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園長の日記

どうして送迎のときに子どもは姿が変わるのか?

2024/07/02

6月の保育参観では「みつかってしまって気持ちがくずれちゃって。普段の姿を観たかったのですが」というケースが何人がいらっしゃったことはお伝えしました。そこで「保育参加」をお勧めしていますが、似たようなことが、送迎の場面でもみられますよね。そこを少し考えてみましょう。

園の生活が長くなると、また成長していくと、親がそばにいてもいなくても子どもの姿はあまり変わらなくなっていきます。それは送迎のときに、朝、親子が分かれるとき、夕方また再開するときとの前後で、子どもの様子が変わるのと、近い関係にあります。そのことを「どうしてだろう?」とよく考えます。

家庭と園の環境はいろいろな意味で異なるわけですが、通園するということは、子どもにとっては親子の関係がもっとも強い安定した関係なのですが、それが園での子ども同士の安定した関係へと、行ったり来たりすることになります。子どもにとっては、親がそばにいて新しい場所へ歩み出て慣れていくことがもっとも慣れやすいアプローチになります。入園直後の「慣れ保育」を思い出してみてください。親がそばにれば、周りのものでどんどん遊び始めました。

子どもは親がいなくなっても、それがだんだんと、できるようになっていくわけですが、つまり親と離れていても、親の存在を忘れて(思い出すこともがあっても)情緒は安定して過ごしていくようになっていきます。親子関係から子ども関係へ、あるいは子ども関係から親子関係へ。家庭と園を二つの円で表すとすると、その二つの円がずれて重なり合っており、子どもだけがその両方を行ったり来たりしているのです。

さらにそれぞれの円は一定ではなくて、変動しています。親子関係は夫婦関係や子どものきょうだい関係、祖父母との関係などの影響をうけて、つねに揺れ動いており、その変化は園生活にも影響します。園生活もまた、慣れ保育がスムーズに終わったからといって、そのまま安定していくかというとそういうこともなく、子ども同士の関係が安定していくまでには、それなりのまた経過が必要になります。さらに子どもの同士の関係も揺れ動くので、それがまた家庭での姿に影響します。そこを丁寧に話し合っていくことが必要です。

そうやって子どもたちをみていると、子ども同士のつながり具合は、その子たち同士の出し合っている波長のようなものがチューニングしあっており、それが同調すると「おんなじ」を受けとめ合いながら、何かを一緒に楽しむという世界が開かれていくようです。そこにも子どもたちなりの「探索」や、もしかすると探究と呼んでもいいい人間関係づくりが営まれているのでしょう。

そういう機会がちゃんと起きやすいようにすることも、ちょっと大げさに聞こえるかかもしれませんが、子どもの権利条約でいう子どもの意見(view)を大切にすることだったり、子どもなりに、ほぼ無意識に、ふとそれに近寄ったり手にしたりすることを「選択すること」や「オープン保育」と名付けたりすることの大切な意味や要素なのでしょう。

親御さんにとっては、「うちの子どもはお友達と仲良く遊んでいるかな」ということが、ときどき気になるものですが、子どもたちは今申し上げたような姿がつながりながら、だんだん自分の居場所や気の合うお友達やできていくでしょう。担任から個別の面談でその詳しい様子はお伝えしていると思いますが、私も個別にそれぞれの子どもたちをよく見てみると、どの子もお友たちとよく遊んでいます。そして、送迎の時の、親御さんと子どもの別れと出会いの「前後の姿」の差について、個別に思い当たることを語り合っていきたいと思います。

保育参加「パパ先生・ママ先生」のすすめ

2024/07/01

園だより 7月号 巻頭言より

保育参観で「子どもに見つかってしまって、普段の様子が見られなかった」という方は、保育参加という方法もおすすめしています。これは、お父さん、お母さんをはじめ祖父母の方や、保護者の方ならどなたでも構いません。歳の離れたお兄さんやお姉さんでもいいです。せいがサポートスタッフ(SSS)の家族版と思っていただいても構いません。

子どもは保護者の方が側にいると安心して親と離れて遊び出すものです。これを「安心感の輪」と言って、私たち保育者が大切にしている考え方なのですが、社会では心理的安全性という言葉で、創造的活動を発揮させる条件としてよく言われるようになってきました。輪の一端に子どもにとっての「避難場所や安全基地」があって、そこに親や先生がいるわけです。子どもである場合もあります。何あったら、そこに駆け込めばいい。不安になったり困ったりしたら、そこで慰めてもらったり励ましてもらったりして、エネルギーを補給してもらう。そしてまた元気になってそこを離れて遊び出す。大人は手を離す、ハンドオフするだけでいいのです。見守るをハンドオフと訳すこともあります。

ポイントは安全基地にいる私たち大人が、ウロウロしないことです。遊んでいる子どもを邪魔しない、何もないなら近寄らないこと。過干渉も過保護にもならないコツがここにあります。子どもにとって見通しのきく場所にいて、子どもからすると「何かあればそこに行けばいい」という安心感を持って遊ぶことができることになります。そして困った、寂しい、手伝って・・などのサインがあればそれにちゃんと反応する。それは無視しない。そんな感じです。

保育参観で見つかって気持ちが崩れるのは、子どもにとっての安全基地が突然現れるからでしょう。安全基地は子どもにとってわかりやすい場所にあって、そこを動かないことが条件です。それが見つからないように隠れているわけですから、子どもにとっては不安になります。ルール違反のようなものでしょうか。

「今日はママが先生だからね。側にいるから安心して遊んでおいで」という感じで離れる方がいいのです。子どももそれがなんとなくわかるようで、べったりくっついたままということはなくて、自然と離れて遊び始めます。何度か繰り返すとより効果的です。同じ意味で日曜開放などを使って、半日でも親子で過ごしてみると、その間に子どもは慣れて遊び始めて親御さんから離れていくものです。親子ひろばでも同じようなことが起きますよね。ぜひ、気軽に担任にご相談ください。

「しずくレストラン」家族で晩御飯

2024/06/28

今日は「しずくレストラン」でした。今年1月12日に続き2回目です。メニューは前回と同じです。参加された方も前回と同じくらいで約30家庭でした。2回目なので調理サイドの準備も、利用された保護者家族の皆さんも慣れた感じで、うまくいきました。ありがとうございました。

このレストランは、保護者主体でできた家族コミュニティ「しずくの会」とのコラボで成立しているものです。忙しい保護者の皆さんに、家族で夕食でも食べて、懇親を深めてもらい、帰ればお風呂に入って寝るだけ、という過ごし方にちょっとだけでしょうけど「ホッとしてもらい」という趣旨です。本当にささやかな「しずく」の一滴のような時間ですが、楽しんでもらえたら嬉しいです。

また、先生たちにも夕食を食べてもらったので、クラス担任との懇親になったテーブルもありましたね。

理想は毎月1回ぐらいできるといいでしょうけれど、現在の園のポテンシャルではこれが限界です。ここからどうやっていくか、みなさんと知恵を出し合ってきましょう。

東京すくわくプログラムの求めるもの

2024/06/27

東京すくわくプログラムの話の続きです。この図を見てもわかるように、すくすく成長する部分と、わくわく探究する部分の二つのことがあるように感じます。説明会の動画を拝見しても、一人での成長のことと協同性のことがピアジェとヴィゴツキーの名前を出して説明されています。私たち保育関係者にはお馴染みの遠藤利彦先生による解説です。

さて、この二つのすくすくとわくわくですが、実践事例を見ると、この二つのことは一体なものとして捉えることが大事だということがよくわかるのですが、その一方で、実践事例を見る限り、わくわくする探究場面が前面に出ているように見えます。そこで、すくすくの方を前面に出す養護的な実践も提案してみたいものです。子どもの自分自身へのケアリングのような側面、とでも言えばいいでしょうか。

また秋田喜代美先生がわざわざアトリエを例に出して「ただコーナーを用意すればいい」というものではない、ということを強調されているのですが、その話は昔、コーナー保育が流行った時代に、ただ子どもをコーナーで遊ばせておけばいいというものではない、と批判されたことを思い出します。

この話は私の法人の藤森平司理事長が現在の新宿せいが子ども園で、コーナーという呼び方と併せて、子どもが遊び込んでいる姿を、スポーツ選手などが「ゾーンに入っている」と言われることを喩えにあげて、ゾーンと呼ぶようになったことと似ているなあ、と思い出しました。

遊び混んでいるとき、子どもは自分でちょっと先の目的を達成したくて、一生懸命、考えたり、試したり、工夫したり、しています。それはそれは熱心な取り組みようで、これと同じような感じで学校でも学びが続くといいのに、と思います。そのように考えると、東京すくわくプログラムは、子どもたちがゾーンに入ったかのように遊んでいる、その試行錯誤している問題解決過程のようなプロセス部分を、丁寧に読み取って、可視化して、子ども一人が何に気づき、何を思っているのかを、明らかにしてほしい、というプログラムだと理解していいかもしれません。

さらにそのプロセスには、子どもの主体性に重心はあるにしても、先生が子どもの姿を見て、さらにうまく発展できるように支え発展させていく援助として対話や示唆やモデル提示などなどがあってよく、同時に子ども同士の対話や協働がおきながら、探究が深まっていくような環境の再構成との関係を明らかにしていこう、そういう提案なんでしょう。

 

遊び・学び・探究の関係は?〜とうきょうすくわく〜

2024/06/26

前までは頭の中に円(サークル)が3つありました。大きな円は遊び性が充満した生活です。その中に学びという円があります。そして、3番目の、この円はどこに位置づくのだろう?と思っていた言葉があります。探究です。保育所保育指針には満1歳以上の5領域「環境」に探究心という言葉が出てきます。赤ちゃんの頃から探究はしているということなのでしょう。(ちなみに探究なのか探求なのか、あたりも昔、散々調べたことがあって、指針や要領は探究心が使われているので、迷った時は「探究」にしていますが、当然、少し意味が違うので使い分けています)

話を戻すと、東京都が今年度から「東京すくわくプログラム」というプロジェクトを立ち上げて、乳幼児の成長発達に資する活動に補助することになったのです。その条件というのが色々あって、私なりに突き詰めると「子どもが探究しているか」ということになりそうです。

遊びでもあり、学びでもありさらに「探究」ということに絞ってきた経緯は想像がつきます。

学びには広さや深さの違いあるという前提にたてば「主体的で対話的で深い学び」を目指そうということになります。学びには主体的であるか、協力したり対話したりしているか、そうやって深い学びである探究になっているか、ということでしょう。

そこで冒頭のベン図で考えると、遊びという大きな円の内側に探究という学びが含まれているということになるのでしょうか。でも私はそういう静的な単純なものではなくて、もっと入り組んだ関係、本人からすると生成変化のプロセス過程で生じる、とりあえずそう見えてくる一区切りの位置付け直し、のように思えます。ここからここまでの活動が探究で、それ以外の時間や活動はそうではない、みたいなものではないでしょうから。

ダンゴムシのお世話も1か月 7自然との関わり・生命尊重

2024/06/25

今日の幼クラスのブログから。幸せなダンゴムシたちのお話です。子どもたちの「お世話の中にみられる探究の姿」です。

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5/24にご紹介したダンゴムシのおうちづくり。そこからお世話が始まり、6/25の1ヶ月経った今日も、ダンゴムシのお世話が続いているYくん・Sくんです!

保育園に登園する道中でダンゴムシを捕まえてきたり、赤ちゃんが出来たりして、数が更に増えました。

そのため、少し前に虫かご(おうち)を少し大きめのものにかえ、毎日お世話をしています。

 

今日は死んでしまっていたダンゴムシを2匹発見。そのうちの1匹は体が2つに割れてしまっていました。

「なんで2つにわかれちゃったんだろう?」「だれかがお腹がすいて食べちゃったのかな?」「餌はあるけど..少なかったのかな?」と真剣に考える2人。

(何か絵本にヒントがかいてあると思ったのかな?)初めておうちをつくったときの絵本をひろげはじめました。

 

2人で仮説をたてながら話し合いがくりひろげられていました。その様子をそ〜っと聞きながら見守っていました。

・・・「先生!餌が足りないかもしれないから外に取りに行きたい!」と2人。

そこで、玄関付近に出て石や枯葉を拾いに行きました。FちゃんRちゃん、Aちゃん、Yくん、Aくんも一緒に♪

そこでFちゃんが「緑の葉っぱは食べないから枯葉ね〜」とアドバイスしてくれていました。

(亡くなってしまったダンゴムシは埋めました。埋める場所も、”アリが多いから食べられちゃうからここはだめ” 等とみんなで場所を考えていました。)

餌をgetすると、「ダンゴムシさん待ってるからはやく戻ろう〜急ごう!また誰か食べられちゃうと大変!」とYくん。急いでみんなで3階へ向かいました。

Sちゃん・Yくんに育てられたダンゴムシはとってもしあわせですね🥲✨

そしてなんと、、赤ちゃんも誕生していました✨

(お腹にぷつっとある白いものです)

以前も何匹か赤ちゃんダンゴムシが誕生しているのですが、久しぶりに見せてもらうと、その子たちも大きく成長していました!

「赤ちゃんたち、大きくなったね〜」と微笑む2人。

写真の下にある葉っぱも全部綺麗に食べられていて、「葉っぱ全部食べてる!」と嬉しそうにしていました。

まだまだ生き物を捕まえてきても、そのままになってしまっていることも多い現実がある中、生き物の「命」とも対等に 真剣に向き合い、亡くなってしまった悲しさを感じたり、誕生したり成長した喜びを感じたり、素晴らしい姿だな〜と感心しました。

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〈幼児期の終わりまでに、育って欲しい10の姿〉

7 自然との関わり・生命尊重

カブトムシをA保育園へお届けに

2024/06/19

保育園で生まれたカブトムシをアイグラン保育園東神田にプレゼント。気温が上がらないうちに、子どもたちと届けに行きました。

とても喜んでもらえたようです。届けに行った、喜んでもらえた。そんな満足感があったようで、帰り道は足取りも軽かったようです。

これまで公園で出会うことはありましたが、保育園の中には入れてもらったのは初めて。こんど一緒に遊ぼうと約束してました。和泉小学校で一緒になる子もいて、就学に向けて仲良くなれるといいですね。

三段ギアがありそうなメダカの動き

2024/06/18

メダカは3段階のギアをもっていそう。低速で漂う感じのユラユラ。その軌道は曲線やモジャモジャの毛糸のよう。ときどき高速でスーイ、スーイ。こちらは直線。ツーッと糸をひく感じ。さらに、なにか危険を感じたようなときの目にも止まらぬ速さ。一瞬で「どこへいった?」と、パッと消えてしまう。

メダカの赤ちゃんをみていたら、だんだん自分がメダカになったようなら気がしてきました。水面と底と水草の中とを、そこにそうやっていることが、まだ赤ちゃんだから未熟であるとか、大きくなったらもっと熟達するだろうとか、そういうことではなくて、すでにそうなっているようになっているという感じ。

(写真が2匹に見えるのは水面に写っているから)

毎年、この時期にメダカの稚魚と卵を送ってくださる方がいらして、子どもたちのメダカの観察が始まっているのです。

今年は流水はやめて、ただの水草だけにしてあげています。どうも流水があると、それに逆らって泳ぐので疲れてエネルギーが足りなくなって息絶えてしまうらしいのです。

そう考えると川の流れないたまり場のようなところでメダカは生まれて育っていくのですね。

それにしても、こんな小さなからだにも実に不思議ないのちが、絶妙な環境の平衡のゆらぎの中で生きているのですね。

 

バットの音の違いを面白がる子どもたち

2024/06/17

今日もいろんな遊びの姿が報告されています。写真付きの説明でだいたいのことは想像がつきます。乳児から幼児までそれをみていると、子どもの躍動的な姿を生み出している仕組みのようなものを、どう汲み取って表現したらいいんだろうと考えます。とくに活動のうねりのような中で見せてくれる、ちょっとした道草のような遊びの楽しみ方、遊びの中に垣間見えるひねりのような面白さを、ちょっと拾ってみましょう。

 

きっかけは「探究」という言葉で指し示すことができることを探しています。すると遊びそのもののなかに、あの課題解決プロセスに似たところは探究と呼んでもよさそうだと思えてきます。たとえば幼児クラスの日誌には「運動ゾーンではらんすいを中心に「音」に注目が集まり、バットを色々な物で試してみる姿がありました。」と、次のように写真とコメントが書かれています。

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いつもはサランラップの芯をバットにしているのですが、ボールが真ん中にあたると、「いい音がする!」とRくん。

色々な物をバットに見立て、どんな音がするのかの探求が始まりました..!お部屋の中を探し回り、バットになりそうなものを見つけ始めました。

「ペットボトルは音が当たると大きい音がする!」

「カーンって音がする!」

「あれ?音がならない?!」

「これはどうかな?」

「みんな静かに~耳を澄ませて~」とLちゃん。色々な音の違いを楽しんでいました。“音“との出会いですね。

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野球ごっこは、このところ、かなり長く期間続いている遊びなのですが、日によって変化してきています。面白いことが、変わっていくのです。それはきっと好奇心というものの、特性でしょうか。それまでとは違うもの、新しいものを面白いと思い、それを取り込んで変化していくのでしょうが、今日はバットに玉が当たるときの「音」の違いを面白いと感じて、それを何人もが共有しているというのですから、ここには同じものを共にして楽しんでいるという、仲間意識も感じます。また同じ面白さを共有しているという暗黙の静かな探究心の交流のような空気も感じます。野球の遊びで、そんなところに興味が向かうものなんだ、面白いもんだなあと思います。

民生児童委員の方を普段の日に招待、バターづくりも見学

2024/06/14

今日は盛りだくさんの日でした。

まずは、らんすい(45歳)のバター作り。ビンに脂肪分の多い牛乳クリームを瓶に入れてよく振るとバターになる、という体験。栄養士の「どうかな、バターになってきたかな? だんだん音がしなくなるよ」という説明に、Rさんは瓶を耳に当てて、じっと音を聞いていました。液体の音がしなくなる、という意味なのですが、でもその「耳をすましてみる」という姿に探究心が表れていてとっても素敵。

固まったバターをスプーンにとって匂いを嗅いでみると、ほんのりいい香りがします。無塩バターができました。今日は民生児童委員の方々も5人、保育園にご招待し、半日ゆっくりと参観していただきました。今年度はこのような日を年間8日設けました。

今日はその初日です。暑い中10時にお客さんが到着すると、すいすいさんには最初に冷たい緑茶を「どうぞ」と出してもらう、おもてなしも手伝ってもらいました。そしてバター作りを見ていただき「こうやってバターができるなんて知りませんでした。いやあ、面白いですね」と楽しんでくださいました。なんだかクッキング教室のような賑わいで愉快な時間になりました。

お昼の給食も召し上がっていただき、お土産は柏屋さんのお煎餅にしました。お煎餅屋さんと雑談すると始まるご主人の東京大空襲の話は、ちゃんと聞き取って証言ビデオに残すことにしました。

わいわい(3歳)は部屋でジュース屋さん、野球ごっこ、家族ごっこなどが繰り広げられていました。反射して綺麗な光を見つけた子や、カタツムリについて図鑑で調べている女の子もいます。カブトムシやダンゴムシが大好きな子たちの観察やお世話も続いています。

2歳児クラスでも、お兄さんたちからプレゼントされたカブトムシを、先生が手や腕に乗せて見せてあげています。

このような、子どもが興味を持っている対象について「もっとよく観察して何かに気づく」探究のための展開も考えてみたくなります。拡大してよくみて絵にしてみたり、実際にそういう場所へ行ってみたり。午後はカブトムシとスズムシを和泉小学校へ届けてきました。

カブトムシは4代目、鈴虫は2代目ですが、それぞれを大事に育てた初代の子たちが、今は小学生になっています。歴代の子どもたちの名前も書いて、M校長先生に渡してきました。帰り道で4年生になったNUくんに会ったので「カブトムシ持ってきてあげたよ。Uくんたちの育てたカブトムシの子孫だよ」というと、「まじ!すっげ。校長先生に聞いてみる!」と走って行きました。カブトムシの魅力は何年生ぐらいまで、続くのだろう? 渡してきて良かった。

そして5時からある本を読み返しながら、夜の勉強会の資料作り。保育園を6時に出て阿佐ヶ谷へ向かったのでした。

 

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