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園長の日記

表現④子どもの絵をどう「みる」か

2020/02/23

今週末の「成長展」では、子どもの育ち(成長、発達)を見ていただきますが、それを見るためには、「どのように見たら見えるのか」、二つの大切な視点をお話ししておきたいと思います。一つは発達です。もう一つは内面世界です。この二つはお互いに補い合う関係です。内面世界とは子どもの心の動きのことです。それも発達ですから、大きく捉えれば「育ち」を見てほしいということなのですが、二つに分けておいて、あとで一緒にしてみましょう。子どもの育ちは、目を開ければ「見える」というものではありません。目に見えるものを「見えるようにする」ことが必要なのです。では5領域の中から「表現」のところを説明しておきましょう。

◆自由画

成長展では、3種類の絵が展示されます。この1年間、1歳児クラス(ぐんぐん組)から幼児まで一人ひとりが「自由画」「人物画」「ぬりえ」を楽しんできました。その中で、まず「自由画」について取り上げます。子どもの「発達」と「内面世界」から自由画をどのように見てほしいと考えているか、ということです。

◆子どもの絵の意味について

大人が「私は絵を描いています」というと「趣味か仕事」と思われるでしょうが、子どもにとっての絵は、遊びであり、やりたいからやる何かです。子どもは絵をかくことが楽しいからかくのです。またほとんどの場合、見せるために描いていません。1歳児クラスのぐんぐんの子どもたちが、クレヨンやスタンプ、画用紙が目に入ると「やる〜」とやりたがります。楽しいからです。2歳児クラスのにこにこの子どもたちもそうです。お絵かきは大好きです。3歳児クラスのわいわい、4歳児クラスのらんらんの子どもたちも、いつも置いてあるイーゼルにいつも何かが描かれています。描いた絵は楽しかったこと、これから体験するであろうこと、色々な表象が絵になっています。いつ何を描いてもいいのですが、いつ行っても何かが描かれています。これが自由画です。なんでもいいのです。その時々に描きたくなってかく。他の遊びや運動と同じように、やりたいからやるのです。

◆発達を表す絵

では、成長展でみていただきたいのは、子どもの絵はまず「発達を表す」面があるということです。「発達を表す」というのは、どういうことでしょうか。子どもが、何か(クレヨンとかサインペンとか)を握られるようになって、手を動かして紙にその軌跡を残すことができるようになったら、その軌跡には発達(年齢)に応じた特徴が現れるという意味です。心の成長と身体の成長が合わさった過程と結果が、その子の絵です。成長展では、その発達に応じた特徴を、まず感じとっていただきたいのです。

◆具体的な何かを描いたわけではない絵

子どもの絵は、その時に何かをかこうと考えて描いたとは限りません。思い描いていることがあって描いたとも限りません。腕を動かしたら線が出た、色が見えた「あれ、なんだろう、面白い! もっとやってみよう」ということから、何度も何度もクレヨンがぐるぐる、ぐるぐる、ジグザグ、ジグザクと動いて、そうやって動かすことが楽しいのかもしれません。

何度も同じところをぐるぐると描いていたら、色は混ざって黒い色に近くなっていきます。見た目はきれいではなくなります。でも、それだけ、何度も何度も繰り返した時間を想像してみてください。それだけの筆圧をもって、動かした手の軌跡があることを考えてみてください。大人になって、そんなにのめり込む時間がありますか? それをやっている時の子どもの時間をイメージしてみてほしいのです。こうしたい、と思ってやっても、ちっともそうならないと思って、どうしたらそうなるだろうと思ってやった子がいるかもしれません。

これを絵の具でもやります。すると大抵は紙が破れてしまいます。画用紙ならまだいいのですが、大きな模造紙で何人もがやると、水分が多くなって破れてしまったりします。それも面白い作品として飾ることもあります。

◆身体的は発達から可能になっていく線

「あ、横の線から縦の線が増えきたから、手首と腕を上下に動かせるようになってきたな」とか、「細い線が動いてきて、最初のところに戻ってきて、つながっている。円ができている」とか、「長い線を横に一本引いた水平線や地平線がある」とか、「丸に点々が見えるから顔を描いたのかな」、あるいは「丸い顔のから手や足の線が出ているから頭足人(頭足画)だな」・・・こうした見方を、私たち保育士は学んできています。子どもの運動と心理の面から描画に特徴があるのです。それが現れたということが、育ちの喜びになるのです。例えば、子どもが長い線を横にひくことは、とても難しいことを私たちは知っているからです。

偶然にそのような形になる段階から、だんだんそれらしい写実性を感じるようになってくると、家の中は見えないはずだけど中を描いているレントゲン画(透明画)、街の家と道路が自分が見てきたように並ぶ擬展開図など、いろいろな名称と共に、子どもの空間認知の特徴も現れてきます。

絵の研究者や心理学者が、子どもの絵の発達の特徴として「〇〇期」と名前をつけて説明していることがあります。例えば「なぐりがき」のように見えるから「なぐりがき期」のように、です。でも、そういう風にだけ見てしまったら、その絵をかいて楽しんでいた瞬間の子どもの心の動きを想像しようと思わなくなってしまうかもしれません。ですから、私はピアジェが命名したような、そのような〇〇期といった発達心理学的な分類を知っていても悪くはないのですが、それに引っ張られてしまって、その特徴を見出そうとして絵を見てしまう、という弊害を心配します。

子どもの経験の意味を考えた1週間

2020/02/22

今週を振り返ってみると、来園者の多かった1週間でした。そして来園者があったことで、いろいろなことに気づくことがありました。保健福祉オンブスパーソンの来園があった月曜日は、子どもが遊び込んでいる状態について再確認できました。アーティストの青木尚哉さんらが来園した火曜日は、身体表現としてのアートのもつ力を目の当たりにしました。入園説明会があった水曜日は新しいご家族と新しい生活を始めるスタートの日になりました。実習生の指導担当者が来園した木曜日は、実習生が子どもとの出会う意味を再確認しました。バス遠足だった金曜日は、上野動物園では動物の多様性(ダイバーシティ)を通じて長い進化の時間に思いを馳せました。そして今日22日土曜日は、午前中に園内のカーペットと換気扇の清掃に立ち会い、午後から新宿せいが子ども園の成長展へ出かけました。

私たちは同じ子どもなのに、環境が変わると見せてくれる姿が異なるという経験を共有しています。たとえば園と家庭では子どもの様子が違うことが結構あるのでした。今週はその「見える姿」の違いをめぐり、子どもの発達経験について色々な角度から語り合ったような気がします。オンブスパーソンの方とは子どもが「寄って来ない姿」をどう解釈するかについて、青木さんとは「3歳児でもやりたがる」という発見について、園医さんとは「健康診断の結果」を通して子どもの発達状態について、実習生とは印象に残った子どもの「エピソード」を通して、昨日は動物に見入っていた「子どもの様子」について、そして今日は「成長展の展示でわかる子どもの育ちのプロセス」について。

子どもにとっての身近な環境によって、こんなに姿が違ってくるなら、その姿の意味がとても大切になります。違うことが重要なのではなく、その違いをひっくるめた全体の経験が、一人ひとりの子どもの発達にどのように影響し、どんな意味や価値があるかということが大切なのです。平成元年以降、国は全国の幼稚園や保育園で「環境を通した保育」を充実させるように働きかけてきました。そのことと、今週の気づきがつながってくるのです。

さらに、ちょっと話が複雑になる事情があります。確かに子どもの姿は環境の違いによって引き出されてくる姿が異なるのですが、もう一つ違って見える理由があるからです。それは人によって異なる「子ども観」や「発達観」です。この○○観という見えないメガネを、私たちはかけていて、その「観」を通じて子どもを見てしまっているのです。私たちはその「観」というメガネを外すことがなかなかできません。ですから、せめて曇りのないピントのあったメガネになるようにしないといけないのでしょう。

遊び込んでいる熱中度、アート感覚、パーソナリティ、間主観的世界観、人類の進化観、保育のプロセス・・どれをとっても新しい「見方・考え方」で刷新され続けてきたことを忘れてはならないのです。ちなみに、この「見方・考え方」は中教審答申で登場した言葉ですが、実生活の中で誰もが使っている〇〇観に近いものです。

動物たちの迫力に感動して・・

2020/02/21

素敵な動物園の遠足でした。まず、こんなに素晴らしい動物園がそばにあるなんて、保育園はなんと恵まれている立地なんでしょう。バス遠足で上野動物園へ行ってきました。新型コロナウイルスの感染拡大が心配されていますが、平日の午前中は人も少なく、幼稚園、保育園、小学校の団体がいくつも来ていました。基本的に外を歩き、人混みもなく、感染の心配は要りません。

今日のルートは科学博物館のシロナガスクジラの前でバスを降り、野口英世像の前を通って動物園(表門)へ。最初に東園を回りました。

入口近くのパンダは混雑しているので避けて、アジアゾウ、ニホンザル、ホッキョクグマ、ツキノワグマ、トラ、テナガザル、ゴリラ、カワウソ、シロフクロウなどを見て、五重の塔が見える近くでお弁当を食べました。

では、いかに見てきた動物のワンショットを一緒にお楽しみください。

 

ニホンザル

ホッキョクグマ

くま

スマトラのトラ

 

テナガザル

孔雀

見るところがたくさんの動物園散策。

まだ小さいゴリラの子ども

本当のゴリラを見たあとで、ゴリラの銅像で遊ぶ。

実物大なので、その筋骨隆々とした体に感動です。

シロフクロウ

五重の塔が見える場所で、お昼ご飯。

おかずは、お重に入れて。

お重の塔。

保育園で用意したキュウリと唐揚げ。お代わりもして、みんなでよく食べました。

ちょうど昼食が終わったのが12時ごろ。そのあとプレーリードッグやバイソンを見て「いそっぷ橋」を渡って西園へ。

 

アメリカバイソン

その時点でかなり疲れが見えたので、アフリカの動物までは行かないことに。

カンガルーを見た後は、両性爬虫類館に入って、ワニやカメを見てきました。

ここから両性爬虫類館へ

カンガルーの親子

大きなウミガメ

ガラパゴス諸島にいるガラパゴスゾウガメ

爬虫類の迫力!

コドモドラゴンに乗って記念撮影!

その後フラミンゴやペンギン、ペリカンを眺めながら弁天門まで歩きました。

 

フラミンゴは、暖かな日差しに気持ち良さそうでした。

生き物大好きなSくんとKさん

いろんな動物を実際に見るというのは、やはりテレビや絵本や写真で見るのとは違って、その動きや大きさ、迫力、匂いなどが迫ってくるので、子どもが感じ取るものは全く違います。帰りのバスの中で、見た動物を順番に思い出していましたが、私の隣に座ったYSさんはクマ山のインパクトが大きかったようで「サルの次に何を見た?」というクイズに、すぐに「ホッキョクグマ!」と手を挙げていました。

20200221上野動物園の地図

動物園の地図には、動物のイラストと名前が描いてあり、何人もの子どもが、それを欲しがりました。こんなに地図を欲しがるのには理由があります。それは先生たちの上手な仕掛けがあったからです。わいらんの保護者の方はご存知だと思うのですが、動物園に行くことが決まってから、子どもたちの生活シーンに動物の写真が貼ってあったり、上野動物園の地図が床に貼ってあったりします。動物の話をたくさん聞いたり調べたり、今日を迎えるまでに色々な準備がされていたのでした。

4歳児クラスの子どもたちが地図を手にして動物園を回るという光景は、かなり高度な見学方法です。園に戻ってきてから、地図が足りなくなってカラーコピーして渡してあげたら「園長先生、これ違う」というので、どうしてだろうと思ったら、最後の折り方が違うというのです。「こっちが後ろだよ」と教えてもらいました。「あ、そうか、ごめんね、Sさん」。本当によく見ているなあ、感心です。

それにしても、まだ2月だというのに、桜が満開なのには驚きました。早咲き桜とはいえ、びっくりしました。

明日からの遊びがどうなるか。また楽しみです。

今日は実習生も一緒に行ったんですが、本日の実習記録に担任が書いた助言が、保育のつながりをうまく表現していました。

「今回のおにぎり遠足など行事に関しては、行って楽しかったね、と「点」で終わらせてしまうのではなく、保育中に見ていただいたように、事前に子どもたちが行事に対して楽しく期待や関心を持てるよう働きかけます。そして重要なのは行事後に、感じたことや経験を子どもたちが普段の遊びに取り入れて表現したり、発展させていけるよう、製作の材料、絵本、お集まりでの遊びなど、様々な環境を整え、行事を「線」としてつなげて保育していけるように心がけています」(坪井)

 

子どもと出会い、保育と出会う

2020/02/20

今日20日は、実習生の大学の先生と午前中、語り合うことができました。この方とは、随分長いお付き合いになります。実習生の個性や育て方、実習で学んでほしいこと、保育の魅力がどうしたら伝わるか。昔から言われてきていることですが、その本質は従来以上に大切にしないといけない時代になってきていると感じます。

実は、保育実習は養成課程の中で核になるもので、大学での勉強を実際の保育に活かし、また実際の保育の体験からの学びを大学での学びに活かす。そうした相互循環がとても大切です。私は厚生労働省の保育士養成課程検討委員をやっていた経験があるのですが、現場の実習と大学での授業を繋ぎたいと、ずっと思っていました。大学の研究者になりたいのなら別ですが、将来保育者になるのなら、就職が保育者デビューだとすると、実習はそのプレデビュー、あるいはその前のプレ・プレデビューのような位置付けになってきます。そうすると、実習などの現場での経験を積んでいくことが、実践力や保育の構想力を培うためには、とても必要なことだと想像してもらえることでしょう。

大学にはなくて、現場にしかないもの。それは子どもです。保護者です。そして先生です。この三者が大学にはないのに、専門性を授けようとしているのです。臨床経験のないお医者さんに、診てもらおうという患者さんはいないでしょう。それと同じです。実習は大学での学びに欠かせない臨床経験です。

保育所は保育士という資格がないと保育ができないわけですから、その資格を取得するために、保育園で実習することはとても大事なことです。大事というのは、保育園は「保育士養成課程の一翼を担っている」からです。実はその意識を保育園の先生に、よく理解してもらうことが、ずっと課題でした。一方で、養成校の方も、表面的な保育技術を教えることが専門性であるかのような講義や、音楽なら音楽、自然なら自然の専門家ではあるものの、保育の専門ではない人が講義を受け持つということが多いのも課題でした。

そういう構造的な問題がすべて解消したわけではないのですが、それでも保育士不足で保育園は学生を大切にしたり、やっと養成校の養成課程に関心を持ったりするようになってきました。また養成校の方も経営が苦しくなっていることもあり、質の高い授業を展開しようと、保育現場とのつながりを大切にするようになってきました。以前に比べて保育士養成課程の質を高めようとする空気は強くなっていると思います。

実習生は子どもと出会います。保育園の生活の中で出会う子どもです。遊びへの欲求がこんなに強く、遊びがこんなに大事なものなのかと実感できるのは実習の場です。保育者が子どもの繊細な心の動きを必死で捉えようとしていることに気づけるのも実習の場でしか体験できないでしょう。いくらビデオや動画で擬似保育を見ても、実習で実際の心を通わせあった実名の子どものリアル感は、授業では体験できないものなのです。

実習生の感想でもっとも嬉しいのは「子どもって、こんなに遊びが好きなんですね」「子どもって、こんなに○○なんですね」といった「子ども発見」です。その上で「保育の仕事って面白いですね」という感想を持ってくれたら最高です。ただ、その「面白さ」とは、ファンではなく、インタレスト、奥深さのことです。保育の醍醐味です。それが伝わるような実習であったらいいなと思っています。

雛人形を飾る

2020/02/19

◆雛人形を飾る

本日19日(水)は二十四節気の雨水。この日に飾ると良縁に恵まれると言われているので七段飾りの雛人形を飾りました。内裏は天皇がお住いの御所のことです。その内裏びな(男びなと女びな)は天皇と皇后、あるいは皇太子と皇太子妃ということになります。時代を考えれば京都御所が本来です。

七段飾りには、内裏びな、三人官女、五人囃子、随身、三人上戸(仕丁)の15人全員が揃うので、子どもたちには童謡の「うれしいひな祭り」で歌われる歌詞を実際に見ながら歌うことができます。

◆「うれしいひな祭り」の歌詞を思い出す

作詞はサトウハチローです。作曲は河村光陽。覚えていますか?ちょっと歌ってみましょう。

(1)灯をつけましょ ぼんぼりに

お花をあげましょ ももの花

五人囃子の笛太鼓

今日はたのしいひな祭り

(2)お内裏様とお雛様

ふたり並んですまし顔

お嫁にいらした姉様に

よく似た官女の白い顔

(3)金の屏風にうつる灯を

かすかにゆする春の風

少し白酒めされたか

赤いお顔の右大臣

(4)着物をきかえて帯びしめて

今日は私も晴れ姿

春のやよいのこのよき日

何よりうれしいひな祭り

◆人形の表情に気づいた子どもたち

人形を飾るとき、何人もの子どもたちがずっとみていました。「おびな、女びな」という言葉を知っていたり、「♫灯をつけましょ、ぼんぼりに」と歌う子もいれば、「赤いお顔のお人形はどこ?」など、みんな興味津々です。私が人形に帽子をつけたり、三人官女にお銚子を持たせ、五人囃子に太鼓や笛をなどの楽器を持たせ、お内裏様を警備する左大臣、右大臣の随身に弓矢や刀を持たせ・・・などと小道具を持たせているとき、「このお人形、困っているよ」と教えてくれた子もいました。いいところに気づいたなあ・・・。

「そうそう、この沓を持っている人は、泣上戸なんだよ」「泣上戸って?」「上戸っていうのはね、すぐそうなってしまうってこと。だから泣いてばかりいる人ってこと。ほら、こっちは笑っているし、こっちは怒ってでしょ。どうしてだろうね。面白ね」。

三人上戸は宮中で雑用をする人で、親王様が出かけるときに使う、靴と帽子と傘を持っているんだよ。いつでも外に出かけられるようにね。そんなことを話しながら、人形を飾っていくと、とても面白い時間になりました。籠や牛車に乗った真似をしてあげると、まるで狼と子山羊のような展開になって、笑い転げたのでした。

表現③自分の体の動きがアートになる遊び

2020/02/18

◆体の動きのつながりとアート感覚

アートってなんだろう。色々な定義や説明があるのですが、子どもの言葉を借りると「なんかいい!」という感じのことです。今日もその「なんかいい」といった男の子がいました。今日はダンスのアーティストが3人いらっしゃって、わんらんの子どもたちと体を動かして遊びました。体を動かして遊ぶ、といっても、いつもとちょっと違います。例えていうと、体の動きを、一つずつ丁寧にバラして感じとっていくプロセスがある、といっていいでしょう。あるいは、粗大運動の中の微細運動といってもいいかもしれません。

◆いろいろな身体遊び

やったことは、正式な名前があるわけではないのですが、今日楽しんだ子には多分、こう言ってもらえたら通じると思います。一人スキップ、二人スキップ、やさしいだっこ、マネキンとデザイナー、片手にょろにょろ、両手にょろにょろ。どれも楽しそうにやっていたのですが、マネキンとデザイナーはかなりアートらしい体験だったと思います。

◆自分の体の骨をイメージする

一人がマネキンになり、もう一人がデザイナーになって体の一部を優しく押したりして動かします。これをやる前に、イミテーションの人の骨を見せて、人の体には骨が入っていて、それがうまく動くようになっていることを感じ取った上で、この遊びをしたのです。自分の体の中にも、この骨があって、それが動いて体の動きができていくんだということをやりながら学んだのです。

◆自分の身体を自分で感じながら動かす

こんなことはやったことがなかったからでしょう、それが面白かったようで、カクカクと動かされる自分の体の姿勢やバランスを感じながら、それが「身体表現」になっている面白さに気づくことができました。動かされている本人の感覚はあっても、外からどう見えるのかがわかりません。少しの力に優しく動いては静止し、少し押されてはまた動き、その繰り返しの中で、自分の体の姿変わっていく。そうした自身の身体の動かし方を意識したのは初めてだったのではないでしょうか。

◆自己イメージの形成

逆に動かしているデザイナーの方は、「こうしたらどうなるかな」「もっとこうしてみよう」という造形的な面白さを感じています。「こっちの方が、なんかいい」という感覚を頼りに、友達の体を使って造形活動をしている、まさしく表現遊びです。動かされる方(マネキン)と動くかす方(デザイナー)の両方を交代でやりながら、最後は同じポーズで記念写真を撮りました。自分の姿がどのように見えているのか、何度か繰り返すことで、マネキンになりながら外から見える「自己イメージギャップ」にも気づく体験になっている子どももいたことでしょう。

◆知らなかった自分の体の動きと出会う

たった一時間という短い時間でしたが、3人のアーティストをご紹介しておきましょう。リーダーの青木尚哉さんと、芝田和さん、高谷楓さん。子どもたちは、ダンス遊びの途中から「もっとやりたい!」の連発でした。青木さんも「あの意欲が大事なんですよ。それを引き出したくてね」とおっしゃいました。このようにアートの力は、例えばマネキン人形になって体を動かす/動かされる、という中に「今までなかった自分の体と出会う」という貴重な経験を作り出す力を持っているのです。

成長のしるしとしての夢中度

2020/02/17

 

春の訪れを知らせる梅の開花。八王子市の姉妹園の園庭に白梅が綺麗に咲いていました。小川にはヤマアカガエルが生んだ卵の寒天のような塊が漂い、すでにおたまじゃくしが泳いでいました。すでに春が来ています。このような分かりやすさと同じように、わいらん(3歳4歳)クラスの子どもたちの姿に、くっきりとした成長の印を今日17日、来客者と一緒に確認しました。

それは見学者が来ても、誰も寄って行かったことです。「見学者が多いんですか?」とおっしゃるので、「いいえ。見学者は少ないですよ」と答えたのですが、この質問の意味は「寄って来ないのは珍しくないから、つまり、見学者慣れしているからだろう」。こんな考えからなのですが、私の説明に納得して「覚えておきましょう」と感心されていました。私の説明とはこうです。

「子どもたちは遊び込んでいると、見学者には気づかないんです。もし気づいたとしても、やっていることに夢中になっているから、見学者に関心が向かないんですよ。もし見学者にすぐに寄っていくような姿が多い時は、まだ情緒が安定していないか、没頭して遊び込んでいないのかもしれませんね」

こうした姿は、保育の質を測る「ものさし」の一つになっています。開発したのはベルギーのF・ラーバース女史で、日本でもSICSという略語で有名になりました。先日、いずみこども園で講演された秋田喜代美教授が日本版を開発しました。ごく簡単にその要点を説明すると、ラバースは保育の質を、子どもの情緒的な安心の度合い(安定度)、熱中度(夢中度)、大人の関与の3つの要素から捉えました。そしてSICSはそのうち、安定度と夢中度を保育者の観察によって自己評価するのです。

もし、ラバースさんが、その視点で今日のわいらんの子どもたちの様子を見ると、とても高い得点がついたと思います。今日の来客者は、実は千代田区の保健福祉オンブスパーソン事務局の方と相談員のお二人です。お二人は千代田区の保育園を全て見て回っていますが、子どもが誰もよって来ない経験は初めてだったそうです。それだけ遊び込んでいた時間だったとも言えますが、子どもたちが主体性を発揮した集団の雰囲気の良さを感じ取ってくださいました。

表現②豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする

2020/02/16

15日(土)の午前中、私が昨年3月までいた八王子の「せいがの森こども園」が開いた行事「成長展」に出かけてきました。成長展は子どもの成長をお伝えするものです。これは、現在の子どもの状態をお伝えするだけではなく、昨年の4月から毎月、記録してきた育ちを並べてみることで、その成長のプロセスを可視化します。教育の「ねらいと内容」は5つの視点があるのですが、その分類(領域)に従って展示します。

子どもの発達を概ね右肩上がりのグラフで表すとすると、それは直線にはなりません。カーブを描いたり、山並みのようにギザキザになったりします。身長や体重、手や足の大きさ、人間関係の広がりやコミュニケーション力、遊具のバリエーションや活動範囲、言葉の発達など、それぞれのテーマで異なりますし、個人差もあります。

特に表現の領域は「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする」ことです。そこで成長展では、1歳児クラスから子どもの4つの描画制作を展示します。4つというのは「自由画」「ぬりえ」「人物画」「シルエット」です。

シルエットというのは、人や家、犬などの形をしたシルエット(黒画用紙を切り抜いたもの)を子どもが白い画用紙の上に自由に並べて「お話」を語ってもらうます。それを先生が聞き取って説明文を添えたものです。

この4つを4月から2月まで、それぞれ4ヶ月ごとに作って並べます。ですから自由画が3枚、ぬりえが3枚、人物画が3枚、シルエットが3枚並び、その変化をみてもらいます。1年での「変化」の中に、子どもたちの成長の軌跡が見えてきますから、興味深い気づきが生まれることでしょう。

表現① 感じたことや考えたことを自分なりに表現する

2020/02/15

◆アートの中の「中間領域」

14日金曜日の夜、ある知人の保育園で、4歳の子どもが作った造形作品について、その園の先生(アート担当)からとても面白い話を聞きました。3歳児、4歳児、5歳児と成長していくにつれて、制作遊びも発展していくのですが「4歳児のクラスのある特徴に気づいた」とおっしゃるのです。それは昨日もお話ししたように、制作というアート(技術)の中にも「中間領域」がある話と通じるものでした。

「なんと名付けていいのかわからないのですが、ちぎったり、ハサミで切ったりしてくっつけていく過程で、いらなくなったものがたくさん出てきますよね。それがとても多いんです。ゴミというか無駄というか、余計なものへの配慮がまだあまりできないので、それがどんどん出てくる。5歳児クラスになると、それがあまりなくなる。3歳の頃は逆に少ない。そこまで活用しようとしない。この特徴に気づいたので、それをなんとか展示で伝えられないかと思って、作っている途中で出てきた、切り屑を取っておいて、ジッパーの袋に入れて作品の隣に飾ってみたんです」

(上の写真)

◆いらなくなったモノが知らせる子どもの発達

子どもの制作の結果としての作品だけを展示するのではなくて、その制作の過程で生じた「くず」「ゴミ」「無駄」の方にも目を向けてみるという展示方法。これはちょっと、深く考えてみたくなる気づきをいただいたなと、とても面白く感じたのです。子どもの造形のプロセスに目を凝らしてみる。しかも、その場で捨ててしまうようなモノ(あるいは再生用としてストックしておく)に着目する発想。そこに発達の特徴を感じ取るアーティストのセンス。

「それは面白いですね。それなら作品を1枚目のパネルに貼って、その制作過程で出た余りをその裏に展示して、どっちが作品かわからないような展示というのもアリかもしれないですね。それぞれが作品Aであり作品Bであるような」

作品Bの増加と減少の軌跡を発達に応じて展示してみるのも面白いかもしれません。ストックという量だったり、素材の種類だったり。2月29日(土)の成長展は、子どもの結果としての作品を展示するだけではなく、その作品が変化していくプロセスをお伝えします。その方法として、こんなアプローチも面白いかもしれないと思ったのです。

◆展示の仕方が園のアートになる

そして、こんなことを考えていてさらに気づくのは、私たちは何かにつけてすぐ「作品」というけど、それは意図した結果だけなのか、それとも偶然の結果も含むのか。あるいは人の営みでありながら、意識の対象に入らないものはアートとは言えないのか。その自覚の発達を追うこともアート表現になるような展示が可能なら、それは子どもの作品でありながら、子どもの発達を可視化するための、園あるいは先生の意図に基づく「展示という作品」になるものです。つまりアート展示の多層性をそこに見つけることができそうです。

発達の中間領域を大切に

2020/02/14

自信のある人になるには、思いが受け止められることが世界を信じることになり(基本的信頼感)、そもそも自分の力で世界に働きかけること自体が喜びになったり(自己効力感)、さらにその結果が他人の役に立っているという手応えが返ってきたり(自己有用感)、そうした一連の自己に対して自分が未来に対して前向きに取り組めそうな気持ちが湧き出てくること(自己有能感)。今日14日の午後は、そうしたことに思いを巡らす時間がありました。

いずみこども園が開いた研究発表大会に参加してきました。3歳と5歳の公開保育、その後の研究協議、シンポジウム、記念講演です。研究テーマは子どもが自分を大切にすること、そして他者へも大切にできること。そうした人になるには乳幼児期にどんなことが大事なのか。実際にやっている保育を視察して、配布された資料を読んでこども園全体でどんな保育を目指そうとしているのかを理解して、そのアプローチについて、教育関係者が集まって知恵を寄せ合う。千代田区教育委員会がこども園に委託して2年間実践した研究結果の報告会です。

学んだことがたくさんありましたが、千代田せいがの保育実践と同じ研究根拠に基づいて、いずみこども園も実践していることがよくわかりました。乳幼児期からの発達観や環境を通した保育と援助、その中でも人的環境の質に焦点を当てた研究論文などが参照されていました。こども主体の保育や環境を通した保育など、保育理念や保育方針で世界が向かっている方向と同じでした。その羅針盤の役割を担っているのは、海外の保育動向に詳しい秋田喜代美・東大大学院教授です。記念講演の中で、印象に残ったのは保育のプロセスの質について、私が「成長の中間領域」と呼んでいるプロセスに言及したことでした。

私たちの認識は、対象を捉える時には、必ず無意識に節目や輪郭を設けてしまいます。切れ目のない移ろいを捉えることは苦手です。私たちは「できた、できない」「わかった、わからない」。その境目を漂っている意識を捉えることがとても苦手です。「やるの?やらないの?」「食べるの?食べないの?」「〇〇なの?○○じゃないの?」「ウンチは自分でしたか、しなかったか」「寝たのか、寝てないのか」。そうした区切りを求められて生きざるを得ないのが現代社会の特徴なのですが、発達のプロセスはもっと複雑系で、行ったり来たり、できたりできなかったり、わかったような、わからないような、そんなぼんやりした境目が定かでない「うつろい」を大切にしないといけないのです。

ここからが大切なのですが、それでも教育を語る人たちは、つい「できる、わかる、しようとする」に向けて、こどもに暗黙の圧力をかけてしまいます。どうしてそうなるかというと、それが「好ましいこと」だからです。でも、動機が善いことでも、結果がよくなるとは限らないところに、教育の難しさが潜んでいます。それを見分けることは、難しいことに思われますが、わかりやすい目安があることを、知っています。それは子どもが教えてくれるのです。

その暗黙の圧力を敏感に感じ取り、そこから逃れようとして「自分で、自分の中から、自分らしく」動き出したくて、思いっきり「イヤイヤ」を主張したり、本人にとっては「大きなお世話」と思えることから身を引いたり、その空間や場から逃れようとしたりします。それが多くの事例となって証明されているのが、学校や園に行くのが怖くなったり、自分の部屋に引きこもっている方々の存在です。自分を大切にすることは、その人を心から信じることが必要なのですが、その大前提が語られることが少ない気がします。

成長の「中間領域」を大切にすること。これも、大切な見守る保育のスタンスの一つです。その実例がクラスブログに、毎日のように報告されています。冒頭の写真は佐久間橋児童遊園ですが、「できるかなあ、どうかなぁ」と、身体と空間との内的対話が聞こえてきそうです。

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