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園長の日記

大西拓磨「僕に必要だったのは主体性だったんですよ」

2024/07/22

「日本の教育で考えると、押し付けすぎているとか、そもそもシステム的にどうなのかとか賛否あるじゃないですか、そのあたりどう思いますか?」

こんな質問に、デザイナーの大西拓磨さんが約1年前に、こんな風に答えていました。

「いやあ、ほんと賛否あるし、ぼくはどっち側でもないんですけど、一個人で言うとぼくは受験して大学にはいって、あなたは何もすることがありません、と言われるまでは、与えられたものに必死だったんですよ、受験勉強があって科目があって、社会に出て、ぼくはまだ出てないんですけど(当時)、大人になって必要だったものは主体性だったんですよ。自分で問題を発見して、自分で解決策を考える。答えがあるかどうかわかんないものに対して考え続けるというような態度が必要だった。

それでいうと、高校とか中学とか、自由研究と体育だけでいいんじゃないか(笑)。もちろん、リテラシーとして文字をよめるとか、計算できるとか、ある程度、数学の道具を知っていることは必要だったりするんですけど、個人個人が考えた問題を解くみたいな。私はこれが好きだから、これを研究しますといえるのが、そもそも大事なのかなと思って。

ここ(孫正義育英財団)にきてすごく驚いたのは、小中学生ぐらいから研究をもっているんですよ、自分の。私はこれの研究をしますといえる。最初は大学の研究室に出入りしたりするんですけど、普通そういう選択肢があることを知らないし、そうならない。学校の勉強があって、それをやっていればよい、褒められる。学校で与えられたのを勉強させておきながら、ある日突然、自由なものをつくりなさいといわれて、結果だけ見せてくださいと言われる。

今でも覚えているのが、小学校3年生のときにぐらいに木星の研究といって、木星が好きだったので本とか読んでまとめたんです。そんなの別に研究でも何でもない。どうみられるか、優等生であろうとしただけだったというか。でもそうではなくて、その背後で自分はすきでやっていたことがいっぱいあって、ルービックキューブもすきだったし、部屋の間取りが好きで、理想の間取りのマンションを描き続けていた。ずっとやっていたんですよ。そっちの方が、今からしたら新しい研究っぽい。私はこれが好きです、私はこういう新しいことをしましたと言えるのに、それが自由研究になると当時全く思わなかったし。・・(木星の研究にしたのは)なんか学問寄り出し。自分の別に好きでも何でもないけど、みんなこうしたらいいんじゃないとかで自由研究をやってしまうんです。

だから僕が子どもを育てるとしたら、これは君にあう研究分野だねってみつけてあげて、というか、当人が夢中になっているものを研究としてアプリシエイト(賞賛)してあげて、それに対して援助するというか。例えば学校の先生という立場であれば、毎週、進捗確認とかして、こういうことを知りたいんだったらこういう方法があるというノウハウを教えてあげてとか。

本人のやりたいことを、主体性を伸ばしてあげる機会が、少なすぎたな、僕の人生には。・・周りにあわせて周りの顔色を窺っていたら、結局社会のためにあまり役に立てなくて、学校で教わったものというよりは、好きでやっていたことの方が役に立っている。本来は中学ぐらいで、義務教育終わっているのに、みんな高校へいって勉強しているで、もう少しなんか選択肢があってもいいのかな。義務教育終わっているのにそんな感じで大学までいっている。・・」

・・・
夏休みになって卒園児がボランティアに来ています。自由研究の話になって、このちょっと古い動画を思い出したのでした。

違う他者のなかで自分なりに自分を高めていきたい

2024/07/21

都内にある孫正義氏がつくった宿泊型のカレッジを紹介する番組をみていたら、そこにいる大学生が次のように語っていました。ここにいる学生たちの語りを聞いていると、いい学びの環境だなあ、と思います。

「年齢層が幅広いのがいいなって、ずっと思っていて、私は大学生で21歳で、ちょうど中間ぐらいの年齢層。社会人とかを見てたらなんかキラキラした社会人とかもいて、こういう人たちはどこから自分のやりたいことを始めてるんだろうって、すごい気になるし、話もしたくなるし、いろいろ学びたくなる。ぎゃくに年下の高校生の人たちもすごいことしてたりして、ちょっと焦るんですよね。でもここのカレッジ生って、すごい違うから、すごく焦るけど同じになりたいかというと違うから、まわりをみて、どう自分らしい道を見つけられるかなって、考えさせられるのが、すごくいいなって、ここ来てからずっと思っています。・・・自分なりに自分を高めていきたいという思考が生まれてきます」

学びの個別最適性と協同性の良さがある気がします。このような環境を多くつくり出したいものです。

保育園を「カレッジ」にしたい

2024/07/20

保育園を子供にとっては「学びのミュージアム」にしようと言うキャッチフレーズを使っていましたが、先生たちにとっての、カレッジのような場にするにはどうしたらいいだろう?

仕事そものが学びであるように、保育そのものを子どもと共に何かを創り上げる協同の学び場に変えていくこと。そんなことを思いながら、朝から睡眠講座をZOOMでひらき、午後から保育のミーティングを行い、夕方から職員厚生の時間を過ごしました。

講師と受講者の間をたもつ司会者のようなことをやっている私、職員と仕事のことを打ち合わせて話し合っているときの私、そして食事をしながら仕事以外の会話を楽しんでいるときの私。いずれも同じ私でありながら、そこで思いつくこと、相手と通じ合わせようとして向けている注意の先、さらに沸き起こってくる嬉しさや面白さ。

人は意識の持ち方で時間の質が変わるのですが、それは意識して変えることは難しくて、つまり意識の持ち方は意識の方だけで変えることはできず、環境とのつながりのなかで知覚も思考も無意識も大きく変化します。ただその違いを自分でコントロールしている自我のような自分はいつも、世界なかで自分の現在地を確認しながらやっているのですが、思わず引き出されてくる自分を発見して楽しくなります。

こういう「面白さ」は自分と世界をセットで気づくような面白さなのですが、職場をこのような学びの面白さを味わえる時間にするには、どうしたらいいだろうかと真剣に考えてみたいテーマだと思うのでした。

児童員、主任児童員の方々と交流(2回目)

2024/07/19

千代田区の児童委員、主任児童委員の方々との交流の2回目。保育園の紹介のポイントは、園生活や遊びの中にある学びです。また子どもの数や就園率、保育園の充足率、小学校以降の子どもをめぐる状況について情報を交流しました。

時代は大きな転換期にあり、家族のあり方や学校教育のあり方も大きく揺れ動いています。保育園から見ると、とくに従来型の「家族的なもの」としてのコミュニティーのあり方が大きく揺さぶられているように感じます。

個人の価値観や志向性の多様化に伴って、医療技術や生命科学の進展、さらにグローバル化やソーシャルネットワークなどの影響を受けながら、精神的生活圏が局所分散的になり、前提となっていたような従来型の親密性や暗黙の了解が成立しにくく不安定なものになっているように感じます。

ちょっと気が重くなる話になりますが、それは、危機的な状況に直面したときに協力し合うことができにくくなったり、あるいは、すでに危機そのものが見えにくくなり、予防的対応が遅れていくかもしれません。家族的なものの成立条件のようなものが揺らぐことによって、それぞれの個人が何を優先的に守ろうと決断するのかが変わってきているように感じます。

誰もが何か変わってほしいと切実に思っているけれども、なかなか変わらない何か大きなものが眼前に立ち塞がっていて、とりあえずやっていくしかないと言う時間が長く持続してしまっているような、また、これからもずっと続いていくだろうと言うような閉塞感とでも言っていいのでしょうか?

結果的にいろんなことが、非常に細かい分析的な作業に追い詰められているような気がしてなりません。生きると言うのは、もっと単純なことだったはずなのに。精神的サバイバルという言葉が、妙に切実感を持っているように感じてしまうのは考えすぎなのでしょうか。あるいは、私の時代認識というか、感性が間違っているのでしょうか?

児童委員の方々と、いろんなお話をする中で、お互いに感じていることが似ているなと思ったのです。

 

保育園の生き物たちのメッセージ

2024/07/18

気の遠くなるような長い進化の歴史が正しいのなら(多分そうでしょうけど)、私たち人間よりもずっと昔から生きている昆虫たちが、こうして保育園の一角で生まれて育ち、私たち人間の文化にも溶け込んでいることを思うと、虫の方に、もし人間と同じような意識が備わっているなら「そんな瞬きのような束の間の出来事に心を奪われている人間の面白いこと!」と驚くかもしれません。生まれては死に、というように見える生の個体化なんて、実在である生から見れば、ただの仮の姿のようなものだからです。さらに、たまたま保育園で数年、何代目かになったからといって、生という存在からみれば全く大したことではありません。

でもそれでさえ、開かれた意識を持った人間からすると、そこに昆虫の個体の生死に倫理的まなざしを向けることさえできるほど、生の影のようなものでしかない意識が、いつの間にか自由を獲得しているとも言えるのかもしれません。そのように意識を働かせる力そのものが生のありようだと思えば、人間のやっていることがとても不思議なことのように思えてきます。ベルクソンの「形而上学入門」を読んでいたら、そんな気になってくるのでした。

夏休みこども企画「睡眠について考えよう!」(8月18日)

2024/07/17

小中学生に自身の睡眠について、もっと目を向けてもらおうと、「社会と共に子どもの睡眠を考える会」が8月18日(日)の午後にイベントを企画しました。題して「夏休みこども企画 睡眠について考えよう!」。場所は西新宿の「東京医科大学病院」。大人と子どもはどう違う?朝型、夜型って?スマホ、ゲームのやりすぎはダメって本当? 動物の眠りは人と違うの? こんな素朴な疑問に医師や研究者が答えます。そろそろ宿題が気になりだす頃、小中学生の自由研究のテーマにどうでしょう?

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鳴き始めたスズムシ

2024/07/16

今朝は近くの保育園に、虫かごを2つ差し上げました。なかにはスズムシが数匹ずつ。この子たちは、保育園の3代目です。赤ちゃんが生まれたと言うのは既にお知らせしましたが、先週から既に鳴き始めています。

お泊まり会 2日目

2024/07/13

朝早く目覚めた子どもたち。朝の余裕ができたので、近くの柳森神社でラジオ体操をして朝食です。先ほど9時からの対面式が終わりました。昨日から今朝にかけての活動のスライドショー。大笑いをしながら見合いました。その笑いの中に、なんとも言えない「しんみり感」・・・言葉にできない裏話のような、この二日で感じた子どもの姿などから聞こえてくるメッセージ・・。

「あっという間に終わってしまった」という担任のつぶやきに、どこか寂しいものを感じました。毎年思うのは寝食を共にすると、ぐっと身近な感じがしてきて、一晩離れた親子の間もそうでしょうが、担任との間にも子どもへの愛おしさが増すようです。私のような立場でさえ、そうなのですから毎日を一緒に過ごす担任にとっては、なおさらでしょう。すいすい組の皆さん、子どもたちから、たくさん話を聞いてあげてください。

お泊まり会の初日

2024/07/12

今日は年長のお泊まり会です。年長7人が午前中は電車と都営バスを乗り継いで「足立生物園」に出かけました。ここは昆虫、魚類、両生類、は虫類、鳥類、哺乳類など約500種の生き物が飼育展示されており、主に蝶や江戸川にすむ生き物などを観察してきました。

お弁当を食べてスーパーで夕食の食材の買い物をして園に戻りました。休憩の後は神田岩本町の銭湯へ。男女別れて先生が付き添い背中を流し合いました。

夕食はリクエストメニューのトッピングハンバーガーと、流しそうめん、かき氷。その後屋上で手持ち花火を楽しんで、これから就寝です。今8時過ぎですが、雨になりましたが充実した1日を過ごすことができました。

保育園は厨房やキッチンもあり、お昼寝のスペースもあるので、基本的にお泊まりはあまり無理しないでもできます。これはいざという時の避難生活になった時の練習にもなります。

子どもたちは毎年行ってきたお泊まり会を、一つ上のお兄さんお姉さんたちから聞いており、とても楽しみにしている行事です。先ほど布団のところで記念写真を撮りましたが、ハイテンションで大騒ぎで、とても楽しそうです。寂しがる子どもはおらず、夏の楽しいお泊まりの思い出になることでしょう。

身体的コミュニケーションとしてのダンス〜「東京すくわくプログラム」〜

2024/07/11

今年は「東京すくわくプログラム」を始めています。保育園ではたくさんの活動が同時にいろいろ動いているのですが、大きくは三つのテーマにスポットを当てて、継続的に取り組んでいこうと考えています。その一つはこれまでも取り組んできたダンスです。ダンスというと、実に様々なものがあるわけですが、当園ではコンテンポラリーダンスを4年間続けてきたので、その強みを活かして、身体と環境(他者や空間や音楽も含む)の様々なかかわりの側面にスポットを当てます。

講師は皆さんご存知の青木尚哉さんです。赤ちゃんから年長さんまで、発達に応じたプログラムを開発してくださってきたので、これをさらに良くしていきながら、進めていきます。今日は昨日10日に行った活動を、青木さんを交えて振り返りました。昨日のダンスは動画や写真で記録しているのですが、これを元にできるだけ全職員で共有していきたいので、今後の進め方も含めてクラスごとに話し合いました。

今日の振り返りの目的は大きく二つありました。一つは「子どもの経験している意味」について、保育士からみえていることと、ダンサーの青木さんからみえていることを交流し合うことです。

子どもの気づきや試行錯誤の様子をどのように捉えたか、それを出し合うことで、子ども理解を深め、次の活動の手立てや方向性を明確にできます。今日はいろいろな視点が交わされたのですが、やはりもっと掘り下げてみたいのは「身体的コミュニケーション」とでも言ってよさそうなところです。

青木さんの言葉では「関係性遊び」という表現をされていました。「マネキンとデザイナー」は、一方がマネキンになってデザイナーが10回のカウントのリズムに合わせて、手足を1箇所ずつ動かしていく遊びです。手や頭や腰や足をゆっくりと優しく動かすのですが、その時に、動かしてもらうマネキン役も動かすデザイナー役も、相互に協働して動かしているのです。能動的に動かす方と受動的に動かされる方という区分ではなく、そこに身体を通じたコミュニケーションがあって、「こっちに動かしてみよう」「あ、そっちなのね、いいよ」という了解し合う意思疎通が生じています。

園生活には多くの身体的な接触があります。抱っこやおんぶ。膝に座ったり側にいたり。じゃれあい遊びや鬼ごっこのタッチや手繋ぎ。いろんな場面でいろんな接触があるのですが、幼児なら改めて自分やお友達の「からだ」にもっと意識的になってみること。手で腕を「触る」ということと「掴む」ことと「押す」ことは違う、そういうことも含めて体験していく遊びになっています。

乳児の場合は、先生や友達との心理的な距離や大人が醸し出す雰囲気、また好きな歌やダンス、なりきり遊びの種類などによって様々な体の動きが生じています。

もう一つ、どのクラスでも話題になったのは、これまでもそうだったのですが子どもによって「あ、それ面白そう」と思ってやることが異なっていること。この活動には赤ちゃんから年長さんまで、実に多くの動きや身体的接触のバリエーションがあるので、子どもから見た時の「面白そうだからやってみたい」と意欲的になるものと、そうでないものが含まれています。その選択は基本的に自由にしています。そばで見ている、別場所で遊んでいる、でもその時だけは参加する、といったことができることが前提です。

そこで、「もっとやりたい、今度はこうしてみたい」という子どもたちが多いので、その機会を増やして深まっていくように、活動プランを少し練り直すことになるかもしれません。例えば、その時の子どもの意欲を見て、小グループでの選択活動が週案に入ってくるイメージです。

また関わり方とその意味を深めるために、青木さんからまとまった時間を使って研修会を開きたいと思います。これには保護者の方も興味がある方は一緒に参加してもらおうと思います。できれば、小学校の先生もご招待したい。

そしてこれらの活動の振り返りは、資質・能力の三つの柱で子どもの姿を捉え直していくことになるのですが、非認知的能力でもある「学びに向かう力」の、いわばエンジンになるところがパワーアップしていくようになるといいな、と思います。探究の意欲が、いわば「身体的な関わりの美に向かう活動」の一つになっていくように。

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