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園長の日記

健康③乳幼児期の運動と体力について

2020/02/06

◆子どもの「運動能力」って何が育つといいんだろう?

入園以来、私は保護者の皆さんに「子どもが自分の体を思いどおりに動かせるようにさせてあげたい」とお話してきました。自分がこうしたい!と思ったらそれができるようになってほしい、と。そのために、それぞれの発達の過程にあった運動ができる環境をできるだけ用意してきました。赤ちゃんから就学前の子どもたちが、十分にその力を発揮できるような環境です。では、その運動能力とはどんなものなのか、ちょっと分入ってみてみましょう。

運動能力に関係する言葉、よく使われる言葉をまず整理してみましょう。

◆「体力」とは色々な身体的な器官の機能のこと

遠くの公園まで歩いて行けたとか、活発な運動をしてもあまり疲れなくなったとか、風邪をひきにくくなったとか、そうしたことがあると「体力がついたなあ」などと言いますね。この「体力」とはなんでしょうか。私たちは腕力とか走力とか、個別の話ではなくて、全体的な身体の育ちをイメージすると思います。発達の専門用語を紐解くと、次のように書いてあります。

「運動能力の基礎となる身体諸器官の機能を体力と呼ぶ。筋力、敏捷性、平衡性、持久力、瞬発力・・などからなる」(発達心理学辞典)。

この定義によると、いろいろな器官の機能がよく発達することのようです。それが発達する仕組みは、生まれる前から携えてきた潜在的な力(持って生まれた力)と、生まれた後で、その器官を使うことで伸びていく力が合わさって形成されていくことになります。私たちのできることは、後者の「生まれた後で、その器官をよく使うような機会をちゃんと用意すること」になります。では、この「ちゃんと」とはどんなことでしょうか。それは、それぞれの身体的器官がちゃんと働くような環境のことでしょう。そのポイントは、あくまでも子どもが「思わずやりたがるような環境」です。

◆運動技能を育てるには

もちろん体の中の、消化器官や呼吸器官、循環器官なども、ちゃんと働くことが大事です。これも広い意味での身体的運動で、健康の基盤になります。生きていく生命維持活動そのものですね。生命の保持そのものの機能ということですね。ある程度の負荷と休息のリズムを必要とします。よく言われるように、適度な運動とバランスのいい食事、そしてストレスの少ない生活です。ただ今日のテーマでいう「運動」は、もう少し狭い意味での身体的な運動です。いわゆる「運動技能(スキル)」です。技能ですから、生まれた後で習得できるもの、学習で身につくものになります。辞典をみてみましょう。こうなっています。

「運動技能(スキル)は、運動形態の実行能力、または個人に定着した習熟能力。運動遂行能力のこと。いくつかの下位技能(部分機能)が有機的に統合され、時間的、空間的にまとまりを持って遂行される」

私はこれを「やればやるほど、上手になっていく身のこなし」という言い方をしてきました。これは機能の種別としては筋力、持久性、柔軟性、平衡性、俊敏性などの要素に分けられます。これらの中で乳幼児に必要なのは、これらの他に目と手がスムーズに連動するなど協応性が大切になります。

◆生活の中で身につく「習慣的技能」

さて、このように、いろいろな運動技能を考えると、現代の「便利な生活環境」の中では、意識して計画しないと経験できないものがあります。例えば、高いところに自力で登る、降りる、地面に手をついて体重を支える、地面を蹴って跳び上がる、上下逆さまになる、といった動きです。これらは昔に比べて極端に少なくなっていると言われています。これらの運動技能は毎日の生活の中で「習慣的技能」と言われることもあります。体全体の動き(粗大運動)だけでも歩く、坂や階段をのぼる、走るなどいろいろありますね。手指の運動(微細運動)もスプーンや箸などの食具を使うこと、歯磨きや衣服の着脱、お絵かきなどもそうです。

◆遊びの中で育てたい「知覚的技能」

このような動きを生活の中に取り入れることが大切ですが、もう一つ大事な運動の領域があります。それは「知覚的技能」と連動するような運動です。粗大運動なら「鬼ごっこ」がわかりやすいでしょう。どのようなことかというと、刻々と変化する状況に合わせて、自分の行動を目的に合わせて変化させることができる技能です。その場合に目で見たり、触れたりといった知覚的な機能を上手に使って、自分の動きを調整します。縄跳びや、ボール運動、けん玉などもそうですね。対象を見たり、触ったりして、自分の身体を調整する必要があります。そこから「知覚的技能」と言います。目隠し鬼なら音を聞いて、ということです。手先を使う微細運動だと、LaQなどのパズル、折り紙、あやとり、コマ回しなども入ります。

健康②心身の安定感が育つこと

2020/02/05

◆健康であることは継続的に安定的であること

私たちは「健康」というと、平凡な言葉なので、この言葉から新鮮なイメージの広がりを感じにくくなっているかもしれません。病気になって初めて、健康であることのありがたさを痛感するものですが、失って初めてきづく平凡さが、いかに生活の基盤になっているか、気づきにくい広い裾野と深さを持っているのが、健康というテーマです。日々の繰り返される生活の中に、しっかりと根付いて機能しているかどうか。それを示すキーワードの一つが、安定感です。

室内の生活も、戸外での活動も子どもたちの姿に安定感を感じるようになってきました。何と比べているかというと、入園してからのこれまでの生活の流れの中で、それが育ち、頼もしくなってきたなと感じるのです。

◆子どもたちの姿に垣間見る「安定感」

安定の反対は不安定ですが、それは心や体の復元力、回復力と関係します。不安定な状態、マイナスの状態になっても、そこから自力で元に戻る力の育ちです。これからの時代には、この力がますます必要になってくる気がします。硬くて動かない安定性ではなく、動的に揺れても倒れない安定性です。弾力性があって、凹んでもまた元に戻る力、大きな力がかかっても折れない柔軟性。そうした力をレジリエンスと言いますが、この要素が育つことが、安定性には欠かせない気がします。幼稚園教育要領も保育所保育指針も、10項目ある健康の「内容」の最初は「安定感をもって行動する」です。

◆子どものレジリエンスの育ち

心の動きを感情で表すなら、「いや〜!ダメ〜!」と嫌がったり、怒ったり、反発したり、拗ねたりしても、気を取り直して「いいよ〜」と、共感したり、なだめたり、優しくしたり、助けたりしています。ちっちもぐんぐんも、その姿をたくさん見ることができます。

にこにこの子どもたちも、あどけない表情の中に、しっかりとした意思を感じる眼差し、自分ならどうしようかなという自省的な顔つきが垣間見られるように育ってきています。満3歳を通過していく子どもたちの自立への歩みは、目を見張るものがあります。この子どもたちが、和泉公園まで歩いていけるようになっているということの中に、実に色々な成長が組み合わさっているのです。

わい・らんの幼児に目を向けると、朝の運動を安心して見ていられる時間が長くなり、ルールを守って遊んだ方が楽しい、ということを実感し始めていることと関係するかもしれません。お集まりで友だちの語りを聞くことができるようになったり、その話し合いの時の落ち着き具合や、背筋の伸びた後ろ姿が物語ります。遊び込んでいる姿に深みを感じさせるのも、またできたものを「見て、見て」と承認を求めてるタイミングや言い方にも、ある種の落ち着きが出てきました。喧嘩したり、いい合いになった後の仲直りまでの過程にも、自分の気持ちを収めていく力の育ちが見て取れます。

ちなみに地震の多い日本の古代の木造建築の技にも、この仕組みが取り入れられています。

◆子どもの育ちの振り返りにも・・

こんな心身の育ちは、ゆっくりとした変化なので、ある定点観測を並べてた時にはっきりとします。成長展では、この1年間の定点観測の姿を並べてみます。この準備そのものが、「組織としての自己評価」の一部に当たります。何を振り返るかというと、子どもの「育ち」を多面的に振り返っているのです。

健康①自ら健康で安全な生活をつくり出す力を養う

2020/02/04

◆健康な心と体を育て、自ら健康で安全な生活をつくり出す力を育む

日記にこのタイトル?と思われるかもしれませんが、とても大切なフレーズなのでみなさんにお伝えしたいのです。これは日本の幼稚園教育要領や保育所保育指針での、幼児教育の領域「健康」のひとつです。

◆心も体も解放される体験

今日は、午前中の散歩でこんな場面がありました。ちっち組とぐんぐん組は今日のクラスブログにあるように、和泉公園へ行って「外の空気を吸いながら、広い場所で思い切り体を動かして」遊びました。子どもたちの弾けるような笑顔が眩しくて、まさに立春にふさわしい戸外遊びができました。子どもたちは「心も体も解放される感じ」を体験していて、確かに貴重な経験です。このような経験は「健康な心と体を育てる」ことになります。

◆にこにこ組も初めての和泉公園への散歩

さらに、こんな場面もありました。にこにこ組も今日、初めて和泉公園へ行きました。そこでは、広い芝生を走り回り、2種類の滑り台がついた大型アスレチックで遊びました。また列を作って歩道を歩き、階段を上り下りして、さらに途中にある色々なものを目に留めながら園と公園の往復ができたのです。これだけ体力もつき、しっかりとした足取りで、つまづいたり、転んだりもしません。

滑り台を安定した姿勢で滑ること。階段を上り下りするとき、手は手すりだけを支えていること。上手にネットをよじ登れること。手足の四点をうまく交互に動かす握力と支持力が育っていること。長い平均台のような棒にまたがり「いざる」動きができること。前後に揺れるワンちゃんの乗り物を上手に乗りこなすこと。数え上げるとキリがないほどですが、様々な動きを楽しんでいました。知らない人が見たら、しょっちゅう来ていると誤解されるはずです。初めての遊具のはずなのに、自然と遊べるのには驚きました。木場公園の冒険広場での経験も生きているはずです。

また、わいらん組も、朝の運動で画期的な育ちを見せてくれています。ルールを守って安全に体を動かすことができる子どもたちが、それを目指そうとしてくれています。子どもたちによるその伝播力は素晴らしいです。

ちっち組、ぐんぐん組、こにこ組、そしてわいらん組の子どもたちのこの姿から、「健康な心と体が育っている」ことを実感できます。

◆見通し・加減・判断

ところが、もっと嬉しく思ったのは、「子どもが自分でできそうなことの見通しや加減ができるようになっていた」ことです。危険なことはしない、でも、ちょっと難しそうだけど、やってみたい。その間(あわい)の判断力が育っているな、ということを感じました。あるいはこうも言えます。できそうなもの、自分に合うものを環境の中から選び出し、それを使うことで伸びようとしている能力を使っている、と。

私たちは、この子どもの姿をどう受け止めるといいのでしょうか。子どもの育ちをどのように振り返るといいのでしょうか。専門的には、子どもの発達をどのように評価(アセスメント)するべきか、ということになります。

◆自らつくり出す力

実は、こういう時のために、指針や要領は役立つのです。そこで、もう一度、教育「健康」の文を見ていただきたいのです。「健康な心と体を育て」の次の文言です。

「健康な心と体を育て、自ら健康で安全な生活をつくり出す力を養う」

私たちが子どもが健康であるように「教育」して、何を育てるのかというと、ここに書いてあるように「自ら〜つくり出す力」を養うのです。「健康で安全な生活」は、大人が用意するだけではなく、子ども自らが「つくり出す」のだ、と書いてあるのです。この違いはものすごく重要です。健康で安全な生活環境になるように、子ども自身でそれを「つくり出す力」を養うんです。主語が大人ではなく、子どもです。

◆危険回避能力を育む

子どもたちは、自らケガをしないように「危険を回避する力」を身につけていました。ここに至るためには、危ない環境をなくしてケガをしないようにしてきたのではなく、危ない環境があっても、それを選ばない、避けることができる、無理をしない、危なくないように活用するなど、そうした「安全な生活をつくる」ことができるようになってきているのです。

◆自己免疫力を高める

このことはケガの回避だけではありません。病気にならない丈夫な体を養うために必要なことは、免疫力を高めるために罹患して抗体を獲得することで身を守ること。これが基本です。予防接種も同じ発想です。赤ちゃんの頃、病気にかかりながら抵抗力を高めていく(抗体を獲得していく)ことが大事なことなのです。ただ、今注意しなければならないコロナウイルスのように、自己免疫がない、危険な病原体には「罹患しないこと」が最優先ですが、そのような対抗策は例外的であることを認識しておく必要があります。

◆適量を食べ、休息睡眠をとり、オムツがとれ、衣服が脱ぎ着でき・・

さらに対象を広げれば、健康な生活を作る力は「早寝早起き朝ごはん」の生活リズムを自らつくり出すことでもあります。「いっぱい・ちょっと」など食事の適量を自ら知ること、朝食をしっかり摂れる食欲が朝からあること、お腹空いたという感覚があること、疲れたら休息を自らとれること、眠くなったら心地よく眠りに自分で入れること、そして自ら気持ちよく目覚めること(いつまでも寝かしつけや目覚まし時計が必要ではなく)、朝、排便できること、衣服の着脱が自分でできること、暑いと汗をかいて体温を下げ、寒いと体を動かせば自分の体が体温を上げる仕組みを獲得すること、自分で気持ち悪いと感じて手を洗いうがいができること、・・・どうでしょうか。自らこんな生活をつくり出す力を養うことができたら。保護者会でもお伝えした基本的生活習慣の自立です。こうした身体的な自律(他律ではなく)がコンフィデンス(自信)を育てるのでした。さらに遡ると、その土台づくりが無意識に深く根を下ろした自信(基本的信頼感)を持つことでしたね。

 

 

鬼がきて「怖い思い」を体験

2020/02/03

◆怖い思いをする経験の意味は

1階のちっちとぐんぐんには、お面をつけずに、ちょっとだけ鬼に出てきてもらいました。

2階のにこ〜らんらんの子どもたちには、鬼の仮面もつけて赤鬼にきてもらいました。あまり怖がらせるのは良くないので、みんなで力を合わせて「鬼は外」と豆を投げて追い払いました。

今のような時代でも、子どもが怖い思いをする経験も必要です。何かをちゃんと恐れるという人間の心。恐怖を感じる能力は、ヒトが生存競争の中で、生死をかけて生き抜いてきた長い進化の中で必要だった感情です。危険なものから、反射的に自分の生存を守ろうとする行動を素早くできるための感情です。そういう身体反応が起きる機会がなくなったのが現代社会です。現代の節分には、そんな意味があるのかもしれません。

◆「鬼が嫌いなものは?」

わいわい、らんらんの子どもたちは「イワシ!ヒイラギ!」と、元気よく答えてくれました。

先生たちが「絵本」で節分のお話をして、その後、実際に鰯を目の前で焼いて、その頭を柊の枝に刺して「やいかがし(焼嗅)」を作って見せました。玄関につけるところも子どもたちに見せました。

 

そこで私からこの話も付け加えました。

「じゃあ、鬼が好きなものは?」「・・・・」

これは絵本にも紙芝居にも出ていません。ですから子どもたちもわかりません。

「鬼が好きなのはね、悪い心が好きなんだよ。嘘をついたり、お友達に意地悪をしたりする子が大好きなんだって」・・

こんな話をしたら、どんな顔をするかな、と思って話してみました。面白かったですよ。実に神妙な表情を見せてくれました。これはやりすぎると、ちょっと怖い思いをさせて良いことを促すという、出来の悪いむかし話のようになってしまいますから、あっさりと済ませましたが。「怖い鬼はね、みんなの心の中にいるのかもしれないね」。みんな、ぽかん、としていました。

 

千代田せいが保育園のカリキュラム

2020/02/02

先週は保護者会でいろいろな話ができて、楽しい時間を共にできました。参加していただき、ありがとうございました。この数ヶ月間、子ども(赤ちゃんも)が自分づくり(自分探し)をしている姿に感動したり、夜の睡眠がとても大切なことだと再認識したり、そして鬼ごっこのように規則のある遊び(ゲーム)を含む創造性が発揮されやすい遊び(プレイ)を増やしたりと、いろいろな保育実践を積み重ねてきた成果を、保護者会という機会に少し確認できた気がします。2月は、これまでの成長の軌跡を振り返る行事「成長展」があります(29日)。そこで今月は、子どもの成長の読み取り方を意識してみます。

◆子どもの育ちを見る目を持つ

子どもの成長や育ちを表す言葉は、英語では二つあります。一つはグロースです。「一年で随分と大きくなったね」と言う時に使います。身長や体重など身体的な成長を指すことが多いですね。経済学の「経済成長」はエコノミック・グロースです。もう一つが、デベロップメントで発達と訳されますが、こちらは精神的な側面も含むので、保育で発達というと心身両面の育ちを意味します。心の発達という言い方をします。

私たち保育士は、この発達を理解することが、専門性の中心に位置づきます。ただし、お医者さんのように健康かどうか、病気や障害かどうを診断する視点ではなく、教育(5領域)と養護(生命の保持・情緒の安定)の視点から捉えます。この教育と養護は世界中、同じです。英語ではエデュケーション・アンド・ケアです。略してECと言います。

ちなみに「保育」のことを、乳幼児を意味するアーリー・チャイルドフッド(EC)をつけて、Early Childhood Education and Careと呼びますので、略してECECと書くことが多いです。これが世界的には保育の意味です。英語では、とても長い言葉になりますが、日本では「保育」という言葉が、これを意味するので便利ですね。でも、保育には教育が入っていないと誤解されやすいという欠点もありますが、私たち保育者は、保育とは「養護と教育が一体となっている」と理解しているのです。

◆小学校以降は教科カリキュラム

教育の視点は幼稚園もこども園も全く同じですし、教育内容も全く同じです。保育園だから教育がないと誤解されている方が多いのですが、そんなことはありません。全く同じ目標や内容で実践しているのです。違って見えるのは、幼稚園が4時間、保育園は8時間ですから、日本の幼稚園は制度的には「学校」ですから、大人が決めた活動が時間割で活動が並ぶ「教科カリキュラム」的な園が、私立を中心に多くなります。就学準備型、と分類されることもあります。

この方の特徴は、世界的に読み書き計算の基礎(知識・技術)の育成に力を注ぐので、遊びという形式(手段)を通しての文字や数や体力などの習得を目指します。ですから厳密な意味での自由遊びではありません。遊びが手段になっているので、子どもの「自発的な活動としての遊び」(本来の遊び)にならないことが多いのです。現在の日本の幼稚園教育要領はこのやり方を否定しています。

ただし、公立幼稚園は幼稚園教育要領をよく理解しているし、それに準拠していることが多いので、子ども主体の自由遊びの時間を多く設けています。ただ、私が知っている年配の経験豊かな保育者によると、昔の活動内容としての5領域(あるいは6領域時代)の方法の影響と、どうしても一人担任や乳児の担当制になるために、以下に説明するオープン保育に移行できない壁があるようです。

◆乳幼児期に目指したいオープンカリキュラム

一方、千代田せいがのような、世界が目指し始めた保育、OECDが推奨している保育は、一人ひとりの子どもが決めた(あるいは選んだ、創っていく)生活と遊びなので、その内容を時間割で並べることができません。もちろん室内遊び、散歩・戸外探索、食事、休憩、午睡などの大まかな区切りはあります。こちらは「オープン(経験)カリキュラム」あるいは「生活基盤型」となります。知識・技術がしっかりと身につくように、その基盤(根っことか土台とよく言いますよね)となる、子どもの自信や意欲や人間関係力など非認知的能力を大切にします。土台をしっかりしていないと、その上に建つ建物がしっかり立たないからです。毎日の生活の中で、子どもが気づいたことが出発点になります。園庭がないから、「地域全体を園庭に」という発想は、学びの対象を実社会におき(教科書やドリルやお稽古教室ではなく)、地域や保護者の方も一緒に、子どもの経験を豊かにするために協力しましょう、というカリキュラムなのです。

では、この違いはどちらが、<教育的に効果が高い>と思いますか?

◆経験から自ら学ぶ力(learning to learn)が育つ

これは、すでに学術的にはっきりしていて国が強く求めいる「主体的・対話的で深い学び」(アクティブラーニング)が実現しやすいのは、後者です。前者は早く結果の姿が現れますが、小学校三年生で変わらなくなり、その後、後者に追い抜かれます。このスタイルは小学校以降の学びにはふさわしのですが、乳幼児期はまだ早いでしょう。後者は生活と遊びの中で、自分の切実なテーマ(発達のテーマ、課題)に沿って学ぶことができるので、学び方も学んでいます。これを昔から「単なる知識を教え授ける教育」ではなく、子どもが「経験から自ら学ぶ力(learning to learn)」を育てようといわれてきたものなのです。そう考えれば、後者が生涯学習時代の基礎になることや、変化の激しい時代、学ぶ内容がどんどん変わっていく時代にも対応しやすいというのは自然にご理解いただけるはずです。

後者の保育は、保育者の力量、園全体のマネジメントが難しのですが、千代田せいが保育園は、後者のノウハウ(保育理念〜保育方針〜保育方法)があることと、保護者の皆さんがこの保育を支持してくださっていることから成立しています。

 

 

 

他罰性の心理をめぐる考察

2020/02/01

◆免疫力や抵抗力も高めましょう

今日は電気に依存した機械が急に動かなくなったので、急いでその対策を講じることに追われました。このようなことが起きると、バップアップや代わりの手段を用意しておくことをシミュレーションしておきたくなります。新型コロナウイルスでWHO(世界保健機構)が緊急事態宣言を出すと、店頭からマスクがあっという間になくなりました。リスク回避能力は、経験と学習から育つものも多いのですが、病原体に関しては侵入を防ぐことですね。手洗いやうがいはもちろんのこと、子どもの心身の健康を維持増進するためのポイントは、大人にも通用します。また心が疲れていると病気になりやすくなります。栄養、腸内細菌、運動、睡眠、休息にも目を向けましょう。やはり自分の免疫力や抵抗力を高めておくことが大事だと感じます。

◆増え続ける煩雑な手続きが人間性を麻痺させる

保育の仕事をしていると、子どもの心の健康を考えることが多いのですが、この日記で以前、人類学者のデヴィッド・グレーバーの著書『官僚制のユートピア』を紹介したことがあります。この本のタイトルはもちろん皮肉です。官僚制賛美の本ではなく、現代社会の特徴として、ペーパーワーク的な仕事が増え、人間としてのシンプルな生活に専念できないというジレンマがなぜ生まれるのかを探求しているのです。人間の内面にまで官僚制が侵食してきていることに警鐘を鳴らしている本です。私はこの本を読んでいると、現代の社会がいかに心の健康に良くないかということに気づかされます。

◆私たちの人間性を振り返る

規制を緩和して自由競争を進める新自由主義社会になれば、煩雑で手続き的なルールに縛られなくなると思っていたら、現実はそれとは正反対になってしまいました。どの企業でも起きている書類や印鑑に象徴されるような煩雑な手続きをが増え続け、つい最近発明された企業の接客態度やクレーム処理をめぐる振る舞いなども、唯一の正解かのように思い込まされています。これらの行為を、私たちは当然視するようになってしまいました。

これら問題は、社会学で重要なテーマとして研究されています。人類が共生社会を維持するために、動物は力関係を権威と威圧と暴力で構築しました。しかし、ホモ・サピエンスはそこにとどまらず、協力と和解を生み出して進化させたのです。それが「笑顔」でした。生まれたばかりの赤ちゃんは生理的微笑という「笑顔」で親の養育を引き出します。

官僚的社会は、人が「生きる意味を考える」ことから遠ざけさせる、人間力の形式化、空洞化のテーマとして考察されてきました。これは自覚の可能性が問われている問題なので、共有することがとても難しいテーマにもなっています。

◆多様性から協働性へ

このような社会を変えること。それに気づく大人を増やすこと。これは生涯教育の大切なテーマなのですが、環境に適応することが上手な人間は、知らず知らずに、周りの環境を変えることが「自己実現」になると信じ、バラバラの価値観が多様化することに歯止めがかかりません。今年の新年会で藤森統括園長から頂いた色紙の言葉は「多様性から協働性へ」でした。

◆豊かさと他罰性、貧しさと自己罰は結びつきやすい

さて、佐々木正美さんの講演をまとめた本「生き方の道標 エリクソンとの散歩」(子育て協会)の冒頭に、こんな話が語られます。引用します。

文化人類学の方面から人間ということを考えますと、地球上ほとんど至る所にいろいろな種族、民族、いろいろな人間が住んでいるわけではありますが、経済的、物質的に豊かな地域や文化圏に住んでいる人間ほど、外罰性とか他罰性という感性を強く持っていると言われます。外罰、他罰というのは、何か不愉快なことがありますと、自分以外の人を罰したくなる、そういう感情、感覚、感性のようなものであります。人のせいにしたくなるとでも言いましょうか。卑近な例を申しますと、仮に幼い子どもの手を引いて自分の家の周囲を歩いていて、ちょっと親が心の隙を作ったときに、子どもが親の手を振り払って、ちょろちょろって歩いて行って、転んで、運悪く道の端のドブ川へ落っこちたとします。この場合、「ああ、しまった、いけない」と思うだけで済ませれば、それは自己罰であり、内罰でありますが、同時にこのどぶ川の管理責任者は誰だろうという感情が湧き上がったとします。こういう人通りの多いところにどぶ川をオープンのままにしておくというのは許しがたい、この道とどぶの管理責任者は誰だ、という感情に自分が支配されたとしますと、この部分が外罰であり他罰であります。経済的に、あるいは物質的に恵まれない社会に住んでいる人の場合は、おそらくこんな時に、こんな外罰的な感情は湧き上がらないというわけであります。豊かさと外罰、他罰性、貧しさと内罰、自己罰という感情が結びつきやすい。これは人類としての特性だそうです。

・・・・・・・・・

私もこんな感情にとらわれることがあります。皆さんはどうでしょうか。この感情が湧き上がってくるとき、私の中に感謝する心が足りないな、と反省します。人間関係力を小さい時から育むことがいかに大事か、保育園の子どもたちの様子を見ていると、強く感じてしまいます。

 

 

東京都は自転車も賠償責任保険が必要に

2020/01/31

◆東京は自転車に乗る方人は賠償責任保険の加入が義務に

今日31日は午後から園長向けの研修会に参加してきました。全国的な動向や来年度予算の内容などを確認するものです。保護者の皆さんに、直接影響があるものがありました。それは東京都の条例によって、自転車に乗る人は必ず賠償責任保険に入らなければならなくなったことです。4月から施行されます。賠償責任保険ですから、乗っている自分の傷害保険ではなく、相手に怪我や損害を与えてしまった時の保険です。自動車の自賠責と同じです。東京都だけのルールなので、東京都の保育園が加盟している保育団体が新たに保険を用意するそうです。近くご紹介できると思います。ちなみに入園時にすでにご案内ずみの任意保険「キッズガード」に入っている方は、それでカバーされていますので、その更新手続きをすれば済みます。

◆労災でも「精神疾患」が急増している

保育界には全国的な加盟団体が3つあります。その保育3団体が合同で開催する研修会が年間を通じて色々開かれています。今日の研修会もそれでした。ですから内容は、全国共通の課題や制度改正の話でした。

とても驚いた日本の社会変化がありました。それは「精神疾患(うつなど)を理由とする労災」が急増しているのです。仕事で精神疾患になったと認定されたわけですから、その原因は主に職場にあることになります。原因の第1位は残業など「仕事の量・質」で約3割を占めます。第2位がパワハラやいじめなどの「人間関係」、第3位が「事故や災害の体験」となっていて、この3つで4分の3になります。

◆保護者との関係で悩む保育園

では保育園はどうなっているのでしょうか。対人援助職である保育や介護の世界で労災は増えています。精神疾患の原因のうち40%が「責任の重さ・事故への不安」でトップです。その次に多いのは「保護者との関係が難しい」で19.6%もあります。これは、また長く保育に携わっている人から聞く話や研究者、そして私の実感とも一致します。研修会の講師は「年々、細かな対応を求めてくる保護者が増えています。保育という本業に専念できない、無駄なプレッシャーがかかっているのです」と説明していました。

保育園の場合、子どもの保育だけでも人員配置が足りない構造のまま、厚生労働省はその問題を放置し続けています。これは一法人や園長によって解決できない問題です。補助金で運営しているので収益事業ができません。人を増やすなら人件費を下げないとできない構造なのです。ですから、そこに何も人員加配がされないまま、保護者への対応が過重負担に拍車をかけていて、せっかく素晴らしい保育という仕事についても、その働き方が辛くて辞めてしまう職員も多いのです。

「保育園を考える親の会」の普光院亜紀さんに八王子の「せいがの森こども園」へ講演にきて頂いた時、この話をしたことがありますが、この親の会も保護者の立場から保育園を支えることの大切さを認識してくださっています。八王子の時はこの問題を保護者の方と間で、同じ認識に至っていました。千代田せいがでも早く同じような関係になりたいですね。

◆他罰性が強くなってしまった社会

物事は実に様々な要因が絡み合って発生しています。肝要なことは、現代社会が他罰性の時代になっていることを自覚することです。他人のせいにするのではなく、お互いに精一杯努力していることを想像しあい、優しい気持ちで違いを認め合うことです。その前提は信頼関係です。それはお互いに作り上げようとする姿勢が大切です。きっと相手も善くしようとしているということを信頼できるかどうかです。その信頼が前提となって、それなら私も協力して、やってみようと思える心理のことです。他罰性の意味は明日「生き方の道標 エリクソンとの散歩」(佐々木正美)から紹介します。

子どもが「はしゃぐ」という意味

2020/01/30

朝、運動遊びをしていると、遊びにある種の「スリル感」が入ると楽しみが倍増することがわかります。スリル感といっても、ヒヤヒヤ感ではなく、ドキドキ感です。私が「ライオン」になって「ガオ〜、食べちゃうぞ〜」と言うだけで、生き生きと「はしゃいで」遊び始めます。その時、子どもたちはネットやクライミングを上手に使いこなしています。身体を動かす楽しみの中に、何かから捕まらないように逃げる鬼ごっこの要素、しかも模倣遊びとしての「うそっこの世界」の要素が加わると、遊びが格段に面白くなるようです。この遊びから私が抜けても、子どもたちだけで楽しめるようになることを目指しています。

このところ、運動ゾーンはルールを守って上手に遊べる子どもが「運動マイスター」に認定されているのですが、遊びの中のルールは「守ることでより楽しくなる」という体験が大切です。その「楽しさ」は、遊びの中の模倣、偶然性、競争、眩惑といった要素がもたらします。楽しいという実感があって初めて、マイスターとして認めてもらいたい意欲にもなるのでしょう。

今週の運動遊びは、相撲ごっこもかなり上手になりました。勝負して勝つと嬉しそうです。こちらには競争(勝負)や眩惑(めまい)は強くあるのですが模倣と偶然性が乏しいので、あまり長続きしません。でもかなり運動量の上がる遊びです。強くなるということへの憧れ感が満たされるので男子は盛んにやりたがりますね。

いずれの遊びにも、私が感じるのは「じゃれ遊び」の要素です。肌をふれあい、まるで全身が楽しさのセンサーであるかのように、じゃれ合うことを求めています。身体が忘れていた楽しさを思い出したかのように強く求めている子どもたち。この遊びには、解放感があります。非日常的でもあります。脳の深いところにある喜びを再発見しているかのように感じるのです。こうした要素も遊びにはあることがわかります

にこにこ組の保護者会から

2020/01/29

いつもわらってにこにこ組。これが2歳児クラスの正式名称です。にこにこ笑っている屈託のない子どもの姿は、実に可愛い。何をしても可愛い。大人を笑顔にさせる天才が、2歳児さんですね。私も子どもが2歳の頃、本物の親バカになりました。世界中の子どもの中で、自分の子どもが一番可愛いと思っていることを、他人には秘密にして過ごしてる時期ではないでしょうか。

さて、その「にこにこ組」9人の子どもたちのお母さんが全員集合。まず、これが素晴らしいですね。そして嬉しいですね。改めて御礼申し上げます!全員参加されたので、今日の内容の詳細は省略しますが、お伝えしたかった大事なこと、それは「自信」の大切さでした。本日配布した「園だより」2月号の巻頭言に、その育ちのプロセスをスケッチしました。

この「自信」は、人間関係の中で育つのですが、最初にそれを子どもにプレゼントするのは、ほとんどは、みなさん親御さんです。あの「大いなるYES」「大いなる肯定」が、子どもへの最大のプレゼントになるのでした。

これが見方を変えれば、自らを認めている「自己肯定感」、自分を大切にできる「自尊感情」、やればできそうだという「自己有能感」などになります。「ちょっと難しそうだけど、やってみよう、私ならできそうだ」ーそう思える自分であること。本質的な楽観的精神。これが物事に挑戦する力や勇気を生み出し、人に親切にでき、心を合わせて協力して目的を達成する喜びを感じ、そして最も大切な力、人を愛する力に育っていくのでしたね。

やってみた結果や成功体験ももちろん自信になります。その歯車を回し始めるための、もっと根っこのものは、0歳の時に「周りは自分が呼べば応えてくれる世界なんだ」と、他者を信頼することから始まります。その後に自律のテーマ(いろいろな生活上の自立力)が達成されていく中で、自信がしっかりと根を張ります。そして3歳以上の自発性へと発展していくのですね。成功体験からの自信になっていくのは児童期(小学校以降)のテーマで、幼児期の終わりまでに培っておきたいのは、こちらの無条件の自信の方なんですね。

好きなものを見つけ、それを探求していくことができるようになると最高です。学校の「勉強」を、本当の自分探しとしての学びに転換できる力。卒園するまでに「学び方を、学びの喜びと一緒に身につけること」ができたら、私たちの子育ての大きな山を越えたことになります。ここまでくれば、自力で歩き始めることができるでしょう。小学校以降は劣等感を持たせないように勤勉性を身につけていく絶好の時期になります。その小学校の生活と学びが楽しめるように、保育園にいるうちは、「自立に向けた生活」と「良質な学びが埋め込まれた遊び」に没頭できるようにしてあげること。これが私たちの「仕事」だと考えています。

最後に、いろいろな実例をご紹介していただいた保護者の皆さん、ありがとうございました。排泄の自立は、突然やってくるんですね。「元気は出るもの、勇気は出すもの、根気は育てるもの」に加えて、「やる気は来るもの」という発見もできました。「発達は突然やってくる」ですね。

 

 

 

自信を育て自分をつくり他者と協力できるように

2020/01/29

(園だより2月号 巻頭言より)

◆自信を持った子になってほしい

将来必要になるであろう、社会人の力について考えていると、保育園の頃に必要な体験が何かがはっきりしてきます。それはやはり「自律と貢献」です。まず自分というものがどうであるのかを探しながら、自信をもった子になってほしいと思います。そのためには「ちっち」の頃に、自分が望んだことを受け止めてくれる他者(ほとんどの場合は親です)がいることで、「周りは信じるに足る世界だ」という感覚を持てるようになります。これを基本的信頼感の獲得といってもいいのですが、これが人間関係の世界に入っていくための駆動装置(エンジンやモーター)なります。反対にこれがないと、世界に対する不信を学ぶことになり、人間がもともと持っている意欲や自発性がよく育ちません。

◆条件なしの自信を育てたい

0歳の赤ちゃんはまだ自分のことがわかりませんが、その頃に「呼べば応えてくれる他者」があると、自分への自信にもなります。応えてくれる世界が呼んだ自分を認める作用になるからです。世界への信頼が同時に自分への自信にもなる。そういう関係です。1歳をすぎる頃から、それが自分の有能感(やればできる)や万能感(なんでもできる)の基礎になっていきます。

注意してほしいのは、これは「何々ができたから褒められる」という経験から生まれる自信ではありません。そうした条件のつかない自信です。やった結果の反映として生まれる自信ではないのです。頑張って努力して達成できたからつく自信とは違います。それは小学校以降でいいのです。根拠のない自信といってもいいでしょう。そもそも存在していることだけで認めてもらえる自信といってもいいかもしれません。「あなたがいるだけでママ(パパ)は幸せよ」ということです。ある心理学者はこれを英語の「ある」という意味で「Beの自信」と呼びます。やった結果から生まれる方の自信が英語の「やる」という意味で「Doの自信」と、その研究者は命名しています。乳幼児期に大事なのは、もちろん「Beの自信」です。

◆世界を探求できる力を

もともと持って生まれてきた存在(あること)と意欲(しようとすること)に応答し、認めてあげることは人権の尊重そのものです(これをAIができるかどうか)。ここが育つことができれば、あとは駆動装置が自分を導きます。そして自律というテーマが浮上してきます。他者(社会)との関係のなかで、目的に向けて自分を自分でコントロールする力です。他者とモノとの関係の中で展開されるドラマの始まりですね。自分づくり、自分探しの始まりです。あのイヤイヤ期です。世界との折り合いを学び(目的や目当ての発見)、自分の心と身体を世界にフィットさせていく。満3歳ごろまでそれが続き、世界の歩き方がわかると、4歳以降、生活と遊びの中で「自分で探求できる」ようになっていくのです。

◆他人と協力できるように

この自発的な活動としての遊びは、自由遊びのことです。自分の心身を自発的に使うとき、その力は育ちます。能力は使わないと育たないのですが、使って育つような環境を選べるように用意するとき、その環境は歴史的にも国際的にも、そして将来性からも正当性のある活動になるようにしたいのです。切実な自分づくりと、それが将来から見ても困らないようなものです。自信を持ち、自分をつくり、5歳以降は他者と力を合わせられる力を育んでいきましょう。

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