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園長の日記

音環境について考える

2019/11/25

日本の保育の世界で「常識」だと思っていることが、ちっとも「良いこと」じゃないことが色々あります。それを思い出させる出来事が今日25日にありました。保育室の音環境についてです。千代田せいが保育園は、みなさんご存知の通り、外からの音がほとんど聞こえません。目の前が昭和通りで、しかも高速道路が走っているとは思えない静けさです。図書館と同じ静けさを確保してあります。それだけ防音が行き届いているわけです。

今日いらっしゃった方は、短大の保育士養成校の学科長で、自ら幼稚園も経営されています。話題になったのは、日本の保育園の「うるささ」です。もう数年前のことですが、日本の幼稚園や保育園の音環境を調べたら工事現場と同じ騒音だと問題になりました。子どもの声が大きくて、普通の話し声が聞こえないので、子どもが叫ぶように話すようになってしまっている、というのです。悪循環です。

「千代田せいがの保育室は、いい吸音材を使っているので、基本的に静かですよね。保育室の音環境に気づいてもらうために、千代田せいがを紹介していますが、良いでしょうか」

そんな依頼を受けました。ただ私は、子どもたちの声がまだまだ大きすぎると感じています。千代田せいがの幼児の子どもたちも、うるささに慣れてしまっています。保育環境がうるさかったから、より大きな声を出していたのかもしれません。あるいは、大きな声で主張しないと、聞いてもらえない、という経験がずっと続いているのかもしれません。敏感な子は「うるさい」と感じています。

保育室はこれくらいうるさいのが当たり前、という常識が日本にはあるようです。先生も大きな声じゃないと務まらないとか、声帯が丈夫でないと先生になれないとか、キャーとか大きな声を出すのが子どもらしいとか、全く誤った考えが常識のようになってしまっているのです。

保育も一斉に多くの子どもたちに語りかけることが「常識」だと思わされているので、先生も「みんな」という言葉をよく使います。本来なら一人ひとりのそばに行って話せばいいだけのことです。多くの子どもたちに同じ内容を伝えたいときは子どもに「伝えるの手伝ってくれる?」と、子どもが子どもに伝え合うようにするといいのです。そうした方が、意識の共有や連帯感もコミュニケーション力も育ちます。もちろん、そうでない時もあります。でもそれは、どうしても効率を優先しがちな場面などに限る方がいいと考えています。

子どもの会話がうるさいから、静かにさせる方法として「壁ぺったん」という方法があるようです。私たちの園では、一度もやったことはありません。食事の時にも「壁ぺったん」で、壁を向いて食事をさせている園があります。食事は会話を楽しむ方がいいのですが、子どもに話をさせないように、刺激を与えないように、子どもに入ってくる情報を少なくして、静かにさせているというのです。

その方から「そんな園が結構ありますよ」という話を聞きました。養成校の先生は、実習生をたくさんの園に送り出しているから、いろんな園の実状に詳しいのです。

私は保育室に限らず、家庭でも会社でも学校でもどこでも、適切な音環境を考える必要があると思います。総じて、音が多すぎる気がします。海外に行くと気づかれると思うのですが、例えばレストランや喫茶店などに入ってもBGMはかかっていません。それに引き換え、どこに行ってもかかっているのが日本です。有線放送が始まってからの文化現象ですが、これも世界的に見れば常識ではありません。

日本の音環境。どうなんでしょうか。例えば家庭でもいつもテレビがついている。ラジオがかけっぱなし。音楽が常になっている。若い人はいつもイヤホンで音楽を聴いている、・・・そんな常識でいいのかどうか。耳が疲れていい音が聴こえなくなると心配されている研究者は、少なからずいます。

物事をちゃんと考える時間が欲しいと思った瞬間、私などは静かな場所でないと考えることができませんが、そんな頭は古いのでしょうか?

全く、話は変わりますが、21日に蝶々を公園で放したときの、子どもたちの表情、感動的です。いい顔してますね。いい経験の積み重ねがないと、あんな顔にはならないです。みなさん、自慢していい顔ですよー^_^。

 

 

 

「つもり」の世界に生きる子どもたち

2019/11/24

保育って、本当に面白い。何が面白いかというと、人間の面白さに色々と気づくことができるからです。「どうして、そんなことするのかな」とか「もしかしたら、そういうことかな」とか、改めて考えてみると「人間って、不思議だなあ」と思うこともあります。

先週はアロペアレンティングの体験がふた家族あったのですが、その時の子どもたちの反応が面白いです。どうも子どもたちは、もともと「〜のつもり」惑星、「〜ごっこ」星の世界に住んでいる宇宙人じゃないかと思うんですよね。

どういうことかというと、アロペアレンティングの体験と言いましたが、正確にはアロティーチャーの体験ですね。先生だけが保育をするんじゃなくて、保護者の方が先生になってもらうわけですから、いろんな先生が保育に携わるわけです。だから先生だけじゃない、という意味でアロをつけて、アロティーチャー。

それはともかく、子どもたちには「誰々ちゃんのママ先生、パパ先生」と紹介します。それが子どもにとって「誰々ちゃんのママ」とは違って、担任の先生たちによると、子どもたちはちゃんと「先生」なんだと、そのつもりで接してくれているようなのです。そのあたりの子どもの姿は、クラスブログで紹介されています。

私はこれは子どもの「表現」と密接に関わっていると思えて仕方がありません。つまり、子どもは「ママ」「パパ」ではなく、ママやパパが先生になったつもりであることを理解して、子どもも、その「つもり」の世界を自然に受け入れることが好きだとしか思えないのです。

本当に子どもは、何かになったつもりが大好きです。運動ゾーンで、私がネットを海賊船に見たて、台風が来て大波が押し寄せてきたり、大きなサメが船のそこから襲う真似をしたり「見立て遊び」をやると、子どもたちは、生き生きとその「うそっこの世界」にリアルに入り込むことができます。これは子どもが持つ素晴らしい能力です。海の中の魚やタコやイカになることもできます。

12月のお楽しみ会は「千代田せいが演芸場」で行いますが、そこはお家になったり、森になったり、木場公園になったりします。子どもたちはヤギになったり、青虫なったりします。それは、子どもがとても得意な世界です。そのつもりになるという「模倣」は、人間の本質なんです。それが小さいうちは「真似っこ」「うそっこ」という模倣ワールドで精神の翼を広げるのです。

ですから、アロぺで見せる子どもたちの距離感の正体は、きっとこの相手が何のつもりなのか、を即座に理解して、「ママ(パパ)が先生のつもりなら、それなら私は子どもじゃなくて、園児を演じるわ」となるのでしょう。それが、友達のパパママ先生との付き合い方にも見受けられる表現なのではないでしょうか。

ちなみに、その視点でちっちのブログ「いないいない」を説明すると、13ヶ月のYちゃんは「他者の視点を獲得している」発達を意味します。鏡をみても「これは自分だ」とわかります。スカーフで隠れている自分と、出てきて見える自分が、相手からどう見えるかを区別して想像できているからこそ、「ばあ」と出てくるのが「面白いでしょ」と相手にそれを伝えて、共有しようとしていることになります。ここにも共同注意が見られるのです。二者関係の間にスカーフという三者が入り込んで、それを他者とやりとりできるわけですから、指さしができるのと同じように、すでに言葉の機能を獲得できていることがはっきりしますね。

 

6ヶ月アンケートありがとうございます

2019/11/23

11月22日(金)が6ヶ月アンケートの締切日でした。お忙しい中、ご回答いただき、心よりお礼申し上げます。提出していただいた日に必ず読んで、職員全員で回覧して確認しています。11月27日ごろに、皆さんにご報告する予定です。もし書いていたけど、提出を忘れていたとかという方も26日(火)の朝まで間に合いますので、ご提出ください。記述部分は空白でも構いません。○をつけるだけでもいいのでよろしくお願いします。

 

ところで、今回のアンケートの項目を選ぶにあたり、参考にしたものは厚生労働省が昨年2018年9月にまとめた「中間的な論点の整理」です。

https://www.mhlw.go.jp/content/000516810.pdf

この論点の枠組みに沿って、お尋ねしました。

そもそも、その論点を踏まえて保育を実践していないと質問もできないわけですが、この「中間まとめ」に書かれていることは、私が平成20年の保育所保育指針の改定に関わった時に、すでに議論されていたものばかりです。そんなに新しいことは含まれていません。

ただ、その頃よりも強調されるようになったのは「保育の可視化」のところです。私はこの可視化もあくまでも手段であって、実現すべき目的である「子ども主体の保育」を実践していなければ、それを可視化しても意味がないと考えています。

そこで最も大切なことは、何を目的に実践しているのか、どんな理念の実現に向けて実践しているのかということになります。

この中間まとめでも、次の3つが「基本的な視点」になっています。

  • 保育の質の検討に当たっては、子どもの健やかな成長と発達が保障されるよ う、「子ども」を中心に考えることが最も基本。
  • それを前提として、様々な保育の現場において、園長をはじめ、職員全員の 参画の下、子どもの思いや願いを受け止め、子ども一人一人の発達過程に応 じ、保育所保育指針に基づく保育実践(環境を通して行う保育、養護と教育 の一体性、健康・安全の確保等)の充実に向けた取組が日常的に行われるこ とが重要。
  •   また、保育の質を確保・向上させるには、実際に保育を実践する保育所等の 保育現場に加え、保護者や地域住民、さらには、自治体や地域の関係機関を 含めた、保育をめぐる多様な関係者の参画や連携・協働、保育に関する理解 の共有も必要。

座長を務めた汐見稔幸・東大名誉教授の解説によると、この3つは次のような言葉に言い換えられます。

①子ども中心の保育を原則とすること

②そのため子どもの思いや願いを受け止め、子ども一人ひとりの発達過程に応じて保育が行われるようにすること

③それを職員全員が参加して進めること

④その原則を示した保育所保育指針に基づく実践を充実させる方向で追究すること

⑤保育をめぐる多様な関係者の参画や連携・協働、保育に関する理解の共有を図ること

このような5項目にまとめられるものです。

これらの目標を具体化して実践しているのが、千代田せいが保育園の保育なのです。

 

第1回 Mam’s Salon 開催

2019/11/22

子どもにとってどんな環境が望ましいのか。それを追求し続けてきたのが省我会の歴史です。子どもにとっての環境には、遊びや食事、睡眠、排泄などいろいろな生活環境がありますが、今日は「家庭での睡眠環境」について、地域の子育て家庭に向けて初めて提案することができました。

講師は永持伸子さん。子どもの睡眠のスペシャリストです。開かれた場所は海老原商店の2階です。これから出産を迎える方や、まだ数ヶ月のお子さんのいるご夫婦など、7家庭が参加されました。

子どもがぐっすり睡眠できるためには、こう考えるといいですよ、という話を詳しく聞くことできました。私が「そうか!」と勉強になったのは、朝起きる時刻について6時〜8時と幅をもたせて書かれているのは、地域と季節によって日が昇る時刻に幅があるからであって、8時に起きればいいというのではない、ということ。物の本にはそう書かれているそうです。朝日が昇ると起きていた人類の歴史を考えれば、7時にはカーテンを開けて明るくすることが大事です。

あるいは、眠りにつくための毎日のルーティンはあまり変えないほうがいいこと。帰宅して少し遊んで、食事にして、お風呂に入って、絵本を読んで、布団に入る。そうしたリズムが体に馴染んでいきます。寝るときの部屋は真っ暗にします。もし寝る前に絵本を読んでいるなら、寝る布団の中では読まないで、別にしたほうがいいこと。子どもにとって絵本を読むところと寝るところが一緒にならないほうがいいので。

そのほかにも、とても具体的な話でした。しかも医学的なエビデンスと実際の経験に基づいた話なので、とてもわかりやすい説明でした。また12月に開きたいと思います。

 

歯科健診は「楽しい?」

2019/11/21

「また来てね、ばいはい!」。歯科健診が終わった後、山本先生と歯科衛生士のお二人に、1歳児クラスのぐんぐんの子どもたちが、そんな顔をしていました。そんな顔、というのは、「また来てね、ばいはい!」と言っているような顔のことです。確かに、そう言ったわけではなくて、あたかもそう言ってもおかしくないような、晴々とした表情をしていたからです。

泣く子がいない。歯科健診などで白衣を着た先生が現れると、泣いてしまう子どもがいてもおかしくないのに、人見知り中の、ちっちの一部の子を除いて泣く子がいない歯科健診。6月の時も、あまり泣く子がいなかったのですが、今回は不安なそぶりを見せるどころか、幼児に至っては「次の人どうぞ」って、待っている友達に声をかけるほどの余裕を見せてくれる子もいました。

そんな話よりも、健診結果はどうだったのか? そうでした、その報告が先ですね。山本先生は「とてもいい結果でしたよ。虫歯も少ないし、歯も綺麗です。仕上げ磨きをしっかりしていただいていることがよくわかります。この調子でいってください。園長先生も自慢していい結果でしたよ」と嬉しい言葉をいただきました。

歯は乳歯も大切ですが、永久歯が丈夫で長持ちすることが最も大切です。そういう意味では、乳歯のうちから歯の健康を保つ基本的な習慣を身につけていくといいわけですね。その辺りのことを、山本先生も「勝負は永久歯です」とおっしゃっていました。そのためにも、小学生、中学生、高校生と成長していくときに、病気にならないように歯の健診を続けることが肝心なのかもしれません。

さて、また話は戻りますが、山本先生は「お子さんと仲良くなるようにしています」と言います。子どもがリラックスして自分から「あ〜ん」と口を開けている姿を見ると、確かに山本先生への信頼関係ができているなあと感心しました。そういう感想をお伝えすると、こんな話が返ってきました。

「それは、この園にはそんな雰囲気がちゃんとあるからですよ。そういうのが子ども達をそうさせているんじゃないですか。こんなに落ち着いた子どもたちはいませんよ」

山本先生の専門性と子どもたちの育ち。その両方がマッチした歯科健診だったようです。歯も健康、心も健康。今日はいい健診の日でした。

ファミリーバザールと区の施設案内地図を配布

2019/11/21

本日21日、千代田区が作った施設案内の地図と、「岩本町・東神田ファミリーバザール」のパンフレット、および東京都の小冊子「ハローキティのおしえて!防サイくん」を家庭数で配布しました。

区の地図は裏側が「安政三年千代田区復元図」になっています!

地図とバザールの案内とバザールのパンフレットは地域の石渡さんが「保育園は“地域を知ろう!”がテーマになっているんでしょ」わざわざ持ってきてくださいました。

 

鷲神社の酉の市へ

2019/11/21

20日夜、鷲神社に参拝しました。千代田せいがのご家族の幸せを祈念して参りました。

お楽しみ会の予行練習1回目

2019/11/20

12月7日(土)のお楽しみ会ですが、保育園にとっても初めての行事になるので、今日20日の1回目の予行練習は、舞台の広さやら、照明やら、どこからどう入場するかやら、いろんなことをやりながら、一通りやってみました。子どももその場所でやってみるのが初めてなので、どうなるかなあと思っていましたが、いつもやっている生活の中での遊びを見せてくれました。「もう一回やる〜」と楽しそうでした。やるたびに、「もっとやりたい!」と思えるように楽しんでいきたいと思っています。

 

ギャラクシティでの体験について

2019/11/19

 ◆対照比較ができない子どもの経験

何かを明らかにする科学的な方法で、最も分かりやすいのは、<条件群>と比較することです。「比べてみて、ほら、こっちの方が○○でしょ!」と言えれば、一目瞭然です。

保育でもそれができればいいのに。そう思うことがよくあります。

ある経験をしているから、きっといい成長を見せるだろう。その経験をしていないときと比べたら、きっと良くなっているに違いない。私たちは、それを信じて、その経験が生まれるように保育を計画しています。

「でも、本当に、その経験はいい経験なんでしょうか?その証拠(エビデンス)はありますか?」

実は、そう聞かれると、困ってしまうことが結構、多いのです。

「成長している姿は、本当にその経験が原因なのでしょうか。それとも、そんな経験がなくても成長しているかもしれないではないですか」

こんな風に突っ込まれたとき、私たちはどう説得力を持って説明できるのでしょうか?

今日のバス遠足では、そんな事を考えることが多い体験の連続でした。

 

◆ギャラクシティでの経験の意味は?

今日「西新井駅」からすぐのところにある足立区の施設「ギャラクシティ」へ、わいわい、らんらんの17名でバスで出かけました。

主に運動をしにいったのですが、その前に、「科学実験」を見せてもらう機会がありました。

 

ギャラクシティにはいくつもの体験ゾーンがあるのですが、その一つの「ものづくりガレージ」で、今日は「空気」に関する実験を見せてもらいました。実験は次の3つです。

(1)空気には重さがあるの?

(2)空気はどれくらい重いの?

(3)小さい丸い穴から思いっきり空気を押し出すと、空気はどんな形でどんなふうに飛び出すの?

もし、こんな質問を子どもから受けたら、どうやってそれを「説明」しますか?子どもが「なるほど」と見て納得できるような説明ができますか?

ただし(3)のような質問の仕方を、子どもがすることは、まずありません。今日は「空気砲」を見せてもらったのです。あえて、それを私が質問という形に噛み砕いて表現してみただけです。

◆空気にも重さがあることの証明実験

この証明はいたって簡単な方法でした。2つの風船がバランスよく釣り合っています。一方の風船から空気を抜くと、どうなるか?その結果が「空気にも重さがある」ことの証明になっています。この説明、皆さんは、どう思いますか?すんなりと、納得できますか?

今日は黄色の風船の空気を抜きました。すると、風船の天秤は緑の風船の方へ傾きました。つまり黄色の風船は、中に入っていた空気がなくなった分だけ軽くなって、緑の風船の方に傾きました。

これは自然科学的な真実です。空気は主に窒素と酸素でできていますが、目に見えない気体であっても、質量のある物質ですから、重さはあります。

◆日常の経験の積み重ねだけでは、科学的真理に至りにくい

でも、生活の経験の中で、空気に重さを感じることはありません。確かに「空気抵抗」は感じることはできます。でも手で持ったり、器に注いだり、手のひらに乗せたりできないので、いくら生活経験を積み重ねたところで、自然と空気には重さがある、これくらい重い、などと経験することはないはずです。

だから子どもには、2つの風船の天秤が傾いたから、「なるほど!空気には重さがある!」、と理解できたとは思えません。実際に、子どもたちの様子を見ていると、ふーん、という感じです。大人が面白いと思う科学実験の多くは、3〜5歳の子どもたちには「ピンとこない」ことが多いのです。

ですから、私の持論ですが、乳幼児にとって大切な科学な経験は、面白い!不思議だ!と思えたらしめたものです。非認知的な感動をたくさんしておくことが大切なのです。

◆CEDEPが研究調査に来園しました

テーマは違いますが、同じ文脈のことを証明したのが、ノーベル経済学を受賞したジェームズ・ヘックマンですが、その話はまた別の時に詳しく説明しましょう。追跡調査によって対照比較をやった研究者です。その結果、非認知的なスキルの重要性を証明したのです。当然ながら、千代田せいが保育園の保育もその知見を熟知した上で実践しています。

実は今週18日の月曜日、国の研究機関が千代田せいが保育園を視察調査にきました。この研究機関が日本にできた契機になったのもベックマンの研究結果をOECDが取り上げて、世界的に乳幼児教育に力を入れる機運が醸成されたからです。

ちなみに、これを社会情動的スキルと同じだという説明が多いのですが、本当は異なります。それも含めて別の機会に。

◆空気はどれくらい重いか?

さて、質問の(2)空気はどれくらい重いか? これを説明するために用いられたものは、30センチ四方の大きな吸盤でした。

机が持ち上がっていました。椅子もくっつきます。どうしてこんなことが起きるのでしょうか?その説明はこうです。物の周りには空気があります。その空気には重さがあって、それが押しているから吸盤は外れない、そんな説明です。

これも私たちの生活経験からはピンと来ませんよね。今日はそれ以上の説明があったわけではありませんが、1気圧は1センチ平方メートル(1㎝×1㎝の小さな四角形)に、10メートルもの高さの水の柱が乗っている重さ10キロです。30センチ四方の吸盤ですから、その30×30で90倍もの水の柱が押していることになります。つまり900キロです。吸盤は900キロの重さで引っ張らないと外れません(吸盤が壊れない限りですが)。これが自然科学が教える真理です。

生活実感から、すんなり導かれないからこそ、直感的に納得しにくいのが科学的な知見だとも言えるのですが、このような理解は、かなり理知的なものです。

一方で、幼児は五感を通じてしか心には響きません。まだ抽象的な理解はまだ難しいのです。家庭にもある吸盤で椅子を持ち上げると、面白そうに見つめていた子どもたちです。

◆空気砲の輪に感動する

以上の2つの科学実験が、無意味だったかというとそういうことはありません。風船がしぼんだら天秤が傾いたこと、吸盤が大きな机を持ち上げたこと、そうした光景が目に焼きつき、これからの生活の中で、ことあるごとに、その光景を思い出すことでしょう。そして、その経験をもとに、いろいろな推量がなされていくに違いありません。

それに引き換え、3番目の空気砲の実験は、どうして、という説明は抜きです。輪がどのように動いているか「よく見てみてね」ということだけでした。これでいいんです。この空気砲、かなり深〜い、現象なのです。小学生になってから、改めて「どうしてだろう」って本気で探求するような子になるかもしれませんね。

例えば、こんな質問に正確に答えるには、結構難しいのです。なぜ輪になるのかな、輪になっている柱の太さはどうやって決まるのだろう、なぜその方向に回るんだろうか、出発してからたどり着くまで、なぜあまり速度が落ちないんだろう。そんな流体力学の不思議がいっぱい詰まった現象です。説明する切り口が多様すぎるくらい、面白い現象だと感じます。

子どもたちには、この輪が流れていく映像がしっかり目に焼きつきました。私の願いはただ一つ。どうしてだろう?と、非認知的なスキルである探究心に繋がって欲しいということです。

その反対が「あ、知っている!」という認知的知識の習得で終わってしまうこと。そして願わくば、学校でも「答えのわからない問いの方が人生には多い」ということをぜひ教えてほしいものです。

◆大型のネットドームで遊ぶ

さて、ギャラクシティの最大のウリは、大型のドーム型のネット遊具です。11時から30分間、千代田せいがの団体専用で使わせてもらいました。

ドーム全体の形は、ちょうどリンゴや梨などのくぼみのある球体を、水平に半分にカットした下の方をイメージしてください。そんな半球体が3層のネットになっているような構造です。

1階と3階のネットは建物の入り口から出入りできるのですが、それに挟まれた2階のネットは1階か3階のネットからしか行けません。

説明を受けた後は、思い思いに遊び始めました。

どんどん中に入っていって、隅々まで歩き、はい回る子どもたち。

大きくたわむネットの感触を、全身でも感じています。子どもたちは最初は恐る恐るといった様子でしたが、すぐに慣れてくると、滑ったり、転げたりと、大胆な動きを楽しみ始めていました。

ただ、なかには「怖い」といって中に入らない子もいました。大きなネットの目は細かいので、絶対に落下することはないのですが、一番下まで透けて見えるので、高さが怖いとも感じたようです。また大きな構造体なので、その大きさに怖さを感じていたかもしれません。

◆らんらん、すいすいに向いている施設かも

今回は通常の水曜日のバス遠足に加えて、試しに体験してみたギャラクシティですが、今日選択したゾーンは年中、年長に向いていたかもしれません。年少さんには、新鮮味はあったかもれませんが、その面白さを味わうにはあと一年後かな、という印象を持ちました。木場公園などの自然公園での遊びに代わるものではなく、あくまでもプラスとして体験してみる、位置付けがいいかもしれません。そんな感触を、担任の先生たちも持ったようです。

最新の光学テクノロジーを使った影絵遊びのようなものや、プラネタリウムなどもあるサイエンス施設でした。お休みの日、親子でも楽しめるゾーンがあるので出かけてみてください。

 

ストレスに向かい合う秘訣

2019/11/18

先週は「赤ちゃんの社会性と言葉の発達」を学び、北の丸公園で「秋の紅葉」を楽しみ、和泉小学校校庭で「動物との触れ合い」を楽しんだりしました。赤ちゃんや自然や動物と触れ合っていると、心が癒されるものです。それなのに、社会を見渡すと、いたるところに「ストレス」が人の心を蝕んでいます。街角には「癒し」を売りにしたサービスがいっぱいあるので、ストレスを感じて生活している人が多いのは間違い無いでしょう。

先週のコーヒータイムでは「子育てにおけるストレスの発生源とその仕組み」について考えましたが、その結論は「子どもの夜泣きやイヤイヤは、生理的早産として生まれるヒトの脳が、長い時間をかけて徐々に大きくなる過程で起きる不可解な行動」だと認識することで、決して「お母さんやお父さんのせいでは無い」ことを忘れないようにすることでした。

そうは言ってもやっぱり「理想と現実」ではないですが、現実にストレスはやってきます。子どもは夜に泣きが続き、親の言うことを聞かずに、駄々をこねて、親を困らせているかもしれません。じゃあ、どうするか?

イヤイヤはなんでも「自分が」「自分で」という、自分が原因になって世の中に働きかけたいという主体性の発露です。それは全面的に気が許せる親への「甘え」がそれに拍車をかけている行動です。知らない他人にイヤイヤとわがままを押し通すことはありません。それだけに「母子」の信頼関係がなせるものです。そう考えてみて初めて見えてくる子どもの未熟性が「可愛らしい」と感じませんか?その子が言っている「言葉」を額面通りに受け取らず、その言葉の裏にある、その子が抱え込んでいる気持ちに、ちょっとでも共感できたら、少しだけ微笑ましく思えるかもしれませんよ。

中々寝ないと言う子どものために、ある音楽を聴くと、すぐに寝てくれる。そんな音楽が開発されようとしています。3つのサンプル音源があるから、どれが一番子どもが眠りにつきやすいか、お昼寝で調べてみてほしい。そんな依頼を今日、ソフトバンクのグループ会社のSB書籍から受けました。やってみることにしました。3つの音源から一つを選び、来年4月に書籍+CDで発売されます。さてどんな音源が届くのか楽しみです。

もうひとつ、麹町中学校の工藤校長の最新刊「非常識な教え」が面白いです。共感できる話が多いので、ぜひ多くの人に読んでもらいたい本でした。ストレスへの対応方法の話も出ているのですが、「ストレスを耐え忍ぶ「受け身」の発想ではなく、自ら働きかけてストレスを減らしていく能力の方が大事ではないか」という話が参考になります。積極的コーピングというそうです。このスキルは応用がきくので、このテーマはこれからも続けます。

 

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