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園長の日記

お兄さんお姉さんの様子に興味津々

2019/12/04

◆お楽しみ会の予行練習2回目

当日までのお楽しみ!とばかりに、ちっち組の後ろ姿だけを載せた今日4日のブログをみて、じゃあ、私はその「横顔」をご紹介したいと思います。

これです。

ぐんぐんさんが、絵本で「だるまさん だるまさん にらめっこしましょ 笑うと負けよ あっぷっぷう 」とやっている様子に、食い入るように見入っていますね。みんな気持ちは、だるまさんの世界に入っています。

これが、子どものすごいところです。新しいもの、楽しいものが好きなので、その中に身も心も「なりきっている」のです。

ところが、今日と違って、お楽しみ会当日は、目の前に親御さんがちが「かぶりつき」の状態なので(笑)、子どもたちも、うそっこの、なりきっている世界を楽しみたい気持ちがあるのと同時に、大好きなおうちの人も目にするので、気持ちの整理がつきにくいことなります。

「ママ〜、パパ〜」と手を振るくらいの余裕があるといいのですが、まだそこまではいかないでしょうから、当日は、そっと温かく見守ってあげましょう。もしおうちの人のそばにいたくて泣いて、どうしても我慢できなくなったら、どうぞ舞台の上まで来てそばにいてあげてください。

◆今日は「これをするんだ」と生活プランを持つ

それから「わらす」のブログで「今日はこれをやって遊びたい」という見通しを持てることの大切さを述べています。それを読んで思い出したことがあります。先日お会いした忍岡高校の家庭科の先生の話です。知人がミュンヘンの幼児施設に通っていたのですが、日本に帰国して園に通いだしたのですが、しばらくすると登園できなくなってしまったというのです。その理由が、日本の園ではやることを先生が決めているけど、ミュンヘンでは、子どもがやりたいことをやれるというのです。「今日はこれして遊ぼう」と「わくわくして園に通っていた」そうです。日本ではそれがなくなったから、園に行きたくなくなったと。

◆わくわくする生活

ぐんぐん組のブログや微笑ましいですね。こんなに小さい子が「わくわくする」って、自分の気持ちを的確な言葉で表現できるなんて、なんて凄いことだ、と思いませんか。豊かな心情体験がある生活を送っている証拠だと思えます。こんなに小さい時から、子ども同士が心を通わせているから、「共にいる」という心がこうして育まれていくのでしょう。

一方で、相手のことが「好き」とか「嫌い」とかを言い合える正直なところが子どものよさであり、また、そうしたマイナスの心のぶつけ合いも、大切な経験になります。これも広い意味での心の通わせ方です。幼少期の人間関係でも、葛藤する気持ちを抱えることもあります。そういう言葉を経験しあって、自分も嫌な思いをしたり、悔しい思いをしたりします。そういう生の感情が、心の優しさと強さを育てる肥やしになるのです。

◆毎日が成長の軌跡に

色々なことが起きる園生活。それを全て詳らかにすることは不可能です。でも、こうやって担任の先生が、それぞれの視点で気づき、感動し、悩んでいることが、私にはとてもありがたいと感謝です。何度か申し上げてきましたが、行事はあくまでも通過点です。それを経験することで、またさらに意欲的な子どもたちになってもらえたらと願っています。

 

 

 

 

いしたけの栽培

2019/12/03

あっという間に大きくなったしいたけ。

そろそろ、大きくなったのから収穫して食べます。

12月3日

12月2日

12日1日

11月30日

11月27日

アドベントカレンダーにサンタから毎日お手紙が!

2019/12/02

12月20日(月)から玄関にアドベントカレンダーを飾りました。1日から24日まで24の靴下に日付がついています。この中に、サンタクロースから毎日、手紙が届きます。その手紙には、さて何が書いてあるのでしょう? らんらんのお手伝い活動として、毎日その手紙を読んで、そこに書いてある遊びや活動をします。クリスマスを楽しみに待つという、基本的には「わらす」向けの活動になりますが、その趣旨は皆さんにお伝えしておきます。

今日2日のお手紙は、絵本のプレゼントを届けたよ、というメッセージでした。子どもたちは、大喜びでした。

11月を振り返りつつ、実践の方向性を確認する

2019/12/01

毎日、こうして日記を書いていて、「これでいいのかなあ」と、ふと思うことがあります。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)がいろんな意味で社会問題になっているからです。そうした報道に接すると私自身が「たまにはスマホやパソコンを使わない日を決めようかな」と思う自分がいるからです。確かに新聞記者をしていた30年ぐらい前は、ポケベルがなると公衆電話からデスクと連絡を取っていた時代がありました。紙の原稿用紙に黄色いビックのボールペンで原稿を書いていた時代でした。

11月に取らせていただいたアンケートで、35家庭のうちホームページをみている方が「ほぼ毎日」が14人(締め切り後の回収も含めて)、「週に数回」が6人いらしゃっいました。多くの方がホームページをみてくださっています。私はそれに応えたいという思いもありますし、アンケートの結果だけではありませんが、最近は慣れてきたこともあるのか、担任の先生たちによるクラスのブログの更新頻度も上がっています。私も毎日、お伝えしたいことが山ほど出てくるので、つい、日記なのにいろいろ書いてしまいます。ただ、クラスブログの量が多い時は、私の日記は少な目にしようと思っています。でも保育園で何が起きているのか、その意味について解説することを歓迎していただいていることがよくわかったので、それは続けていきたいと思います。

急いてみて欲しいことは「園からのニュース」に書きますので、日記は暇の時に時間つぶしで楽しんでくださいませ。

◆11月を振り返ると・・・

中旬から一気に寒くなって、雨が多かったので外遊びがあまりできませんでした。でも室内での運動遊びは活発です。

またお楽しみ会に向けて、乳児は朝のご挨拶や絵本や運動遊びを少し意識してやっています。それに加えて、2歳のにこにこ組以上は劇遊びや、楽器遊びを楽しんでいます。

また11月は保育士養成校との連携や、地域向けの子育て支援として保育所体験や睡眠講座も始めました。

そのうち、短大の先生、大学の先生、高校の先生と話す機会がありましたが、29日にお会いした忍岡高校の家庭科の先生がおっしゃっていた話が印象に残っています。その報告と感想を少しします。

◆高校生が保育士になりたいと思った時に・・

その話というのは、<いま高校生の間で、保育者になるには、ピアノが弾けて、素話ができることなどが条件のような空気ができてしまっている>といった話です。私は長年、日本の保育士養成課程のあり方に関わってきたので、現場を含め養成校の課題、特に実習のあり方などを検討してきました。でも高校段階でも課題があることは知っていましたが、こんなに身近なところで、違和感を持っている家庭科の先生とお会いできたのです。

◆高校生に本来の専門性とは違うイメージが伝わって・・

保育者の専門性は、環境を通した教育、自発的な活動としての遊びをいかに創り出すかにあるのであって、主体は子どもなのです。ところが、今の家庭科の教科書や保育検定の試験対策が、「子どもが一斉に受け身的にしか体験することしかできない表面的な技術」を優先的に高校生に教えるので、それが保育者の専門性だと誤解されかねない状況を作り上げてしまっています。

例えば、音楽領域ではピアノ演奏で伴奏しながら大きな声で歌えること、絵画・制作領域では折り紙が折れてポスターが作れること(私は知らなかったのですが、折り紙には動物、植物、その他など種類に分けられていて。「カエルはどの種類ですか」という引っ掛け問題があり、それに「動物」だと答えるとバツになるというのです。カエルは両生類ですが、動物ですよね!)、言語領域では3分間で素話ができること・・・こんな表面的な技術がまず必要だと高校生に教えてしまうことは、罪作りなことだと思います。子どもの発達を理解したり、子どもが環境に働きかけることや、遊びの重要性などは、ほとんど問題にされていないのですから。

◆保育士資格を取るための試験について

私も保育士の資格を持っているのですが、試験を受けた時のことを思い出しました。確かにこの3領域の実技試験を受けました。バイエルを練習したりしてました。私が試験を受けた時はピアノ伴奏曲が「おつかいありさん」でした。「♩ あんまりいそいで ごっつんこ〜」で始まる、あれです。絵画・制作は「動物のイラストを使った運動会のポスター」作り、そして素話は、なんでも自由に覚えておいていいので、私の子どもが好きだた絵本の話をしました。3分で話さないといけないので何度も練習したことを覚えています。

確かに、こうした技術は必要かもしれません。それなら海外のように楽器はギターの方が子どもの方を見ながら伴奏して歌いやすいですし(今の実技試験はギターやアコーディオンでもよくなりました)、絵画制作は先生が作るのではなくて子どもがもっと幅広い制作遊びができる環境づくりを問うすべきですし、素話も大切ですが、記憶には限界があるので、いろんな絵本や紙芝居を読んであげたりすることが現実的です。

◆あくまでも保育は子どもが自立することを目指す

もっと重要なのは、大人がやってあげるのではなく、子どもが主体的に関わって遊ぶことの方がいいのです。楽器は子どもが触れて親しむ、歌は伴奏も手拍子で子どもがやってもいいし、絵は子どもが描くものであり、劇は鑑賞するのもいいですが、子どもが劇遊びをすることなどを主にすべきです。

海外の有名な保育室を見ると、子どもがペープサートや指人形を演じる子どもサイズの舞台や枠が用意されています。子ども用のイーゼルや子どもが使いこなして演じて遊ぶための衣装ラックが置かれています。子どもと大人のどっちが主役か。発想が逆なんです。

この点をどうにかしないと、アクティブラーニング(遊び)になりません。いつまでたっても、言われたことがやれる子どもが良いとされ、自分でやろうとする主体的な青年が育たないと思います。

◆どうしたらいいのか、突破口はどこに?

その家庭科の先生は、「これでいいのかな」という違和感を感じていました。話を伺っていて、また同じ課題だなと思いました。つまり今、社会で話題になっている問題の解決策を考えていくと「そうした方がいいとはわかっているんだけど、変えるきっかけがわからないし、そうすると、今までそれをやっていた人たちに迷惑がかかるし。実際には、どうしたらいいかわからない」という、誰もが気づいているあの「気づき」です。

余談ですが、分野は違いますがマスコミの第一線の政治部記者も、この「気づき」の話をしています。この問題は社会が抱え込んでしまっているアジア的閉塞感(SNS上の誹謗中傷、指殺人、いじめによる自殺、正論を言い続けることが空気を読まない異端児とされる風潮)が社会心理的基盤を作ってしまっていることとつながっています。

◆今の時代を俯瞰的に見てみよう

社会学によると、このパラダイム転換は1980年代に起きていると分析されているのですが(近代は1980年代に終わり、ポスト近代に入っている)、日本をはじめとするアジアは、どうもその主体性の転換ができていないのかもしれません。外山滋比古さんも昔『思考の整理学』などで同じことを言っています。大人が引っ張って飛ばすグライダー式教育はお終いにしましょう、と。ずいぶん昔ですけれども。

昨日読んでいた雑誌に次のような文章がありました。

「社会の仕組み全体が20世紀後半のままなんですよ。だからみんなの根本のマインドセットも昔のまま。人口構成が変わって、高齢者が増えましたが、年を取っても皆元気になっている。・・(中略)終身雇用と住宅ローンのセットをはじめとして、色々なビジネスモデルは制度が終わっているのに、それを変えられない。端から見たら、我が国の状況は滑稽ですよ」(川端康夫・アクティブビジョン(株)代表取締役)

「(社会心理学者の故)山岸俊男氏の説によると、日本人は先進各国の中で最もパブリックマインドが薄く、自分の所属集団の中でのポジション取りにしか関心がない。自分のポジションさえ維持されば、ゲームの結果として全体がどうなるのか、ということに関心を寄せないという、非常に重要な特徴があり・・・」(社会学者の宮台真司・首都大学東京教授)

◆実践あるのみ・・理念の実現に向けて

というわけで、こうした理念に基づくと、保育園の保育方法も、行事のあり方も変えないといけないと思います。出口のない話は気分が良くないので、じゃあ、こうしよう、という話をしていくつもりです。でも「気づき」がないと、変えようという動機も持ちようがありませんよね。もうしばらく、その「気づき」報告を続けさせていただきます。(また、ちょっと長くなってしまったなあ。申し訳ありません)

 

 

 

 

赤ちゃんがぐっすり眠れる秘訣を学べるMam’s Salonが好評につき引き続き開催決定

2019/11/30

睡眠について小林先生の連載が「わらす」のブログで続いていますが、赤ちゃんのぐっすり睡眠の秘訣を説明してもらう、永持伸子さんによる子育て支援講座「Mam’sSalon」が好評につき、第2回を12月20日(金)、第3回を1月10日(金)に開くことになりました。両方とも「海老原商店」で午前10時30分から11時45分まで。ただし予約をお願いすることにしました。参加されたい方は、保育園(03ー6811ー6686)までお電話ください。

Mam’s Salon 23

 

 

 

お楽しみ会でみんなで歌おう!

2019/11/29

来週の土曜日7日は、お楽しみ会です。

運動会が親子みんなで運動を楽しんだように、このお楽しみ会も特に練習してうまくやる、ということが目的ではなく、劇や歌を親子で楽しむという体験をしたいと思います。

ふだん、劇とか音楽とか合奏とか合唱などにあまり興味がない方でも、みんなで楽しむとこんなに気持ちが高揚するものなのか、いいもんだな、という体験の日にしたいと思います。

そこで一つ目に、この地域に古くから伝わる音楽として、神田囃子を披露してもらいます。演奏は地元、須田町の「神田柳囃子」の会のみなさん。本物の「五人囃子」をご披露いただきます。最後には楽器の体験タイムも設けます。

もう一つは、保護者の方もぜひ、参加していただきたく、お楽しみ会の一番最後に1曲、皆さんと一緒に歌いたいと思います。子どもたちに、職員と保護者による「即席の合奏団」を結成しましょう。

練習は各自やっていただき、当日は、気持ちよく声を出せるように喉のコンディションを整えてご参加ください。

 

歌うのは、奉祝曲 組曲「Ray of Water」より第三楽章「Journey to Harmony」です。

まだ配信されていないので、you tobeより紹介します。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=12&v=QSwl2QcBotA&feature=emb_logo

作詞はNHK連続テレビ小説「ひょっこ」の脚本家の岡田恵和さん、作曲は「花は咲く」の菅野よう子さん。

私たちも、これから練習します。一緒に歌いましょう。

 

外門扉の上部の鍵はいつも閉めてください

2019/11/28

改めて「外の門扉の上部」の鍵をかけてくださいますように、ご協力のほど、よろしくお願いします。

以下は7月1日に「園からのニュース」でお伝えしたものです。
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(写真:開いているとき)
(写真:閉まっているとき)
外門扉の上部にスライド型の鍵をつけました。(写真)登園や降園の時間帯は、電磁ロック錠を連続して解錠してありますので、子どもが開けて出ないように、新たにつけたスライド型の鍵を必ず閉めて下さい。
【電磁ロックが連続して開いている登降園の時間】
  7:30〜  9:30
16:30〜18:30

開園6か月アンケートのまとめをHPにアップ

2019/11/27

 

本日、園だより12月号と一緒に配布した「開園6か月アンケートのまとめ」をホームページのカテゴリー「園だより」(パスワード必要)にアップしました。本日配布したピンクの冊子は、読み返すと変換ミスなどがあったので修正しました。

人を幸せにする事柄

2019/11/27

園だより 12月号 巻頭言

◆側にはお母さん、寛いだ気分で歌を楽しく

昨日26日の夕方、事務室のアコーディオンカーテンの扉を閉めて仕事をしていたら、金魚のいるあたりでNKくんが楽しそうに歌を歌っているのが聞こえてきました。大きな声でアニメの主題歌風の歌でした。心も寛いでいたのでしょう、大きな声が、楽しそうでした。お母さんの声もしたので扉を開けて「楽しそうだね」と声をかけました。聞かれていたのに気づいて、ちょっとだけ恥ずかしそうな顔をしました。あ、知らなかったふりをするべきだったかな、と思ったのですが、お母さんが笑って「自分で作って歌うんですよ、ですから同じ曲は二度と聞けないんです、アハハ」と教えてくださいました。私もとても幸せな気分になりました。

◆かけがえのない子ども、再現できない表現

再現できない子どもの表現。その連続だなと、子どもといるとよく思います。「あ、この瞬間なんだよ!」と感じることが頻繁にあります。それを写真や動画でタイムリーに切り取ることができたとしても、それはまた別物になってしまうと感じます。その息吹と臨場感とリアル感を再現しようとすると、私たちもアーティスト(再現者)にならないといけないですね。それを少しでもお伝えできたらと、「お楽しみ会」では幕間でそこを少し補うつもりです。

◆アンケートの子どもの姿に私たちも嬉しくて・・

みなさんからお寄せいただいたアンケートですが、子どもの姿を詳しくご報告いただき、お忙しいのに本当に有難い気持ちになります。心よりお礼申し上げます。ほぼ全員の方から「子ども同士の関わり」など5項目で育つものが「ある」と捉えてくださっており、その具体的な姿が私たちも、とても参考になりました。

冒頭にご紹介したNKくんの「恥ずかしそう」も、人間関係があるからこその経験です。家庭と園と地域と異なる人間関係の経験は、必ず今後の生きる力になります。

◆温かい言葉に感謝です

それからもう一つ、アンケートの自由記述では、皆さんからの温かい気持ちが伝わってきて感激しています。何人も方から「できる範囲で構いませんから」とお気遣いいただき、また「子どもだけではなく関わる全員が幸せになれる保育園になれるように」という言葉にも心打たれます。もともと、たかが一つの保育園でしかありませんが、されど「素晴らしい保護者の皆さん」に恵まれて、またギアが一段と入り直した気持ちです。できることを着実に少しずつですが、前に歩みたいと思います。

◆リスペクトできる力が自他共に幸せへのエネルギー

今回改めて思いました。人を前に進ませる力は仲間なんだと。そうなっている心の状態は人に共感しているときだと。しかも、その中で最強の力はリスペクト。感謝できる心が人を自他共に幸せにするのだと思います。

 

満たされた心がスタートに立ちに行く

2019/11/26

タイトルで迷った挙句、書き出しで補うことにしました。「満たされて初めてスタートが目に入る」と、どっちにしようかなと迷った理由が今日の話です。

今日も見学がありました。昨日の見学者とはちがって、入園先を探しているお母さんたち6人です。いま来年4月の入園先を見学されている方たちがいっぱいです。千代田せいが保育園がわずかした募集できない定員であることは分かっていて、そのわずかな枠を求めて、いくつもの園を見学されています。

見学が済んだ後で、数人の方と直接相談を受けていて、子育ての話になりました。「さきほど、園長先生はやりたい遊びが最後までできないと、欲求不満になるという話がありましたが、途中でやめさせないといけないことって、ありますよね。それでも大丈夫ですか」とおっしゃるのです。

短い時間だったので私は「そういうことももちろんあります。誰でも望んでいることがいつも満たされるわけではないから、また続けよう、でもいいし、こんどにしようでもいいんです。自分から、こうしようって、見通しというか、あと何回やったらおしまいにしようとか自分が気の済むような、あと〇〇とか、そのつぎ〇〇を思えるようになるといいですね」といった話をしました。

「あと何回でおしまいにする」とか「おうちに帰ったらあれをやりたいから、帰りのお支度しよう」とか、自分でちょっと先の計画というか目当てを想像できると、自発性にスイッチが入りやすくなります。

「あと何回」と約束する、という方法のほかに「砂時計」も結構いいアイテムです。1分とか3分の砂時計を用意して、自分で選んで砂時計をひっくり返す。楽しいから大抵やります。砂が落ちていくのも見えて、少なくなっていく砂が自分に与えられた「残された時間」だと目に見えるので自分の気持ちをコントロールする時間の練習にもなります。(ただし最初は、砂時計で十分遊んでからでないとダメですが。また落としても割れないような物にしてください)

あるいは、食事の前に手を洗わせたいなら、「〇〇ちゃん、シャボン(ソープ)の香いはイチゴかバナナか、どっちにする?」と、選ぶという行動を誘うという手もあります。Aという行動をさせたいときに、ちょくせつAをするように言うのではなく、Aに選択肢Bも用意して、「どっちがいい?」とやるわけです。食べてほしい料理も、少しのと普通のと多めのと、ちゃんと用意してみるのもいいでしょう。少しのでも自分から選べば、その時点で気持ちは前向きですから、食べてみようかな、になります。

人間は食欲、睡眠欲、排せつ、保温(暑い、寒い)、運動などの「動物」としての生理的欲求に突き動かされています。それらが満たされないと、落ち着きません。空腹で、寝不足で、トイレに行きたくて、部屋が寒くて、ずっとじっとしてないといけない、なんていうのは、もはや拷問であり、人権侵害です。さらに、人間は「社会的動物」ですから、愛されないと死にますし、認めてもらわないと気が狂いますし、仲間がいないと病気になりますし、やりたいことが成し遂げられないとむなしくなります。こうした愛情、承認、所属、達成などの社会的欲求が満たされないと、情緒は安定しません。

この二つの生理的欲求や社会的欲求を適切に満たし、生命の保持と情緒の安定を図ることが、保育における養護(ケア)です。それが満たされると、自ずと次の欲求が表れて、今度はこうしたい!と心が自然と動き出すものです。満たされて初めて次にやりたいことのスタート地点に立てるのです。あるいは、その山に登ってみないと、そこからの景色は見えません。その景色が見えて初めて、「こんどはあっちにいってみよう」というスタート地点が目に入ってくるのです。

見方を変えると、ほんとうにやりたいことではない場合、無理にやらされている場合は、その代わりに別のことをやり始めます。どっちにしても逃避です。やりたくもないのに「やってほめられる」ことを続けていると、本当にやりたいことを無意識に抑圧してしまい、自分のやりたいことがわからずに、自分に不適応を起こしてしまいます。

親の気持ちに沿って自分の欲求を隠してしまう「いい子」ほど危険だといわれるゆえんです。親の愛情をゲットする代わりに、自分の望みを消しゴムで消してしまうことになったのです。事件を起こしている青少年の成育歴が時々、本になったりしていますが、それらをみると、社会的欲求のなかで、愛情や承認の欲求と引き換えに、達成欲求を売り渡してしまっているケースが結構あります。

私が「幸せの3条件」の最初に、「自分のやりたいことがやれること」を掲げているのは、そうした理由もあるからです。自己実現は根の深~い人間の社会的欲求だと思っていた方がいいでしょう。保育目標「自分らしく 意欲的で 思いやりのある子ども」の最初が「自分らしく」であるのは、最初でなければならないのです。

 

 

 

 

 

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