようなことをよく聞きます。この時期の子どもに限らず、世界を学ぶことが自分を知ることになるという意味はどういうことなのでしょう。生きるということは、ある種の自分の住んでいる(物理的社会的歴史的な)地図を拡大させ、新天地を取り込んだり解析度を上げたりしながら、その中を自由に行き来できるようになっていく方法を学んでいくこと、なのかもしれません。

そして大事なのは、そのナビゲーションのカーソルを動かすのが本人であり、地図の中の<現在地が自分>というものになるという関係でしょう。自分を制御できることは、道の行き止まりから分かれ道に戻ってきてやり直すフィードバック制御を積み重ねて、自動操縦できるようになっていくことに近いかもしれません。

すいすい組の保護者会

2024/04/05

保育園で最後の一年はどうなるんだろう? 今日は年長、すいすい組の保護者会でした。正式なクラス名は「なんでもしよう すいすい組」です。担任は「子どもの希望を叶えてあげる一年にしたい」と意欲満々です。というのも、毎年いろんな場面で子どもが自分の考えを出し合って、話し合って決めていくプロセスを大事にしてきました。そこで内容が毎年少しずつ異なることになります。実際にすでに、子どもに何したい?と担任が聞いたらTHさんからは「アメリカに行きたい!」、S Nくんからは「魚釣したい」という希望が出ているそうです。さて、どこまで実現できるでしょうか???

年長さんの後半になってくると、こんな姿になっていきますよ、という話や小学校に向けて、遊びの中にある目標を実現させるための試行錯誤のプロセスに目を凝らしてみよう、といったことを話題にしました。

雑談的に最近、私がハマっているキーワードが「スパークする瞬間を捉えよう」というもの。スパークというのは火打石の火花のように、パッとやってくる、あれです。わあ、きれい!とか、そこがいいなあ!とか、子どもにはいろんなスパークが起きていそう。あれ、どうなっているんだろう?とかもう一度見てみたい!とか、そういった心の動きを、どうにかして外の世界に表していくような活動も体験させてあげたい。その結果、なにか面白い、ということが生じることを周りの大人が大事にしてあげたい。

子どもはそれを言葉で伝えようとするかもしれないし、何かに表現しようとするかもしれない、そこのしようとすることを本当に「なんでも」に広げてあげたい。そしてゆくゆくは、自分でそこをやっているだという自覚を少しずつ持つことができるようになっていくといいのかもしれません。実際にそんな風な姿が増えていくのですが、まだまだスパークの「なんでも」が足りない!そこに着目してあげたい、という話をしました。

多分、あっという間に過ぎていく1年でしょう。それでも大きく成長する一年です。その成長の姿と、そうなった体験の数々をできるだけ繋いで描いていきたいものです。どこまでその姿を捉えていくことができるか、私たちの保育者の挑戦にもなります。

らんらん組(4歳児)の保護者会

2024/04/03

今日は4歳児クラスの保護者会でした。クラスとしての年間も目標は4つ。特に3つ目について、私から補足しました。自分にとって本当に必要なことをやれるようになれる力を育てるために、自分で選んでそうしてみたくなるような選択肢の用意の仕方、子どもに届く見せ方について説明しました。

例えば、まだ自分で適切な判断をすることはできない時があります。「ここで休んでおかないと後で眠くなるな」とか「ここでトイレに行っておかないと散歩の途中で行きたくなるかも」とか「好きなご飯のお代わりをしたいけど食べすぎるかも」など、どうなりそうかを事前にシミュレーションして、見通しを持って自分で決める、ということはまだ難しい。

そこで、そこにだんだんそこに近づくように、イメージが持てるようにゴールを近くにしてあげて、自分でその階段を登ってみたい、と思える階段の高さにしたり、遊びの中で思いつく目標を達成するために、支えてあげる工夫をしたり。今日の話に出た事例の一つは「お昼寝が必要な子どもが、寝るか寝ないかの選択ではなくて、寝るけどいつ寝るかを選ぶように変える」というものでした。

眠くなることが本人もわかっていて、お友達と遊んだら1時半までに寝る、という目標に変えてあげると、それに向けてすんなり寝ています。同じようなことが、いろんなテーマに共通しています。遊びでも、その子どもの「それならやれそう」を一緒に見つけてあげること。遊び始める時とか、途中で試行錯誤している最中とか、ちょっと難しくなったところを解決できる工夫が見つかっていくと、子どもも大人も気持ちが通じ合っている感覚を覚えながら達成できたときの子ども同士の「できたね!」の共感も強くなるようです。

さて、どんな保育の話が終わって、どのクラスも盛り上がるのは、後半の懇談の時間の方ですね。今日は帰宅後の時間の過ごし方、特に晩ご飯をどうしているか、でアイデアの出し合いになりました。保護者同士の気持ちの通わせ方も保育と似たようなところがあって、大人も「それそれ」「そこそこ」と同調して話が通じ合うのは楽しいものですね。ぜひ楽しい園生活にしていきましょう。

 

にこにこ組(2歳児)の保護者会

2024/04/02

今日は2歳児クラス「いつも わらって にこにこ組」(というのが正式名称なのですが)の保護者会でした。新しく入園された方もいるので、お子さんのことを含めた自己紹介。そして、これからどんなことを大切にしていくか、どうなっていきそうか、ということを担任と私で分担して話しました。

担任からは、3つの保育目標について、このクラスの実際を踏まえて具体化した内容を、私からはなんでも便利になって生活の中から「身体で覚える」ということが少なくなっているので、それを意識して取り戻したいということを。

このクラスは保護者同士のコミュニケーションが豊かで、3月はバスでクラス単位でお別れ遠足をしたほどの仲のよさ。今日も会の最後は保護者の方が作った昨年度「ぐんぐん組」の1年間をスライドショーにまとめたものを披露もしてくださるサプライズもあり、グッとくるものがありました。

2歳児クラスでこんな感じになったら、卒園する頃はどうなるんだろう!と嬉しさが込み上げてきました。1年でこんなに育ったんだなあ、ということがよくわかるものでした。ありがとうございました。

 

進級マジックにあふれた新年度がスタート

2024/04/01

新たに入園された方は今日から保育園生活が始まりました。「ねえ、みてて」と私の足を引き留めたのはクライミングで上までよじ登っている3歳児クラスに進級したISさんとMYさん。同じように「ほら、みてて」を私の目をくぎ付けにさせたのは、箸で鶏肉をつまんで口に運べるようになった4歳児クラスに進級したAIさん。

あれ、どうしてダイニングがこんなに少ないんだろう?と思ったら、3階で食べていた新年中と新年長の子どもたち。「そうか、3階で食べてみたかったんだね、すいすいさん(3月までいた)のように」・・

子どもたちは、「もう〇〇さん(クラス名)なんだから」となぜか一段と自信にあふれていて、一日で1年成長したと勘違いしているかのように見えます。そこがなんとも面白くて、ローマは一日にして成らず、ですが「子どもの自信は一日でなる」という進級マジック!です。

さて新年度の初日の今日は、朝から0歳児クラスちっち組の保護者会でした。6家庭の保護者が集い担任紹介や年間の保育目標などを説明させてもらった後で、お子さんの名前の由来などを交えた自己紹介で少し懇談しました。名前に込められた意味と愛情を受けとめあって、いわばクラス開きの記念日です。これからどんなクラスになっていくのか楽しみです。

夕方には3歳児クラスの保護者会も開きました。こちらは定員10人に対して5家庭でスタート。全員が2歳児クラスからの持ち上がりで、5月以降の年度途中の募集を続けていきます。保護者会の内容と資料はクラスのブログに載せておきますので、ご覧ください。

 

 

東京の桜の標準木 開花

2024/03/31

29日の桜の開花宣言を受けて、その標本木の桜の花を見に行きました。

ほとんどはまだ蕾ですが、早く開いた花びらの淡いピンクがきれいでした。

春の日差しに誘われて、観光客もたくさんです。

 

卒園するご家庭のみなさんへ

2024/03/30

3月30日(土)。明日は日曜日なので、今日で令和5年度、2023年度の最後の保育の日となりました。全員出勤して月曜日からの新年度保育に備えました。

昨日は夕方に、卒園するご家庭との最後のご挨拶をしました。卒園式のときも申し上げましたが、通う場所は変わっても、活動する世界が広がるだけで、これまで通り、何かあったら助け合う関係は続きます。これからも子どもたちのことをできるだけ見守っていきます。また卒園しても放課後はSSS があるし、園児が授業参観に行くこともあるでしょう。千代田区は春から小学校単位で、学校と園の先生同士の連携も始まります。

ここに改めて、卒園式で保護者の方にお伝えしたことを書いておきます。

「保育園でいっぱい遊んで学んだことが、小学校での生活と学びにきっと活きていくでしょう。小学校はこれから令和の日本型学校教育といって、個別最適な学びと協働的な学びを大切にしてきます。卒園する子どもたちは自分の考えをしっかり持っています。ここでやってきたように、自分の意見もしっかり伝えましょう。そして相手の話もしっかり聞いて、そうだな、と思えはそう思えばいいし、違うなと思えばどう違うかを言えばいい。いろいろ話し合って面白いことを見つけていってね。そういうことを子どもたちには伝えてきました。ですから、私たち大人は子どもが何をどうしたいのか、聞いてあげて、それぞれのやりたいことをみつけて自分で実現していけるように、支えてあげてください。」

 

 

未知の大きさに途方に暮れながら年度末を迎える

2024/03/29

ちょっと前のことですがテレビで鳴門の渦潮を見ました。「その渦は取り出して持って帰れませんよね。宇宙も銀河系も、やっぱり渦ですよね。それと同じようなことが保育でもいっぱい起きているんです」と、新年度の月刊絵本の見本を持ってこられた代理店の方に話したら面白がってくれました。

「そこには海水の動きの中に、関係のプロセスとパターンがあって、その渦を切り取って並べてみることはできないでしょ。ほとんどの事はそうなっているわけですから、子どもが何かを身につけて成長していく姿は、そのように関係のプロセスの中に見えてくるパターンを認めていくことになるのなもしれない、なんて想像しているんです。小さな渦や大きな渦や、ゆっくりのや早いのや、いろいろあって・・」

最近「そういえば」と思い出したのは、大学時代に親しんだユクスキュルの「環世界」の見方があります。いまごろになって保育に関係してきたので面白いのです。ギブソンのアフォーダンスの見方が知覚と行為の関係について、ずいぶんと変えてくれた気もするし、それ以前に、そのような人間の認知の限界を見出した先駆ともいうべきユクスキュルの発見とともつながって、それに影響を受けたアーティストもたくさんいたというエッセイを最近よんで、同時代にクロスしていないことを残念に思います。

私の場合は20代の後半から、感覚が捉えることのできる世界が「ここ」なら、超感覚的な世界が「向こう」にあると仮定することを否定できないと思っていたので、高橋巌さんの導きでルドルフ・シュタイナーにいったわけです。超感覚的世界を認識する力の開発の難しさを淡々と受け入れつつ、日常的は時間の中では、普通の人間の感覚で捉えている世界の中で通用する理論と見方と言葉を辿り直している感じです。それは、数年前からやっている東大のテンミニッツの知識の全体像(小宮山宏)の片鱗(ほんの一部)なっていくのでしょう。

ユクスキュルがもし生きていたら、自然に対する人間の所業を嘆き悲しんだかもしれません。どうしてこんな巨大な装置を作ってしまったんだろう、と。人間は、もうそんなことを言っても仕方がないところまで来てしまった。それにしても人間はすごいことをしでかしてしまうものだ。映画「オッペンハイマー」がもうすぐ公開されるようです。これは観に行くことにしよう。

まだ出会えていない膨大な知識が世界にはあって、それは現代は爆発しているようなものだといいます。どんな専門家がよってたかって全体像を掴もうとしたって、不可能だろうと。世界に前人未到の土地は限られていると思ってたら、とんでもない、知識の世界がビッグバンを起こしているようだ。じゃあ、どうするといいんだろう。朧げでもいい、片鱗だけでもいい。世界の全体像をいまだに知りたいと思っています。

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