本日13日、千代田区役所から「令和2年度 入園継続書類」が届きましたので配布します。封筒の中には、送付文、家庭状況調査書、継続入園に関する確認書、就労証明書2通、タイムスケジュール表1通、の合計6枚が入っています。きょうだいがいても1部です。
提出期限:令和2年1月31日(金)
提出先:千代田せいが保育園 または 千代田区子ども支援課
区の回収日:2月7日(金)
内容については、直接 子ども支援課入園審査係へどうぞ 03-5211-4119
2019/12/13
本日13日、千代田区役所から「令和2年度 入園継続書類」が届きましたので配布します。封筒の中には、送付文、家庭状況調査書、継続入園に関する確認書、就労証明書2通、タイムスケジュール表1通、の合計6枚が入っています。きょうだいがいても1部です。
提出期限:令和2年1月31日(金)
提出先:千代田せいが保育園 または 千代田区子ども支援課
区の回収日:2月7日(金)
内容については、直接 子ども支援課入園審査係へどうぞ 03-5211-4119
2019/12/12
「24時間、1日の生活の充実が豊かな育ちに」。わいらんのブログに、こんなフレーズが見られます。この意味を解説したくなります。1日が充実するって、どういうことでしょう。
千代田せいが保育園に限らず、子ども主体の保育を目指す日本の保育指針や幼稚園教育要領、あるいは海外のモデル的な良質な保育は全て、子どもの遊びを重要視します。ですから、生活の中の中心は「遊び」です。
一方、子どもを取り巻く環境(夜の光、睡眠、栄養、メディア、少子核家族社会、生活リズムなど)が急激に変化してしまったことで、子どもの発達が脅かされています。
生活を充実させるためには、ホモ・サピエンスが獲得した生得的なものが自然に発現される環境を取り戻す必要があります。その環境とは、人類がずっとそうであったように、子ども同士の関わりが豊かな人的環境であり、昼夜の自然のリズムとシンクロした身体を取り戻すことにあります。
具体的には、0歳〜2歳が一緒の保育室、乳児と幼児が触れ合う生活、適切な睡眠と運動、覚醒のリズムある生活、感覚と神経基盤が統合されるような運動、栄養バランスの良い食事、心理的に安心できる親子関係とそれを支えるアロペアレントなサポート。
だからこそ、ちっちとぐんぐんが同じ部屋で生活し、幼児が過ごしたい部屋で過ごせるオープン保育を進め、お昼寝と夜の睡眠バランスを整え、夜ぐっすり眠る習慣を作り、早寝早起き朝ごはんを大切にし、ネットを張り巡らせた運動スペースやトランポリン、スイング遊具で感覚統合を図り、皮膚接触が起きる相撲やじゃれ遊びや鬼ごっこを普及させ、お囃子など打楽器を多く取り入れたリズム音楽を大切にしているのです。
今後さらに、砂場遊びで皮膚感覚の刺激を増やし、縄跳びなどの跳躍運動を取り入れ、あやとりやお手玉、独楽回しやけん玉などで手指の巧緻性と身体の身のこなしを連動させます。
このような遊びと生活づくりが、豊かな育ちへと子どもを導くと信じています。大人の共感的、応答的な対応の重要性も必要です。その意味はまた述べたいと思います。
2019/12/12
今年の行事を展示パネルにまとめました。
親子遠足
屋形船納涼会
親子運動遊びの会
お楽しみ会
廊下や階段に展示する予定です
2019/12/10
保育園の行事として10月26日に実施した「親子運動遊びの会」に続き、地域で鬼ごっこを広げるために、「地域鬼ごっこ大会」を開催します。1月25日(土)の午前中です。親子で気軽に遊びに来てください。鬼ごっこ協会の羽崎さんが来てくださいます。色々な鬼ごっこのバリエーションを遊びながら学べます。保育園が主催する行事ですが、参加は自由です。土曜日や日曜日にも子ども同士で遊びたい、というニーズがあることも開催する理由の一つです。
また、こうした活動をお父さんやお母さんが主催して開いてくださるような、最初の会合にしたいと考えています。幼児の時から鬼ごっこに親しんだ子どもたちは、小学校以降の体育や生涯スポーツの基礎がしっかり身につきます。人生にとってかけがえのない、いわば「身体的エンジン」を獲得することになります。何にでも応用が効く素晴らしい遊びであることなど、鬼ごっこの意義もぜひ理解していただき、息の長い活動に育ててくださると嬉しいです。
2019/12/10
ホームページをご覧いただいている方が多いことから、更新されたカテゴリーには「NEW」が2日間のみ点灯します。点灯するのは、「園からのニュース」「感染症情報」「お知らせ」「園だより」です。クラスブログは点灯しません。
2019/12/09
都内23区が5つのブロックに分かれていて、千代田区は中央区と新宿区と共に「第一ブロック」に入っているそうです。何の話かというと、公立保育園の園長会です。それぞれのブロック会で年3回、会合を開いているそうで、その内1回を施設見学に当てているそうですが、今年度は2月にあり、その見学先がうちになりました。全部で約30数人の公立の園長先生たちが見学に来ます。一度に園内に入らないので、神田川を挟んだ向かいの和泉橋出張所に集まり、私のプレゼンの後で、2時半過ぎから4時頃まで、小グループに分かれて見学して頂くことになりました。今日はその打ち合わせに、区から荒井課長と第一ブロックの代表の先生がいらっしゃっいました。
2019/12/08
さる9月5日にご逝去された小西行郎先生を偲ぶ会が今日開かれました。小西先生が保育に与えた影響は大きく、赤ちゃんが本来持っている自発性や環境との関係は、いまだに保育や子育てに関わる人がきちんと学ぶ必要がある知見に富んでいると思います。今年の学術集会に参加できなかった小西先生は、メッセージを寄せられました。その音声が今日もご紹介されたのですが、現在の子どもをめぐる環境の悪化について、強い危惧を抱かれておられました。小西先生の意思を受け継いでいこうと、気持ちを新たにいたしました。以下にその最後のメッセージをご紹介します。
<・・・このグループを集めたのが私の一つの役割だったような気がしますけれども、これがおそらく他に類を見ない学会を作ったのではないかと思っています。ですので、日本赤ちゃん学会は、この得意面を強調しつつ伸ばしていっていただきたいという風に考えます。そしてもう一つ重要なものとして考えているのが、基本的は保育、育児、教育の現場とこの研究をどう結ぶかということを理事長になってから考えてきました。おかげさまで様々なところで、赤ちゃん学講座を開かせていただいて、少しずつ赤ちゃん学が広がってきたと思っています。ただ、学会を創設した2001年からこの19年間の間に、できたことはほんのちっぽけなことしかないのかなと思うと同時に、今、あの時期に比べて、子どもたちをめぐる社会の悪化、変化が非常に気になっています。発達しょうがいが増えた理由、あるいはインターネットを含めてですけれども、大人が子どもを悪くしている状況が見られます。私は医者ですから、当然、発達しょうがいとか興味があってやってきましたけれども、この場面は、赤ちゃん学会にとっても生命線ではないのかな、という風に思います。もちろん研究者がしたい研究を自由にするのが学問であるだろうとは思っていますけれども、この時代、子どものこの環境、睡眠もそうですし、栄養もそうですし、インターネットもそうでし、もっと大きな問題は大人が子どもを管理している、という世の中、これは正しいのかどうかというきちんとした論争を外に向かってやっていく時期が来たのかなと、強く強く感じるようになりました。私は赤ちゃん学、あるいは学会の仕事を専らにしてやってきた、とても変わった生活をしてきた人間じゃないかなと思います。それだけ思いの強い学会運営をしてきたのではないかという風に、反省はしています。ですが、この学会をやってよかったのは、研究者だけじゃなくて、保育士さんなり、保健婦さんなり、あるいは赤ちゃん学をつなぐ人たちが、何人もできたことだと思います。すでに赤ちゃん学は社会に認知され、その重要さは、むしろ現場の方に認められているんだと思います。どうか既存の研究者の方に、そこの重要さをお分かりいただければありがたいなという風には思います。・・・>
2019/12/07
◆いろいろな発達の過程を示した姿
保護者の方がいる中で、子どもの言葉や表現を見てもらう。そんな趣旨の「おたのしみ会」でしたが、いかがでしたでしょうか。ぜひ、感想をお寄せ下さい。
子どもの姿といっても、普段とはいろいろなことが違います。まず、目の前に保護者がいます。
「(なぜいるのかかがわからないという発達の段階も含めて)傍らに親がいるという認知」
「見られている(と意識できるのも発達)という自意識」
「なぜ近くに来ないの?という違和感」・・
子ども達は、いろんな思いが沸き起こってくる自分自身との葛藤を感じながら、「これをやろう」というつもりでいる心理。それが外から見たら「緊張している」「浮き足立っている」「あがっている」といった姿に見えるというわけですね。でも、私からしたら、みんな「なんて素晴らしい子たちなんだろう」と思いました。全員を抱きしめて、褒めてあげたいと思いました。
環境が変わると、ちっち組かららんらん組まで、その姿が違うという当たり前の姿が見られましたね。それが自然なことなのです。まず、その確認が大事ですよね。普段通りにできることを望んではいけないのです。それを子どもに強いてはいけません。人的環境が変わったら、心は変わるのですから。普段の園生活の様子は幕間で見ていただいた写真や動画に写っていた姿です。それも含めた全体をできるだけお伝えしたかったからです。(それでも、一部分ではあるのですが)
◆子どもにとって「初めての経験」
このことを、もう少し踏み込んで説明します。
園生活と家庭生活とでは、環境が違うから子どもの姿も違うということは、これまでも、すでに、いろいろなところで気づかれていると思います。保育園の食事は進むのに、おうちではあまり食べない、とか、園ではお手伝いが好きなのに家では甘えてばかりでしない、とか。それが自然なことでしたね。相手が違うのですから。子どもは人によって対応が変わります。どっちが本当かを求めても仕方がありません。どっちも本当なのでした。
さらに、今日のおたのしみ会という状況は、園生活の中でありながらお家の人がいて、しかも傍にいるのに「見ているだけ」という、子どもにとってこれまで経験していない「不自然な状態」とも言えます。子どもにとって普段とは違うのです。子どもにとってほぼ「初めての経験」だったのです。初めてであることだけで、どうしたらいいのか見通しが立たず、不安になることもあります。そういう傾向の強い子もいます。
◆子どもは親の顔を見ると「安心したい!」という気持ちが引き出される
そうした心の葛藤に対して、どのように心が処理していたか。それが「表現」されていました。いろんな姿で我慢していた姿がありましたね。それもまた対人関係力の発達に必要なプロセスでした。「ママ(パパ)がいる!(ほら、見て)ママがいる!」という気づきは、黙ってしまう子もいれば、声に出して、あるいは指をさしている子もいました。傍に寄っていく子もいました。あるいは笑顔で手を振っている子もいました。これらに共通するものは、「ほら、私(僕)はここにいるよ、受け止めて」です。
受け止め方はいろいろです。笑顔でうなづく、見に来たんだよと説明してあげる、一度だけタッチしてあげる、膝に座わらせて安心させる、キューっと抱きしめてあげる・・・こうして子どもは安心を求めていました。子どもは「安心基地」に一旦立ち寄り、心のエネルギーを補給してから、また劇遊びなどに戻っていきます。これを心理学では「安全感の輪」と言います。
◆「地域を知ろう」シリーズとしてのお楽しみ会
8時半に園に来ていただき、舞台で準備をしている時、初めて知ったのが「締太鼓」の締め方です。鋼鉄製のボルトで、ギイギイと締めていました。「しん」と「流れ」の二つの締太鼓で、微妙に音程の差があるように調整していました。ギターやピアノのように絶対音階をはかる道具があるわけではなく、耳で高さを合わせます。
会の最後にお囃子の体験をしていただきましたが、あのハリのある音は、かなりきつく張ってある太鼓の皮だから奏でられる音なのです。
今回は神田囃子を楽しんでいただきましたが、この地域にはホンモノの伝統文化が、このように根付いていることがよくわかりましたね。長い歴史のある日本が生んだ正統な文化だけに、私たち日本人がそれをよく知っておくことが「グローバル社会」の条件です。日本人が日本のことをよく知っておくこと。そのコンテンツがないといくら英語が喋れても話すことができませんからね。
さて、最後に一言、演芸ホール支配人を演じた園長よりお礼申し上げます。
◆演芸ホール支配人によるオフィシャルコメント(感謝とお詫び)
本日は千代田せいが演芸ホールの柿落とし公演にご来場いただき、誠にありがとうございました。お陰様で一部、二部ともに盛会のうちに初演を挙行できましたこと、改めてお礼と感謝申し上げます。
まず二部の開始が予定よりも大幅に遅くなり、長らく1階ホワイエにてお待ちいただくことになったことを、ホール支配人としてお詫び申し上げます。椅子や敷物を用意できず、ご不便をおかけしました。
二つ目は、今日は寒くて、雨が降っている中での実施でしたので、子どもの移動では室内階段を使うべきだったと反省しています。避難階段とベランダを用いたのは、手狭な客席の中、できるだけ多くの保護者の皆さんに座ってみていただくことを優先したことがあります。また保護者の方の傍らを通ることで情緒が不安定になってしまう子どもたちが多くいることが予想されることも、そう判断した理由の一つです。さらに避難階段は毎月の避難訓練で使って慣れているということも理由の一つでした。
今回の演芸ホール特設会場は、元のにこにこ組の部屋、ダイニングに戻りました。年に1回の公演ですが、また来年をおたのしみに。ありがとうございました。
2019/12/06
私はよく学生さんたちに「実はね、保育の質は先生の背の高さ以上には、高くならないんだよ」という例え話をします。私の身長はちょうど170センチですが、それ以上に保育の質は高くなりません。
どういうことかというと、子どもの発達には持って生まれた力と、生まれた後で経験する内容との掛け算で成り立ちます。あくまでも、例え話です。持って生まれた力が10センチで、経験する内容が10センチなら、その子の発達は10かける10で100平方センチです。保育の質は持って生まれた力をどれくらい引き出せるか、「かける10」なのか「かける20なのか」あるいは「かける100」なのかで変わります。持って生まれた力が同じなのに、面積は100だったり200だったり、1000だったりするのです。
その掛け算の数値は、大人の力です。どんな経験を用意できるか、子どもがどんな経験ができるかで変わってくる変数なのです。ところが、その変数を大きくする力は、保育者の力にかかっていて、それを環境構成力と保育学では言います。どんな環境を用意したら子どもがよりよい経験ができるか、そのセンスが問われるのです。そのセンスは、大人も持って生まれた力とそれまでの経験の掛け算で成り立つので、大人もまた「どんな経験をしてきたか」が大事になります。話を少し飛躍させると、大人がどれだけ「ホンモノ」に感動し、魅了された世界を持っているかということです。なぜなら、大人もその魅力的な世界を、子どもたちに伝えたいと思うからです。そう思うかどうかが、決定的なのです。私はそれを大人の身長に例えているのです。
明日はお楽しみ会ですが、大人が魅了されたものを、子どもたちと、そしてみなさんと分かち合いたいと思います。昨日5日(木)の夕方、神田柳囃子の会の練習場にお邪魔して、最後の打ち合わせと同時に、締太鼓を叩かせてもらいました。
奥が深いです。やってみて初めて、会の皆さんの演奏の素晴らしさに気づくことができます。毎週毎週、練習しているからこその音色です。その素晴らしさをぜひ明日味わっていただきたいと思っています。実際に演奏させてもらって、私の身長は170センチ1ミリに伸びました。
保育の質は、保育者のSense of Wonderだよね、といういつもの話です。明日のお楽しみ会が、驚きに満ちたものでありますように。
2019/12/05
◆「にこにこさん、通っていいよ」。
サンタからの手紙が届いているか、確かめに来た3歳のNKくんと4歳のYSさんの2人。NKくんが「今日はよん?いつつ?」とか「ごにちと書いて5日っていうんだよ」とか話していると、ちょうど散歩に出かける2歳クラスのにこにこ組の子たちが降りてきました。そこで私が「あ、にこにこさんが降りてくるから、ここにいると靴がとれないかな」と、にこにこの先生にいうと「大丈夫です。靴は、こっちなので」と先生からの返事。2人はその会話を、聞いていたのでしょう。二人らしいなあと、笑ってしまったのですが、座っている場所は変えずに、足を上げて、冒頭のようにいったのです。
◆英語でおかえり!は何ていうの?
散歩から帰って来たらんらんのUKくんが、坪井先生に聞いています。「英語で、ただいまあって、何ていうの」「アイム・ホーム、じゃない」「じゃあ、おかえり!は?」。いい会話だなあ、としばらくその会話を聞いていました。すると、らんらんのNJくんが、「アイム・ハロー」というから、私が「それじゃあ、僕は今日は、になっちゃうんじゃない」。それを聞いていた、TRくんも、英語らしい発音で何かそれらしい口調を真似していました。英語を喋りながら遊んだり、食事をしたりできる方を探してみようかな?
◆「言葉かけ」という言葉への違和感
11月8日にある大学へ講義へ行きました。その感想と質問が届き、先日返事を返したのですが、その中に数人の学生さんから「子どもの言葉かけで気につけていることはありますか?」とか「どのようなこえかけと接し方をしていけばいいのか?不用意な声かけをして、よくない影響を与えてしまうのではないか?」、あるいは「子どもの気持ちに共感するには、どのような声かけをするべきでしょうか?」といった具合に、何度も「言葉かけ」とか「声かけ」という言葉が使われていました。私からは「言葉かけ」という言葉に違和感を感じてほしい、という返事を次のように書きました。
<(略)・・・まず「言葉かけ」という言葉に、違和感を持って欲しいですね。Eさんは普段の生活で家族や友達に「言葉かけ」なんてしますか? 園生活も生活です。この言葉の由来は、学校での指導のための教育心理学と対応して生まれた教育技術の言葉です。子どもたちと自然な会話をすればいいだけです。
ですから、子どもに教育的な語りかけをしないといけないという先入観をまず捨ててください。その根拠を知りたい方は、『心理学と教育実践の間で』(東京大学出版会)などを読んでみてください。
語りかけることよりも大事なことは、子どもが何をしたがっているのか知ろうとすることです。それがあって、先生が何かに気づいて、「あ、そうか!」があったら、その上であなたの中に何か自然に湧き出てくるものです。それが援助内容なのです。そのつながりが大切なんです。それが「保育のプロセス」になることを押さえておきましょう。・・>
◆なにも言わないという働きかけ
今日、私の中に起きた、「あ、そうか!」は、12時前にお散歩から帰ってきた「わいわい」「らんらん」さんの姿を見たときに閃きました。閃いたことを、先生に伝えました。「この子たちに先生たちは何も言わないで、自分で何をすればいいか考えられるようにしよう」。先生たちが玄関でつい色々言っていた言葉を全く封印して、どうなる見てみました。すると、面白いことに(と言って子どもたちに失礼ですが)、自分で外履を脱いで上履きを靴箱から出して入れ替え、上履きを履いて、水筒を下ろして帽子とコートをかけて全員3階まで登ることができました。
(こう書くと、なんだか当たり前すぎることですね。そんなことも自分でまだできなかったのか?と思われるかもしれませんが。でもそれすら、なかなかできなかったのが現実なのです)
途中で、帽子の紐が絡まって「やって」と助けを求める子が一人いましたが、それ以外全員が自分で考えながら3階まで登って行きました。この子達は、全員できるんです。自分で考えて次はどうするのかも知っているし、大人の「声かけ」はいらないのです。その代わり、先生たちと打ち合わせて意識して声にしたのは、「だいぶ大きくなった椎茸を収穫しなきゃ」とか「お昼ご飯はすき焼き風煮物だって、お腹減ったなあ」とか、「調理の先生が椎茸を天ぷらにしてくれるそうだよ」とか、そんな会話を子どもたちに聞こえるように話しました。
椎茸の収穫の話が聞こえた子は「僕もきのこやる」と言ってきました。自分なりに次の行動に移し始める子ども達です。その中で、困ったことやあれば「やって」「できない、手伝って」などを言えるようになっていけばいいのです。大人は黙って手を出してやってあげてしまいますが、自分でできるようになっていくように助ける。これが大切なことだと思います。
椎茸の天ぷらは、大好評でした。